肩肘張らない書がいちばんいい書ですわ

大が付くほどではないが安田靫彦が何かと好きで、昨春に東京国立近代美術館で開催された「安田靫彦展」も見に行った。

もちろんその絵に惹かれて見に行ったのだが、そこで、その絵に賛として書かれている字が、これまたいい字であることを知った。安田靫彦はもちろん書を生業としていた訳ではないが、そのヒョロヒョロした字は、良寛のそれを彷彿とするもので、あとで調べてみれば果たして安田氏は良寛の研究者として有名だったらしい。

良寛の字は脱力した、強く押せば折れて崩れてしまいそうな、か弱げな線が特徴的だが、素人がただそのまねをして書いても、まさしく間の抜けた醜い字になるのみで、良寛の書の境地には到底達することができない。良寛の書はか弱そうに見えるけれども、書の基礎はしっかりとおさえ、緻密に計算された字なのである。

しゃちほこばって一生懸命書いた字は見ていて窮屈なものだが、安田靫彦の字は、良寛同様、緊張した気持ちが弛緩するような、そんな柔らかさ、親しみやすさをもっていた。

後日、中央公論美術出版から出ている作品集『安田靫彦の書』(1979)を安価で手に入れて、そぞろに眺めていた。私は書をやっていたので、字を見れば書き手の筆の動きが想像されるのだが、安田靫彦の場合はとくにそれが顕著な感じがした。彼の肩の力の抜け具合は、字の大小を問わず、一貫していた。

安田氏の書は、画賛をはじめ、一行書、扁額など多岐にわたるが、そのなかでもとりわけ私の心をつかんだのが、書簡であった。つまり手紙である。蛇足であるが、安田靫彦の時代は手紙も墨書である。

手紙なのだから、書き手はそれをあとあと保存しようとなどとは思っていない。だから画賛、一行書、扁額などとは決定的に性格が異なるもので、そもそも「作品」として本に載るのも、書き手にとっては不本意かも知れぬ。しかし、能書家の書いた手紙は往々にして長らく保存され、軸装される場合さえある。安田靫彦も例外ではなかった。

彼の書簡を見ると、やはりその他のジャンルの書より明らかに違う。字は崩れていて、筆の運びも早く、潤滑(にじみかすれ)の差が激しく、行の中心線は通っていない。手紙なのだから、要件が伝わればそれでよく、すぐ捨てられるものだ。字を丁寧に書く必要はないのだ。

書簡以外の書は、大抵ちゃんと「おすまし」して書かれており読みやすい。しかしどこか優等生的で、比較すると見ていてつまらないところがある。

一方書簡は、書き手の筆意がありのままに見えて面白く、なおかつ自然体なのだ。早く書こうとすれば、字は崩れるのはあたりまえ。何回も墨継ぎをする間もないから、字がかすれるのもあたりまえ。前の字からの連綿(つながり)があるから、上下で中心線がずれるものあたりまえのことである。

そういう変化に富んでいる書というのは、書の世界では古くから傑作とされてきた。中国は唐時代、顔真卿の「三稿」や、平安時代の古筆切の数々を見れば明らかである。(もちろん「肩肘張って」書いた作品でも、傑作として名高いものは数多い。念のため。)

自然体が出ている書は面白い。

そう考えると、現代の公募展に出されているような多くの「肩肘の張りに張った」書作品は、まったくつまらないと言わざるをえない。似たような線の質、似たような字の大きさ、均一なかすれ、縦横ビシっとそろった中心線・・・。全部が全部というわけではないが、書道を初めて日が浅い人は、特に「優等生的」な凡作に終わることが多い。

賞状書士にでもなるならそれでいいが、面白みのない作品を床の間に飾るのは興ざめである。

肩に力の入った不自然な書が多いという事実は、実は自然体の書を書くのが難しいということの裏返しである。

自然体というのは、ただ漫然と書けばいいということではない。そもそも、現代にあって文字を筆で書くというのが「自然」なことではない。そこは不可抗力として一歩譲るにしても、変化に富んだ書を生み出すには、それ相応の創造性を持ち合わせていないといけない。線の引き方、字の崩し方、連綿のしかた等々、自然体を達成するためにはかなりの習熟を要するのだ。

肩肘張らないすばらしい書。これが私が最も好きな書であるととともに、こう書きたい、という理想である。

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