日本在来の食生活

タイトルはあえて和食としなかった。和食と言うと、料亭で出すような高級で上品な料理までも連想してしまうからである。もっと庶民的な食事のことを書きたいので、わざと在来の食生活という言葉を使った。

日本人が何を食べてきたかに興味がある。特に、日本の人口の大部分を占めていた、農村、漁村、山村の人々が、何をどう食っていたのか、最近とみに気にするようになった。自分が一人暮らしをしていて、毎日食べるものを自分で考えることができる/考えなければならないからではないかと思う。

けれども、もっと直接的なきっかけは、アズマカナコさんという主婦を知ってからだ。東京郊外に住むアズマさんは、おばあさまの影響もあり、昭和以前の衣食住を実践している。くわしくはこちらのインタビューブログに譲るとして、たまげたのは、アズマ家は2児を持つ一般家庭でありながら、なんと冷蔵庫を使っていないのだという。もちろん、自ら手放したのである。したがって冷蔵や冷凍の要る食品は保存がきかず、すぐに食べてしまうか、別の方法で保存するかしなければならない。

そういう冷蔵庫に頼らない食生活を工夫した結果、和食が一番作りやすかったと、アズマさんは『昭和がお手本 衣食住』で触れているのだ。

アズマカナコ(2014)『昭和がお手本 衣食住』けやき出版


冷蔵技術がなかった当時の日本の生活を再現してみたら、食事はその当時食べられていたものが一番適していたということで、当然というば当然の話ではある。高度経済成長の初期、三種の神器として普及し始めた冷蔵庫が、いかに現代の食生活を多様にしたかがよくわかる。

調味料でいうと、味噌や醤油をはじめ、塩、酢、みりんなどは、常温で保存ができる上、味噌漬けや塩辛など、他の食品に加えれば長期保存させることができる。マヨネーズ、ケチャップ、バターなど、近代以降日本に入ってきた調味料は、冷蔵しなければ傷んでしまうし、食品の味を整えるだけで保存料としては使えない。日本在来の調味料は、日本の気候や食生活に合わせて作られた、便利な調味料なのである。

そういう食事法を少しだけでも実践してみたいと思っている。冷蔵庫や海外の食品を手放す勇気はないが、なるべく頼らない工夫をしたい。

日本在来の食事(法)に対する関心がさらに高まったのは、宮本常一の「すばらしい食べ方」を読んでからだ。これは7月に読んだちくま日本文学の『宮本常一』に収められていた。

宮本が旅先でご馳走してもらったものを短く12章にまとめた文章で、それを読むと色々のことが分かる。日本人は弥生時代の昔から米を主食に食べてきたと思っていたら、実は話はそんなに単純ではなかった。地域によってはサツマイモやサトイモも主食であった。食品だけではない。膳の形式の発展、酒の飲み方の移り変わり、鍋を吊るす地域(自在鉤)と下から支える地域(五徳)の分布など、勉強になることばかりである。また一つ賢くなった、と随所で思いつつ、宮本の文章に一々食欲がそそられた。

昨日、宮本常一著作集の『食生活雑考』を読み終えた。宮本は、日本人の食生活にもかなりの関心を寄せていた。その考察の範囲は縄文から現代に及ぶ。日本全国を旅した宮本は、旅先の泊めてもらった家でご馳走してもらい、そこでの食生活を見聞きして情報を蓄えた。各地の食生活を調べようと思ったら、民家へ行ってそのうちの食事を食べさせてもらうのが一番である。だからこそ、宮本常一にしか語れないことがある。

宮本常一(1977)『食生活雑考 宮本常一著作集 24』未來社

知りたいという欲求は、食いたいという欲望に突き動かされている。

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