物を作ることと売ること

モノを作るなら、いいもんを作れ。
モノを売るなら、いいもんを売れ。



物として多量に生産されるのであるから、美術品ではなく、工芸品であることは疑いを容れない。すでに工芸品である以上、それには工芸品としての資格、すなわち工芸的な用と美への奉仕が条件づけられねばならぬ。多く作られる以上、多くの人の手に渡るのは覚悟の前であり、多くの人がみな書物の愛護家とは限らず、書物をゴム長へ入れて歩く学生も出てくる以上、どんな手荒いあつかいにも耐えるだけの強さと、その強さにマッチする美しさが具わらなければならぬ。1

はんこ

水野の家は昔から一切の宣伝や広告はやらんと決てます。本音はその費用がおへんにゃ。そのかわり、ええもん作れ、で来ました。ええもん作ってさえいたら人が注文してくれるちゅう信念どす。つまり口コミ利用。2

箕(み)

桜であろうが、あるいは籐であろうが、それのしんにして編みますと、こんなきれいな箕ができるわけなんです。これくらいにきれいに作ってあると、上手に使って一〇〇年はもつんです。一〇〇年もつということになると、サンカが同じところにとどまって仕事ができないんです。わけるでしょう。いいものを作ると売れないんです。売れたらあと買うてくれないんです。いつまでも同じもの使うから。修理には歩く。それがサンカを移動させた大きな原因になっている。次々に作って置いていくわけです。それからせいぜい三〇年も経つと、お前のところの箕はどうなったって尋ねていくと、いたんでおる。破れてしまった。そんなら新しいのをどうだってことになるだろうしね。毎年きやしない。で、移動する。こういう職人が日本に多かった。
 この箕を売りに来る連中なんか、三〇年から五〇年にいっぺんしか来なかったというのはこれなんです。三〇年から五〇年くらいをひとつの周期としてずっとまわって歩いている。どこそこへ行ったら、あそこは昔、わしがこの仕事をしたところじゃから、お前行ってみろなんてことになる。いまはね、じつにその点お粗末に作ってある。できるだけこわれやすいようなものこしらえてね。みなさんそれを買わされて、それで一年か二年するうちにもうだめになっちゃう。電気製品なんか買うて、そうしてしばらく使っておって修理しようとすると、もう部品がありません、そんなものだめですなんてやっている。ところが、われわれの過去の時代はそうではなかった。おそろしく丈夫なもの作っちゃってね、丈夫なものを作るのがあたりまえで、そうすると、作るものの側は仕事がなくなる。なくなるから移動しなければならなくなる。しかし、それでお互いの信頼がたち切られたのでなくて、ああ、三〇年ほど前に来たなってことで、それじゃまた仕事をしていけということになる。あれの息子が私ですなんてね。それがこういう精緻なものを生み出させていった原動力になっておったんだと思う。つまり、お互いの信頼がこういうものを作りあげていったんだということがひとつわかります。3

1. 寿岳文章(1973)『書物の世界』出版ニュース社(130ページ)
2. 水野恵(2002)『日本篆刻物語』芸艸堂(186ページ)
3. 宮本常一(2003)『民衆文化と造形 宮本常一著作集 44』未來社(83-4ページ)

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