2015年3月31日火曜日

ICU図書館で借りた400冊から選ぶオススメの9冊

国際基督教大学(ICU)を卒業した。

私が入学した2011年4月から2015年2月までのほぼ4年間にICU図書館で借りた本は、述べ407冊だった。異なり冊数、つまり複数回借りた本を1冊と数えた場合の数は、298冊だった。

日本十進分類法にしたがって述べ冊数を分別すると、やはり私の専攻である言語学(800番台)の本を断トツに多く借りていた。


407冊のうち、レポートや卒業論文など学業のために借りた本は158冊。個人的な読書を楽しむために借りたのが239冊だった。(その他の目的が10冊。)私は、ICU図書館を学術よりも趣味の読書のために多く使っていたことになる。

この記事では、個人的に借りた本の中からおすすめの9冊を厳選してご紹介したい。

紹介の順番は、私が大きく影響を受けた『手仕事の日本』を筆頭に、それとテーマが近いものを2と3に。私の専攻である言語学のまつわるものを4と5に。その他の良書を6、7、8、9に挙げた。それぞれの説明の最後の「初出」に続く年月は、その本をブログで紹介した年月である。

 柳宗悦(1985)『手仕事の日本』岩波書店

あなたに影響を与えた本を1つ教えてくださいと言われたら、迷わずこれを挙げる。本書の初版は戦後すぐの1948年。「民藝」という言葉の生みの親(の一人)であり、調査のため20年の歳月をかけて全国津々浦々を歩きまわった思想家、柳宗悦が、各地に残る手仕事の数々を易しい言葉で書き記す。その後の私の進路を方向づけた書。カットは芹沢銈介。初出:2013年5月。

 寿岳文章(1973)『書物の世界』出版ニュース社
  
『手仕事の日本』に出会う少し前に読んだのがこの『書物の世界』だ。この2冊は全く独立に見つけたのだが、寿岳文章は柳宗悦の民藝運動に参加した人だと後になって知った。寿岳文章はブレイクやダンテの翻訳でも知られるが、書誌学や和紙研究でも多くの著作を残している。本書では、書物はどう変遷してきたのか、書物とはどうあるべきかを語る。本の装丁という世界に目を開かれた本。初出:2013年4月。

 西岡常一(1988)『木に学べ』小学館

記憶が定かではないが、中学校の国語でこの文章を読んだことがあった。大学1年のとき、記憶を頼りに本書を見つけて読んでみたが、寺院建築の強さと宮大工という仕事の底知れなさには恐れ入った。法隆寺解体修理や薬師寺西棟再建などを手がけた20世紀を代表する宮大工、西岡常一のことばひとつひとつが、重く響く。そして、その生粋の奈良弁に引き込まれた。初出:2011年11月。

4 渡辺純男(2010)『言語学入門』三省堂

言語学を学ぶという心づもりがある程度できていて、どんなことを学ぶのかを窺い知ってみたいと思ったら、この本を読むのがいいと思う。この本は言語学の諸分野の基本的な用語を短く分かりやすく解説している。興味がある人には有用かつ面白い。ただし本文は用語の羅列なので、言語(学)の魅力を知りたいと思って読むと、退屈な可能性あり。余談だが、装丁や組版が垢抜けていて好印象。初出:2012年12月。

5 L. Bauer & P. Trudgill. 1998. Language Myth. Penguin Books.

タイトルを文字通り訳せば、「言語の神話」。「ある言語は他の言語より難しい」、「マスコミは言葉を乱している」など、巷でささやかれる言語に関する噂や誤認を、言語学者たちがたたっ斬る。言語学を学んでみたい高校生や大学新入生、知識はないがことばに関心ががある人におすすめ。大学入試レベルの英語があれば、原書も難しくない。入手は難しいが、邦訳は『言語学的にいえば…』。初出:2014年4月。

6 小田実(1961)『何でも見てやろう』河出書房新社

この9冊の中では、おそらくいちばん一般受けしそうな本。本書は、著者がアメリカ留学を終えたのち、日本への帰る道すがら訪れた、欧州、中東、アジアを、1日1ドルという生活で生きながらえつつ見て歩いた紀行。まだ海外旅行が一般的でなかった時代の世界一周だけあり、いちいち興味深い。海外旅行に行きたい人に特におすすめ。著者のユーモアあふれる文体もおすすめ。見習いたい。初出:2013年10月。

7 藤枝晃(1999)『文字の文化史』講談社学術文庫

甲骨文字以来の中国3000年の漢字の歴史をおさらいするには、最適の本。書道をするのなら、実践で字を書く練習をするだけでなく、知識として漢字の歴史をひと通り知っておいたほうがいい。著者は文字学の盛んな京都大学の先生で、自身も書道に造詣が深い。文章は分かりやすく、文量も適度。1971年初版。記事にはしていないが、2014年の夏に読んだ。

8 渡辺保史(2001)『情報デザイン入門』平凡社新書

どういう風の吹き回しか、デザイン、特に情報デザインに凝った時期があった。この新書がきっかけで、TEDを始めたR・S・ワーマンを始め、アルビン・トフラー、ヤコブ・ニールセン、すぐ後に紹介するD・A・ノーマンといった大家を知った。今ではデザイン熱は下がったものの、彼らの本を読んだことが今日の自分の情報デザイン(ブログ、チラシ、文書など)における実践と評価に活きていることは間違いない。初出:2011年11月。

9 D・A・ノーマン(1990)『誰のためのデザイン?』新曜社

私にとって、その後の情報表現に関する考えの根底となった良書。あるプロダクトが使いづらかったら? あるウェブサイトで知りたい情報が見つからなかったら? それは自分のせいではなく、作った側の問題なのだ・・・。本書の内容はデザイナー必知のことなのだろうが、ハード/ソフトを問わず何かモノを作り出す人であるならば(つまり基本的にあらゆる人が)知っておくべきことではないか。初出:2012年6月。


以上。

ICU図書館には、私は借りていないけれども素晴らしい本がたくさんある。当然ながら、ICU図書館以外の図書館で借りた本にも、ぜひおすすめしたい物がたくさんあった。もちろん買った本にも。だが敢えて、私が「ICU図書館」で「借りた」本から選ぶという制限を設けた。あまり意味のない制限であった。

2015年3月30日月曜日

中国旅行 写真編 後半

中国旅行6日目から12日目までの写真をご紹介。

6日目(3月10日)

旅の最大の目的だった碑林博物館
平日なのでがらがら

7世紀(初唐)の楷書の傑作「孔子廟堂碑」

孔子廟堂碑の碑面

7日目(3月11日)

ムスリム街にて
西安名物の凉粉(左)と凉皮(右)
右のほうが好み

同じくムスリム街にて
行列のできる有名店の肉夹馍(ロウジアモー 牛肉サンドイッチ)

8日目(3月12日)

だだっ広い大雁塔
奥は明代に立てられた塔
手前は玄奘の銅像

西安を囲む城壁に登った

城壁から臨む夕焼け
この日で西安とはお別れ

9日目(3月13日)の写真はなし。

10日目(3月14日)

杭州日帰り旅行
雨の西胡
11日目(3月15日)の写真はなし。

12日目(3月16日)

豫園

豫園の有名店「南翔小籠」の小籠包

霧にかすむ上海ワールドファイナンシャルセンター(上海环球金融中心)

霧にかすむ東方明珠電視塔

この旅行で買った本のすべて
述べ26冊 厚さにして40cm

2015年3月29日日曜日

中国旅行 写真編 前半

滞在中はネット接続規制の関係で上げられなかった写真を厳選して掲載。最初の5日間を日付順にご紹介。

1日目(3月5日)

上海浦東空港から出ているリニアモーターカー

南京東路の大通り
ホステルはここから1本北の道にある

2日目(6日)

この旅行で一番うまかったといってもいい生煎

福州路にある量り売りの新古書店
1斤(500g)11元などとある

上海を象徴する外灘(ワイタン)

3日目(7日)

上海蟹
絶妙に味付けしたカニのほぐし身(甲羅は飾り 脚はニンジン)

文化名人街にいたおじさん

ホステルから徒歩30秒の大衆食堂で食べた鱼香肉丝饭とかなんとか
かすかに香りのあるごはんと、日本の鍋を思い出す味付けの白菜と、細切りの牛肉
ちなみに中国で米飯をあまり食べなかった

4日目(8日)

上海を離れ、やってきました、西安
上海―西安の1500kmを10時間半で結ぶ高速鉄道「和諧号」

西安の地下鉄から地上に出たらこれですよ
大気汚染

日曜日だけやっているという八仙庵の骨董市
写真に写っているのは陶器、銅鏡、古銭など

同じく骨董市
私は書道関係ばかり見ていたが、全体にアクセサリーが多い

西安を取り囲む城壁の入口(南の真ん中)、永寧門
これを見た瞬間、西安に来たのだという実感が湧いて感無量

永寧門からすぐ、碑林博物館に通じる書院門
ここから数百mにわたって書道用具を売る店が続く
滞在中、何往復もした

書院門の通りで、真ん中のパンチパーマのオバさんが切り盛りする青空古書市
毎日やっていた
ぜーんぶ書法の本

5日目(9日)

書院門の通りで買った焼き芋(5.4元

2015年3月17日火曜日

中国旅行 最終日 グルメとタワー

昼間に豫園に行った。豫園は16世紀に個人が所有した庭園で、いまでは上海の有名な観光名所になっている。豫園の周りには、上海老街の通りをはじめ工芸品や土産物を売る店が立ち並んでいる。赤い柱に白い壁、先のとんがった黒い瓦屋根という古い建築様式で、あたりが統一されている。とても雰囲気がある。

豫園のもっとも繁華な一角に、南翔小籠という小籠包の有名店がある。今日は月曜日だが、1階のテイクオフは行列ができていて、2階の椅子席もほぼ常に満席だった。

ここで蟹肉小籠という、カニ肉の小籠包(1籠25元)をいただいた。近くの大衆食堂で食べた10元の小籠包と比べて、風味も少し違うし、何しろすごくみずみずしかった。


午後は、浦東(プードン)地区にはじめて足を踏み入れ、豪華な晩餐と摩天楼見物を楽しんで来た。浦東は、上海市街地を流れる川の東側の地区のことで、あの有名な東方明珠塔と高層ビル群があるところだ。僕が基本的に動き回っていたのは、川の西側、浦西(プーシー)だ。

老上海8号餐厅というレストランで、上海蟹以来の豪華な食事をした。が、1人で行くような雰囲気ではなくたいへん気まずかった。高級な中華料理店は、席が丸テーブルなので、普通は複数人で来るのが一般的なのだと思う。1人で食べていると、黙って食べることしかできないし、ウェイターの人が始終見守ってくれているので、気まずい。

まあそれはいいとして、昨日宿の人が勧めてくれた腌笃鲜(イェンドゥシエン)という煮込み料理が、季節のものらしく今日は置いていなかった。そのかわり頼んだのは、揚州煮干丝というあっさりした麺(?)と、红焼肉といううまい角煮に、点心として春巻、そしてプーアル茶。もちろんどれも美味だったが、今度来るときはぜひ誰かと一緒に来るべきだと思った。

食事が終わる頃には日もすっかり落ち、摩天楼のライトアップが綺麗に見える頃になった。しかし問題は、今日の天気が良くなく、霧がかかっていて視界が効かないのだ。東方明珠塔も林立するビルも、霧の中に消えててっぺんまで見ることができない。これでは展望台に登っても夜景は期待できまい。上海グローバル金融センターの展望台に登ろうと思っていたが、登るのは諦めた。

しかし、霧がかった浦東もそれはそれで雰囲気があって、つい立ち止まって見とれてしまう。特に東方明珠塔は、下半分しか見えないけれども、近くで見るとその巨大さは圧巻だ。下から見るだけでも満足した気分になれる。

話はそれるが、「東方明珠電視塔」というネーミングも悪くない。日本で初めてその名を聞いたときは、カタカナ語に慣れた日本人の感覚からしてちょっとダサい感じがしたものだが、今本物を目の前にして思えば、その存在感にふさわしい威厳ある名前な気がする。

なにしろ、英語の名前がカッコいいのだ。いわく、Oriental Pearl TV Tower of Shanghai。それに比べてToyko Skytreeという名前は淡白だなあ。

2015年3月15日日曜日

中国旅行 11日目 会話

行った方ががいいところはいくつもあるが、今日はどこにも行かなかった。あえて言えば、午前中に本屋で本を3冊買ったくらいだ。

そうそう、中国にもあんまんがあることがわかった。近くの店で豆沙包(ドウシャバオ)という名で売っていたまんじゅうを買ってみたら、なんとあんまんだった。日本のと形は同じだが、少し違う香りがして、うまい。朝に3個、午後のおやつに2個、合わせて5個も食べた。

あと、日曜日の上海は勧誘が多いこともわかった。午前の本屋では耳の不自由な人への寄付を頼まれたし(数分おきに2人)。夜の大通りでは、マッサージに来ないかとおばさんにしつこく絡まれた(数十秒おきに2人)。

毎日の食べるものが固定化しつつある。宿の人2人と仲良くなったので、今日の午後は、滞在最終日である明日に何を食べるべきかを聞いた。腌笃鲜(イェンドゥシエン)、本帮菜(ベンバンツァイ)など美味しそうな料理を2、3教えてもらい。ここに行けばいいんじゃないかというレストランも聞いた。

そのときの会話で思い出したのだが、僕はまだ豫園に行っていなかった。豫園は上海でも人気の観光スポットで、長い年月をかけて造営された庭園と建築が有名だそうだ。宿から歩いて行ける距離にある。

オススメのレストランが豫園の近くなので、明日は豫園とグルメを巡る。最終日らしい充実の日にしたい。

今日は英語をたくさん使った。宿の人との会話は(日本語と中国語も多かったが)英語だった。宿の同じ部屋の人(今日入って来たアイルランド人、いつもは寡黙なカリフォルニア人、英語のうまい中国人)ともそれぞれ英語でかなり喋った。

ちなみに、しばらく日本人と会話していない。最後に出会った日本人が、3月7日の昼に別れた同い年の大学生だ。宿の人が少し日本語を喋れるので、日本語に少し触れてはいるが、しばらく日本人の日本語を聞いていない。

あと数ヶ月この状態が続いたら、中国語がうまくなるんだろうな。

中国旅行 10日目 雨の杭州

上海から高速鉄道で1時間、杭州へと日帰り旅行に行って来た。

スタートからずっこけた。行きの電車を逃したのだ。杭州への鉄道が11時30分発だったので、余裕を持って11時に駅に着いた。日本の常識だと、電車の発車に30分早く着けば十分余裕だろう。しかし中国では、そうは問屋が卸さなかった。

昨日、ネットで席は確保してあったのだが、切符は持っていなかった。切符をもらうには、窓口で予約番号とパスポートを見せなければならない。しかし、窓口を見つけてみたら、10ほどある窓口のどれにも、15人くらい並んでいるのだ。皆、ここ上海から中国各地へ行く列車の切符を買っているのだ。10分くらい並んでみても、何を手こずっているのか、ほとんど進まない。この調子では半の発車に間に合いそうにない。

焦って来た。列を抜けて、いくつもあるほかの窓口を探しても、どこも閉まっている。この休日の真っ昼間、これだけ混雑しているというのに、窓口が1カ所しか開いていないなんて、窓口を作った意味がないじゃないか。もっと働け!

駅のだだっ広いロビーを歩き回っていたら、発車まで10分あまりになってしまった。駅の怠慢にしびれを切らし、もしかしたらチケットなしでも番号さえあれば乗れるかもしれないと思い、出発ロビーへと向かった。

しかし、焦りのせいか、20以上あるチェックインゲートから杭州行きを見つけられず、代わりに出発ロビーにもあった窓口に並んだ。ここは5、6人しか並んでいなかったのだ。

しかし、自分の順番が来る前に、ああ無情、発車時刻の11時半になってしまった。

予約の時点で代金を払ってあるので、77.5元(1500円くらい)をフイにしてしまったことになる。

ここで今日は諦めて宿にトボトボ帰るのも情けない。1時間後の12時半に、同じ杭州行きがあったので、それを買って杭州に行くことにした。無駄にしたのはたかが1500円、これが上海ー西安並みの長距離列車(数百元)でなかっただけいい。

中国の高速鉄道切符事情を思い知った体験だった。ちなみにこれを教訓に、帰りの上海行きのチケットは1時間半前にゲットし、1時間以上前に待合ロビーに入った。


杭州駅から地下鉄、路線バスと乗り継いで、杭州の名所・西湖の北側にある孤山に来た。西湖は、周囲15キロという湖で、周囲が整備されていたり、遊覧船が出ていたりと、上海周辺の名所だ。世界文化遺産にも登録されている。

この日の杭州の天気は、中国滞在中はじめての雨。傘をささない人もいるくらいの弱い雨だったが、列車を逃したこと、まだ昼食を食べていないことと重なって、気分もどんよりする。

杭州での最大の目的である西泠印社を訪れた。ここは100年以上の歴史を持つ、中国で最も有名な篆刻研究所だから、篆刻に関する色々な用具なり本なりを見るのを楽しみにしていた。しかし行ってみると、そこは基本的に木々が生い茂る傾斜に、小さい建物が点在するだけの場所だった。篆刻センターというよりは、庭園に近い。(京都の銀閣を少しコンパクトにした感じ。)土産物屋もあったが、予想よりこぢんまりしていて、本屋に至っては鍵がかかっていた。

湖の周遊が最大の見所であり、見所の1つ1つが離れているので、カートや自転車で移動するのが普通だろう。徒歩での移動では、限られたところしか見られない。体力もあまりなく、結局、孤山周辺しか回らなかった。

2015年3月14日土曜日

中国旅行 9日目 上海,我回来了

昨夜21時に発車した列車は、ほぼ11時間の旅の末、午前8時前に上海駅に到着した。戻ってきました、上海。

4泊5日の西安滞在を終え、残りのあと4日間は上海を拠点に観光する。

午前中は、おとといのムスリム街グルメ巡りのときに上海出身の友人に教えてもらった、福州路の「上海書城」に行った。そこは名前から想像できるように、7階建ての、この辺りでは一番大きい本屋だそうだ。最上階の美術書コーナーでは、やはり書法のスペースもたっぷりとってあり、今まで何カ所か行った書店でも見かけなかった本も多く置いてあった。

ここで小さい本を2種類(2冊ずつで4冊)買い、ホステルにチェックイン。昼飯を食べ、ブログを更新し、明日の予定を考えた。

上海市街からはすこし遠いが、杭州に行こうと思っていた。高速鉄道で丸々1時間かかるが、湖がある風光明媚なところで、篆刻(はんこのこと)の聖地・西泠印社がある。日本で西泠印社といったら、印泥を作っている会社というイメージが強い。しかし、そこは数多くの有名篆刻家が関わっている、ハンコの一大センターなのだ。明日は杭州に日帰り旅行に行くことにした。

あさってとしあさっての予定はまだ決めていないが、まだしたいことはいくつかある。電車で30分くらいの蘇州にもできたら行きたいし、上海グローバル金融センターの展望台にも登りたい。上海博物館にももう1回行っておきたい。

2015年3月13日金曜日

中国旅行 8日目 大雁塔と城壁

今日は西安滞在の最終日。

毎日の主な移動手段は徒歩である。西安の地下鉄はまだ2本しか走っていないが、バスがかなり発達している。バスは一律1元(たまに2元)で乗ることができる。ただしバスが発達し過ぎていて路線が複雑すぎ、その上大抵ラッシュ時並みに満杯になる。(バスも、慣れれば簡単なのだが。)他にもタクシーやレンタサイクルがあるが、難易度が高そうで使わなかった。

いつも、食事などを見つけるために無駄足を踏んでいるので、2万歩をゆうに超える日が多い。徒歩で毎日疲れる。

そのため、だんだん新しい場所に訪れるのが億劫になっていった。今日も長距離を歩かなければならないと思うと、宿でゆっくりしていたくなる。そもそも僕の西安での目的、つまり八仙庵骨董市と書院門と碑林博物館は果たしてしまったので、士気が失せてしまったのだと思う。

とはいえ、西安周辺には、兵馬俑、楊貴妃墓、華山などなどなどなど、ガイドブックが言うにはざっと100は見所があるらしい。西安に来たら◯◯は行かなければ、というような、義務感で旅をするのはあまり好きでないけども、せっかくの西安滞在を棒に振るのはあまりにもったいない。

郊外まで足を伸ばす時間は流石になかったので、アクセスしやすい大雁塔を訪れた。宿の最寄り駅から地下鉄で南に3駅いき、そこからしばらく歩く。

大雁塔は、唐代に造営された寺院で、現在は有名な7層の塔を中心に広大な敷地を持つ。この大雁塔という名前、書道をやっている人ならピンとくると思う。そう、楷書の名品、褚遂良の「雁塔聖教序」があるのが、このお寺なのである。

しかしこの「雁塔聖教序」、かなり探したのだが見つからなかった。ガイドブックには「塔の南側に立っている」としかないし、大雁塔の敷地内にも案内板がない。敷地内の土産物店で拓本は見つけたので、石碑があるのは確かだと思うのだが…。

ポカポカな好天の日に長距離を歩いた上、目的の8割がたであった石碑を見つけることができなかったので、どっと疲れが来た。地下鉄駅まで歩く気力がなかったので、帰りはバスを使った。バスには昨日、中国人の友達と1回乗っていたので、乗り方は知っていた。

帰って、書院門で最後の買い物をした後(拓本2枚と筆3本)、今日のもう一つの目的である城壁(城墙)に登った。

西安市街を囲む城壁は、高さ、厚さともに10m以上、周囲は13kmという巨大な建造物である。入場料を払えば、壁の上に登ることができる。

僕が登ったのが、6時過ぎで、日が没しようとする時刻だった。城壁の南門(永寧門)から登って東に向かって歩いたが、振り返ると、オレンジ色の丸く大きい太陽が見えた。

太陽の丸みが肉眼で見えるということは、自分と太陽の間に、光を弱める何かがあるということだ。何を隠そう、大気汚染によるスモッグである。

西安の大気汚染を、こういうかたちで実感するのは風情も何もあったものではないが、それでも、古城の影の間から日没間際の太陽を臨むのは、人をどこか感傷的にするものがあった。城壁から碑林博物館の方を見下ろすと、僕が2度焼き芋を買った屋台の老爺が、人のまばらになって来た通りで今日も客を待っている。この次、いつ西安に来るのかはわからない。

西安というところは、上海に輪をかけて、男女構わず路上に平気でゴミを捨て、平気でタンを吐き、クルマの警笛は容赦無く鳴らす、まったく迷惑な街だった。でも、ここにはまた来たいと思う。

2015年3月12日木曜日

中国旅行 7日目 歴史博物館と凉皮

今日の午前中はつまらない時間のつぶし方をしてしまったが、午後から夜は、今までで一番といってもいい充実ぶりだった。

午前中は、明日の上海行きの夜行列車を取るためだけに費やしてしまった。

上海から西安に来たのと同じ席のチケットは売り切れていたので、一番高い寝台席しか残っていなかった。けれども朝にネットで調べたら、時間は2倍かかるが(19時間!)安いチケットが数十枚残っていた。それだ、と思ってチケット売り場へ足早に向かった。そしたら、売り場へ歩いて行くものの15分で売り切れてしまったらしい。売り場のネエちゃんがそのチケットは「無い無い」と繰り返す。

こういう、大金を払わなくて済むか否かという事態のときに、全く感情もなく応答するネエちゃんには、全く腹が立つ。

僕の欲しかったチケットが本当に売り切れていたことをネットで確かめた上で、しぶしぶ16000円する高級な席を買った。実は飛行機に乗った方がすこし安く済むのだが、空港が郊外にあり、いろいろ事情を勘案すると列車が良かった。

上海ー西安間は1500キロあるので、たぶん本州の端から端までくらいの距離がある。その距離を、寝台で16000円で行けるだから、日本の物価で考えれば安いと言えなくも無い。

とはいえ、たかだか列車の切符に10000歩くらい歩いてしまった。まったく馬鹿げている。もっと早くからチケットを買っていれば良かったのだ。


午後は、地下鉄にのって西安歴史博物館に行って来た。午後の無料券を配布する時間を待って(日本時間の2:46に黙祷もして)から行った。

上海と比べて、街の大きさで言えば西安は劣るが、博物館のクオリティと人の入りで言えば、西安に軍杯が上がる。水曜日だというのに、すごい人の入りようなのに驚いた。街中ではほとんど見ない欧米人もかなりいた。歴史博物館と銘打っているとおり、西安がある陝西省の、有史以前から隋唐あたりまでの歴史を出土物で見ることができる。

古いものは原人の頭骨から、新しいものは唐代の唐三彩まで展示してある。書道関係で言うと、文字が鋳込まれた各種青銅器、石鼓文(のレプリカ)、多くの文字瓦当(屋根のふちの丸い瓦のこと)、数点の漢代印章があった。

石鼓文(せっこぶん)は、本物は確か北京にあるので、レプリカにしても、まさか見られるとは思っていなかった。石鼓文は僕の好きな古典の一つで、何回も写真で目にしていた。想像していたより、はるかに大きかった。その存在感は、その文字史上の重要性をも物語っているようにも見えた。


夜は、昨日宿で一緒だった人とご飯に行く約束だった。その人というのが、ネイティブ並みに英語を話す中国人で、日焼けしたイケメン日本人みたいな顔つきで、その上長髪を後ろで束ねているものだから、初めて見たとき全く国籍がわからなかった。例えて言うなら、中国系アメリカ人のサーファーといったところだろうか。

昨夜彼と仲良くなり、ふと僕が、西安では凉皮(リアンピー)が有名らしいね、と話したら、じゃあ明日連れてってやるよ、ということになったのだ。凉皮という料理が西安名物だというのは、上海のホステルで聞いていたが、まだどんなものかも調べず、食べていなかった。

凉皮は、僕がまさしく昨日見つけたムスリム街で食べられるらしい。凉皮の正体は、ほうとうを使って辛めに味付けした冷やし中華といった感じで、 麺は、いままで中国で食べたものと違いコシがあった。これは日本人にも好かれそうな料理だ。

凉皮ですでに腹がふくれてしまったが、その後は彼の友達とも合流し3人で、いわばムスリム街グルメ巡りをした。ムスリム街は、夜にその本領を発揮する。

この界隈では有名だという店の肉夹馍(ロウジアモー・牛肉サンドイッチ)を食べ、続いてほうとうよりさらに幅の広い麺が入った裤带面(クーダイミエン・つまり「ベルト麺」)や、やけに漢字の難しい「Biang biang 面」(これもベルト麺だが味付けが違う)、おまけにヒツジのレバーの串焼きをいただいた。どれもほぼ満腹状態で食べたのでよく味わえなかったのが残念ではあったが、どれもうまかった。

2015年3月10日火曜日

中国旅行 6日目 回民街と碑林博物館

化覚巷というところが骨董屋の並ぶ通りだと聞いていたので、午前中、行ってみた。人がすれ違えるくらいしかない狭い路地に、みやげ物を売る店が並んでいて、アーケードみたく屋根もついている。骨董屋街というよりは観光地化した土産物街といった風情だった。

そこを抜けると、人のまばらな化覚巷とは打って変わって賑やかな商店街に出る。そこではクルミや、デーツやブドウや柿などの大量の乾燥果物(そう、中国にも干し柿があった)、さらに解体したばかりの生肉を売っている通りで、何より驚いたのは、火曜日の午前中だというのに、ものすごい人なのだ。

偶然のうれしい発見だった。

ドライフルーツは好きなので、とりあえずレーズンを買って帰って来た。後で調べるとイスラム教徒(回教)が多く住む「回民街」の一部だと思われ、頭にスカーフを巻いた女性や、漢族らしくない顔つきの人もいた。ガイドブックには、賑やかな通りだとは書いていなかった。またデーツでも買いに来ようか。


午後、とうとう碑林博物館に行って来た。75元(1500円)という、日本の有名博物館並みに入場料を取る。まあ、中国2500年の有名石碑が全国から4000も集められているのだから、しかたない。

火曜日とあってか、人は閑散といていた。この方がゆっくりみ見られていい。

石碑が4000あるとはいえ、書道で有名なのはそのうち数えるほどしかない。有名なのはガラスで石を保護してあるが、一方、名も無い小さいようなやつは、屋根もないところで壁に埋め込まれている。石碑にも、文字史上で重要か、もしくは資料として貴重か否かで、確然たるヒエラルキーがあった。

碑林にある有名な石碑は、顔真卿の「多宝塔碑」「顔氏家廟碑」など数種類。他に「曹全碑」(2世紀)、虞世南の「孔子廟堂碑」、欧陽詢の「皇甫誕碑」(ともに7世紀)などだ。

何年ものあいだ法帖でしか見てこなかった石碑との、初のご対面だった。顔法をいかんなく発揮した「顔氏家廟碑」の楷書は想像通りの力強さだったが、他のは、思っていたより文字が小さかった。石の彫りに関して言うと、それほど深くない。

書道とは関係ないが、ここにおさめられている「開成石経」のある一節(失念したのでWikipediaでお調べください)が、今の年号「平成」の由来であることはあまり知られていない。しかし、この石経は65万字あるので、その部分を探そうとも思わなかった。

奥の方に進むと、おじさんたちが拓本を作っている。碑林の拓本作りは、写真では見たことがあるが、ポンポンポンポン…と、タンポが石を打つ音がよく響く。


今日は2万7000歩も歩いた。無駄足を踏んで歩きすぎた。

また早めの行動をサボったために、上海行きの列車が一番高い寝台車しか取れそうにない。あーー。

2015年3月9日月曜日

中国旅行 5日目 焼き芋と昼寝

10時間以上かけての列車の旅があり、重いスーツケースを押しながら骨董市を物色したこともあって、昨日は相当に疲れていたと思うが、23時ごろに床に着いて8時に目が覚めた。意外と寝ないものだ。

今日は朝から麻辣牛肉面というベラボウに辛い麺料理を食べてしまった。うどんよりは細めの丸い柔らかい麺に、真っ赤なスープを入れ、ニラなどの野菜とどう調理したのかわからない牛肉のかけらをまぶした料理だ。あんまり辛いので、鼻水がたれて、唇が麻痺して、痰がからんだ。辣と名のつくものは本場中国では本気で辛いんだった。今度から気をつけよう。

いまのところ(夜9時)腹は壊していないので、何とか胃は持ちこたえたみたいだ。

西安に着いた昨日から、ときどき焼き芋の屋台が出ているのが気になっていた。近くを通るととてもいいにおいがするのだ。菓子以外の甘いものが食べたいと思っていた。

書院門の通りで昼間に買った焼き芋は、日本のと違い、皮は黄土色だが、すごくミルキーで、おまけに甘い。パサパサしていないので、まるまる食べても水分が欲しくならない。


今日はなんだか新しいところまで足を伸ばすほどの元気がなく、どこにも行かなかった。きのうと行動範囲は大して変わらない。

週が明け月曜日となり、街の活気は昨日ほどではなくなっていた。

午後もどこにいくでもなく、宿で昼寝。目が覚めて腕時計を見たら、夜の9時前だったので、ああこんなに寝てしまうほど疲れていたんだなと思ったら、時計を上下逆さまに見ていたので本当は3時過ぎだった。1時間そこそこしか寝ていなかった。意外と寝ないものだ。

歩いて20分ほどのところに中華書店の大きい支店があって、そこで書法関係の本を見てきた。日本のふつうの本屋では、書道の本なんて棚の一角にちょこんとあるだけだろう。しかし、ここはやはり書の本場・西安だからだろう、5×5mくらいのエリアが全て書法の本だった。法帖(手本のこと)だけでも、各出版社が工夫を凝らした色々な種類のがあって、まさしく種々雑多。入門書や字書も、各種書体、小さいのから大きいのまである。

とはいえ、法帖の質で言うなら日本ので十分だし、字書も日本のを何種類か持っていれば十分だと感じた。(当然ながら、本のつくりも日本の方が優れている。)

それでも、日本では全くみないような本が数多くあって、面白い。折帖になった法帖を2冊買った。蘭亭序など、巻物の書作品は、ページに分割すると全体の雰囲気がわからなくなってしまうが、折帖だと広げて眺めることができる。

ちなみに、書道というのは日本語で、中国では書法という。今までの記事でもなるべく書き分けている。両方を指す場合は、僕は単に書というときもある。


夕食は宿のレストランで済ました。そのときに宿の人に聞いたところだと、日本人がこの宿に来ることはあまりないらしい。確かに宿では日本人に会っていないし、西安の街を歩いていても日本語を聞かない。碑林博物館に行けば、日本から来たおじさんおばさんくらいは見かけるかもしれない。明日にでも行ってみよう。

中国旅行 4日目 八仙庵と書院門

僕の乗った高速鉄道「動車」は、最高240キロで走るかなり速いタイプの列車だ。動車は、発車のアナウンスなどもなしに音もなく定刻通り22時に発車した。そういえば、空港からのリニアモーターカーも、アナウンスなく走り出したが、逆に、何度も乗っている地下鉄は、中国語と英語でアナウンスしてくれる。どうやら中国では、速い電車ほど乗客に親切でないらしい。

発車から40分ほどして、一つ目の駅に着いた。そしたら、男性がひとり入ってきた。だがコンパートメントは6人が定員なので、もう満員のはずである(小さい子どもは数えない)。だがその彼は、自分のチケットにここだと書いてあると言い張る。彼は僕たちのチケットを調べはじめた。そうしたら何でもない、僕が乗る号車を一つ間違えていたのだった。

どうせ寝心地が悪くてよく寝られないだろうと思っていたが、2段ベッドの上の段に1人で陣取れて、十分な時間眠ることができた。途中何回か目を覚ましたけれども、朝7時過ぎまで寝ていたみたいだ。25000歩歩いた昨日の疲れも残っていない。

空気汚染のせいか、食べ物のせいか、疲れのせいか知らないけれども、口の粘膜が少し荒れている。

列車はほぼ定刻通り、むしろ定刻より少し早い午前8時34分に西安北駅に到着した。ここから地下鉄を乗り継いで、八仙庵の骨董市へと向かう。八仙庵の骨董市は、聞いたところによると日曜日の午前中しか開いていないらしい。

最寄の朝陽門駅から地上に出て、西安を初めて見て感じた印象は、ホコリっぽい、だった。道は舗装されているとは言えデコボコだし、工事もそこここでやっている。それを言うなら、タイや上海も同じような感じではだったが、極めつけは、PM2.5がひどいと言われている上海ではむしろ気にならなかった空気の濁りが、西安でひどいのだ。西安は古い建物が残っている街とは言え、ビルもバンバン建っていて車もガンガン走っている大都会である。この霞が化学物質なのか土埃なのか、この際どっちでもいいが、これが音に聞く中国の大気汚染か、と 、重いスーツケースを引っ張りながら感じ入った。

西安の中心は、タイのチェンマイがお堀で囲まれているのと似て、南北3キロ、東西5キロくらいの城壁に囲まれたエリアである。八仙庵はその城壁の東の外側に位置し、にぎやかさはない。骨董市を見つけるそのときまで、そんなのをやっている雰囲気なんて微塵もなく、不安になるほどだ。

見つけてみると、狭い路地の歩道やそこらに、ずらっと骨董商が店を開いている。多いのは、装身具、石(玉)、陶器、金属器、古書で、本物ならば超お宝というものもある。中国石器時代の陶器とか2000年前の銅鏡とかが普通にポンと置いてあったら、度肝を抜かれるだろう。

ここに来るなら、よっぽど目利きに自信があるか、ニセモノと半分わかっていて物色するかの、どちらかなんじゃないか。僕には骨董趣味はないので変なものには手を出そうとは思わない。ここに来たかったのは、文物を自分の目で見て目を肥やすのがひとつ、書道関係で実用的になりそうなものがあったらちょっと買ってみようというのがひとつだ。

良いものはもうとっくにコレクターの手に収まっているとしても、意外と「これは」というものがなかった。

それでも、古本と一緒に売られていた紙切れを買った。陳子平というひとが1996年に書いた短い文章で、内容も、この陳子平という人物も知らないが、彼の筆跡が美しかったのだ。硬筆書法に優れていたことが分かる。

最初10元と言われたが、3元はだめかと言ったら5元までまけた。お金を渡すときに、店番のおっさんがお前はどこの人かと聞いてきたから、韓国人だといったら、遠いところからわざわざ若者がやって来たおまけなのだろう、4元にしてくれた。

これ以降、買い物のときにどこの人かと聞かれたら、韓国人というようにした。日本人と答えたら足元をみられるような気がした。

城壁の南の真ん中・永寧門付近の、古い建物を改修したらしく雰囲気が抜群のホステルにチェックインし、書院門に行った。書院門から碑林博物館までの数百メートルには、書道用具を売る店が立ち並んでいる。

行って感動した。

上海の福州路に毛が生えた程度だろうかと思っていたら、とんでもない、通りの店がことごとく書道用品店で、膨大な量の紙、筆、印材、表装、本などなどを売っている。道の真ん中にも、隙間なく屋台が出ていて、書道用具はもちろん彫刻・瓢箪・剪紙などの飾り物を売っている。ときどき人前で書をしたためているおじさんもいて、その周りには人だかりができる。見物人はおじさん・おじいさんだけでなく、青年や女性もまじっている。中国人の書への関心の強さの表れだろうか。

とにかくここはすごい。さすが唐をはじめ歴代の多くの王朝が都を置いた街だけある。文化の水準が段違いだ。ここだけでも1日を潰して来る価値がある。

2015年3月7日土曜日

中国旅行 3日目 博物館と蟹

宿から南西に20分あまり歩くと、鼎という古代青銅器をかたどった巨大な円形の建物が現れる。上海博物館である。

午前に上海博物館に行ってきた。ここは、るるぶに「中後屈指の博物館」とあるとおり、たしかに大きな博物館で、書道関係では、古代青銅器と、歴代の書法、印章が多く展示されている。しかも入場は無料なのである。かの有名な巨大青銅器、「大克鼎」は、ここ上海博物館にある。

青銅器の出土した中国とあって、1階の青銅器の質と量は圧倒的だった。私の知る限り、日本のどの美術館、博物館でもこの数は見られない。

3階には書法と印章(はんこ)がある。書法は質、量ともに少し物足りなかったが、印章はかなりの数があった。印影はもちろんのこと、書物ではなかなか見られないハンコの現物があった。昔のハンコはどういう形をしていて、どのくらいの大きさなのかは、実物を見なければわからない。2000年前のハンコは、いま一般的な四角柱や円柱ではなくて、もっと背が低くてツマミ(鈕 ちゅう)がついている。そして、意外と小さい。

この後同じ部屋の日本人のひとと昼食の約束をしていたので、さっさと博物館を後にしたが、西安から帰ってきたときにもう1度来ようと思う。ここは1回、しかも1時間そこそこで見切れるところではない。

今日まで安い大衆的なものしか食べていないので、一度本格的に上海らしいものを食べたいと思った。上海の高級料理といったら、上海蟹である。

調べると、上海蟹はそれだけで5、6000円(200〜300元)は覚悟しなければいけないようだ。それに、蟹単品で頼むことは普通ないから、副菜なりドリンクなりいつくか頼むと、もっと高くつく。僕らが行ったのは、宿から10分もしないところの、王宝和上海餐厅というところで、やけに高級なホテルの2階にあるレストランだ。

どのくらい高級なレストランかというと、メニューがiPadで出て来るくらい高級だ。店のおねえさんたちが日本並みに笑顔でおもてなししてくれるくらい高級なのだ。中国のコンビニをはじめ、少しくらいいい店でも、店員にはおもてなしのかけらもないと思って間違いない。笑顔はないし、お金やレシートのあつかいは適当だ。まあ、最初の何回こそ日本とのちがいに少し驚くが、すぐに特に気にならなくなる。

話が少しそれたが、僕らは、一般的な上海蟹(360元)を一つだけと、あと他のメニューを3つ頼んだ。メインの蟹は、蟹のほぐし身に、絶妙で上品な味付けをしてあり、絶品だった。ほかに頼んだイカの煮付け、湯葉のキノコ詰め、野菜(ホウレンソウみたいな見た目でモロヘイヤみたいな香りの青物)の炒め物も、美味だった。

西安行きの鉄道は22時に出るので、空いた午後は地下鉄に乗って文化名人街というところに行った。ここは書画、骨董、古本の店が並んでいるそうだ。昨日書いたように中国の古本市場は小さいので、古書店の存在は貴重だ。

行ってみると(駅からすごく迷った…)、そこは百数十メートルの短い通りだった。多いのは壺などの高そうな骨董品で、古本は小さい露天のセールと、内山書店という(日本の同名の書店と関係があるのだろうか)小さい店があるのみで、書法関係のものにめぼしいものはなかった。

迷ったせいで歩き疲れたときにうれししかったのは、文化名人街からの帰り道、きのう福州路で見つけたのと全く同じ形態の新古書店を偶然見つけたのだ。新刊本で売れ残ったのを安く買い取って売っている店だ。ここの書法関連の本は福州路のものと似ていて(つまりそこそこ良いということだ)、きのうは見つけなかった本を3冊買った。どれも重く、宿まで抱えて持って帰った。

書くのが遅くなってしまったが、書道に関する本で特に最近出たものは、日本より中国の方が質も量もずっと良いのだ。日本では見ないような種類の本が、入門から玄人向けまで揃っている。だからこの旅行の主な目的は、本をあさることなのだ。

いまは夜の7時を回ったところ。今日は夜行列車でネットはつながらないと思うので、続きは明日の記事で。

中国旅行 2日目 福州路と外灘

昨日の記事に、ちゃんとVPN(検閲回避のサービス)にサインインしたのに、SNSにアクセスできなかったと書いた。Facebookはおろか、Bloggerもブロックされるので、ブログ更新を半分諦めた。とその矢先、昨日の深夜に、VPNが正常に動いてくれた。中国のサイトに比べれば読み込みはかなり遅いが、とりあえずよく使うFacebookとBloggerが見られた。おかげで、こうしてなんとかブログを更新することができる。

ほっと一安心して眠った翌朝。2日目、上海での始めての朝だ。中国の早朝の公園では、オジさんやオバさんが太極拳なりダンスをしていると、かねてから見聞きしていたので、早起きをした。オジさんやオバさんの朝はもっと早いのだろうが、とりあえず6時半に起きて、7時から散歩に出かけた。

15分くらい歩いたところに人民公園というところがあって、新宿御苑のように、植物が植えられている中に小道が走っている場所がある。そこに行ってみると、果たして20人くらいのおじさんおばさん方がラジオ体操(太極拳ではなかった)のようなものをしたり、バドミントンをしたりしていた。右を見れば遊具で筋トレを、左を見れば東屋で将棋らしきものをやっている。

まあこれは見るだけで、公園を後にし、散歩しがてら朝食を探した。

四川中路沿いの小さい店で売っていた、小籠包のようなもの(生煎というようだ)を4つ買ったが、これがびっくりするほどうまかった。日本でちゃんとした小籠包を食べた記憶が無いので比較のしようがないが、ちょうどいい焼き加減の皮の中には、たっぷりの肉汁と、絶妙な味付けの実が入っている。4個では物足りなくて、昼前にもう4個、今度は餃子(同じ味つけ)を買って来た。うまい。

今日は、予定では西安行きの夜行列車の切符を買って、チェックアウトをし、午後は上海観光をしていようと思っていたのだが、調べてみると、今日発の西安行きが、グレードの高い列車の、しかも寝台席しか残っていなかった。西安には、骨董市が開かれる日曜日(8日)の午前中には着いていたかった。列車は西安まで速くても10時間以上かかるので、それには金曜日、つまり今日のうちに出なければならない。

しかし、狙っていた6500円ほどの切符がすでに売り切れ、残っている16000円以上もする寝台席に無理して乗るのは、さすがに馬鹿馬鹿しい。すこし骨董市に遅れても、もう一晩延泊して、土曜日の夜に発車し、日曜日の早朝到着にしたほうがいいだろう。

上海にいる時間が1日延びたので、まだここを楽しめる。とりあえず旅の一番の楽しみだった福州路の書道用具店街にいってみた。ここは洋書を含む大きい書店がいくつかと、篆刻用品、紙を売る店が立ち並んでいる。福州路の店は、みたところ、かなり高級路線だ。ディスプレイは清潔感があって、置いているものは高そうなものばかり。

中国では古書市場が日本ほど発達しておらず、本と言ったら新刊本である。古本屋は見つからない。西安から帰ってきてからも寄れるので、今日は抑えて、4冊本を買った。

日本を発って1日がたち、少し甘いものを食べたくなった。夕方に上海市第一食品商店という老舗の食品デパートにいってみた。金曜日ということもあり店内はものすごい人の入りようだった。ここで、シンガポール人の彼女がいてシドニーに留学していたという国際人のお兄さんの盛んにセールスする菓子店で、椒塩酥というのを買ってみた。小判形で、見た目が日本のパイにそっくりだったから美味しそうだったのだ。

なかに入っている餡が、上海のあちこちで嗅ぐような独特の香りで、はじめはびっくりするが、あとから上品な甘みが来る。これは日本では味わえないおいしさだ。

夜は、夕方に入ってきた、これまた卒業旅行でやってきたという日本のひとと、ご飯に出かけた。昨日から饅頭型のものしか食べていないので、麺を選んだ。僕の頼んだ特色辣肉麺というやつは、ちぢれていないラーメンに、少し辛いあっさりスープと、ひき肉のトッピングが乗っかっているシンプルな料理だ。

この足で夜の上海を2人(男2人)でぶらついた。外滩(わいたん)という、上海を象徴するあの高層ビル群と、その向かいにある、統治時代の石造りの建造物が並ぶあたりを歩いた。夜にもかかわらず、いや夜だからこそ、人で大にぎわいだった。あのイルミネーションは、言葉では言い表せないほどに幻想的だった。

検閲のせいで写真が上げられないのが残念だ。

2015年3月6日金曜日

中国旅行 1日目 上海のユースホステル



成田空港発、上海浦東空港ゆきの飛行機は、予定より1時間遅れて15時15分に離陸した。着陸はそのほぼ3時間後、6時10分(中国時間5時10分)だった。

荷物を受け取り、両替をし、市街へと向かう。中国に入国して、さっそくアトラクションが待っている。日本にはまだ開通していないリニアモーターカーが、浦東空港から出ているのである。地下鉄に比べれば高くつくが、40元(1元は現在約19円)払えば、未知の超高速を体験できるのである。

警備員の何人も配置された構内に入ると、白地に細く緑とオレンジの筋の入った車両が待っていた。私の乗った6時17分発のリニアモーターカー(中国語で磁浮)は、龍陽路までの一駅を時速300キロ、7分で突っ走る。(昼間はもっと速く走る。)

夜で視界が効かなかったせいもあるが、正直、時速300キロはそれほどでもなかった。車輪がないからさぞかし静かに走るんだろうと思っていたら、東京の中央線並みには揺れた。空港に帰るとき(そのときは昼間)にも乗って、もう一度超高速を味わってみよう。

リニアモーターカーを降りた龍陽路から、予約していたユースホステルに行くのには、ここから確か6駅の南京東路という駅まで行けばいい。しかしリニアモーターカーを降りてふと考えてみれば、自分は中国の鉄道の乗り方なんて知らなかった。切符の買い方や、切符の形式、改札の通り方も知らない。以前旅行したタイでは、移動はすべてタクシーと徒歩で済ましたから、海外の電車は初めてだった。

それでも、自分の乗るべき路線が「2号線」という名前だと知るまでに少し立ち往生くらいで、問題無く目的の駅までたどり着けた。

しかし最寄り駅からユースホステルまでが、大変だった。

ネットはつながらないので、ある情報はネットの予約画面のキャプチャ画像に記された住所のみ。見知らぬ外国の街で、Tianjin Road(天津路)のNo. 258という情報だけを頼りに建物を探すのは、簡単ではなかった。ところどころの建物に番号がふってあったおかげで(500番くらいまであった)、258番の「南京青年宿舎」にたどり着くことができた。

結局、天津路を端から端まで一往復くらいして、かなり無駄足を踏んだが、見つけてみると宿は駅からほど近く、大通り(それが南京東路である)から1本外れただけの大変アクセスのよい場所だとわかった。浅草の大通りから1本外れた場所で格安で泊まれる感じだ。

チェックインしてから、真っ先にユースホステルのwifiにアクセスした。とりあえず自分の置かれた状況を把握したかった。

日本を経つ前の夜に、中国のネット検閲をすり抜けるサービスには申し込んである。
中国の検閲は、Facebook、Google、TwitterをはじめとするSNSにはアクセス出来ない。YoutubeやBloggerも、Google関連のサービスだからアクセスできないと聞いていた。けれども、しかるべきサービスを利用すれば、それらにアクセスすることができる。

と思って、そのサービスを経由してFacebookにアクセスしようと思ったら、信じられないことにエラーという表示が出た。何度やっても同じメッセージが出る。何ということだ。このサービスも中国当局に規制されてしまったのだろうか。

もういい。時刻は8時を回っていた。まずは腹を満たすのが先だ、と思い、外に繰り出して軽食(小吃 シャオチー)を探しにいった。ユースホステルを出て30秒もあるけば、軽食屋が何件も並んでいた。ここはやはり立地がいい。

2年前のタイのときもそうだったが、一人で海外の食堂に入るのは僕は苦手だ。何度も同じ道を通って、迷った挙句、1個3.5元の月餅を買った。それを買った店が、「真老大房」というかなり名のある店なようで、宿でbaidu.comを調べたときにみつけていた。そこは見たところ、食堂というよりも、土産物屋といった体だ。僕は朝昼のご飯に加え、機内食(でないと思っていた…)のために、腰を据えて食べるほどには腹が減っていなかったのもあって、月餅を4個買った。
「给我4个」

4個下さい、と店先のオバちゃんに声をかけたら、開口一番「どこから来たのか」と聞かれた。冗談で「韓国だ」とでも言ってもよかったが、こっちの「4個下さい」が通じたのと、向こうの「どこから来たのか」が理解できたのがうれしくて、つい正直に、日本だと答えた。そしたら、オバちゃんが何か言う。さすがにそれはよく理解できなかったが、推測するに、「お前はずいぶん薄着だな」と言ったのだと思う。

それは自分でもわかっている。上海の今日の天気は、というか上海の天気そのものが、東京とそっくりである。もう春めく頃だけれども、日も暮れているし、コートやダウンを来ている人が大半なのは東京と変わらない。そんななか、僕はパーカーでほっつき歩いていたのだから、オバちゃんが薄着だと思うのはもっともなことなのであった。でもこっちとしては、ちょっと涼しいくらいだから別にダウンを着るほどでもないと思っていたのだ。

ともあれ、月餅4個を買うこの数十秒のやりとりが、中国での、僕の始めての会話らしい会話だった。

2015年3月5日木曜日

中国旅行 出発



今日から3月17日までの13日間、中国に旅行に言ってくる。行くのは大都市・上海と内陸の古都・西安だ。PM2.5にも負けず、厳しいネット検閲にも負けず、なるべく毎日ブログを書く。ネットは友人から借りたiPadを使っている。

上海は高いタワーや超高層ビル群が有名だが、博物館などで古いものは見られるし、郊外へ足を伸ばせば杭州や蘇州という風光明媚な場所がある。それに、上海の書店街は一番の楽しみのひとつだ。

西安はかの昔唐の都・長安である。寺院など古い街が残っていて、見るものは多い。何と言っても、書道をやっている人なら一度入ってみたい碑林博物館というのがある。そこは文字通り碑の林立する博物館で、何百という有名な石碑が集められている。それに週末の骨董市もとても楽しみだ。

書にまつわる場所を訪れ、書籍やお土産を買うのがこの旅行の目的だ。多少買い物をしても大丈夫なように、大きいスーツケースは今はほとんど空っぽである。


いま14時、成田空港にいるだが、飛行機の出発が遅れている。