2014年7月13日日曜日

「書道八段」は大した称号じゃない

自分では当たり前だと思っていることは時として、他人にとっての当たり前ではない。

習字の段級に対する認識の違いは、そのいい例である。習字の七段とか八段とか師範とかを持っていると、一般に「すごく出来る人」だと思われる。ところが、剣道八段などに比べたら、レベルははるかに低い。

大学生になって自己紹介をする機会が増え、私のかつての習字の段位について同じことを5度も6度も言ってきたので、何かの参考になればと、書き留めておく。

2012年7月の記事より

私は小学1年から習字をやっていた。小、中と9年間続けたが、高校1年の半ばになって、高校と塾が正反対の方向になり、時間的に両立が難しくなってやめた。というよりも実は、高校で書道部に入り、書道というものを知ってから、これ以上習字塾に通い続けても得るものは少ないと思ったのもある。(習字と書道との違いは書くと長くなるので、またの機会に。)

習字塾では、最終的に一番高くて準八段か八段を取った気がする。詳しくは忘れたが、高校生になると一般の部扱いになるので中学までの段位はリセットされて、何級からスタートするというシステムがあったから、八段は最終的な段位ではない。

思い返してみると、私は高校大学と、自ら八段を持っていましたと言ったり書いたりした記憶がない。言う資格がないと思っていたのである。

ところが、小1から習字をやっていましたと言うと、段とかどうだったんですか、と聞かれることが少なくないので、一応八段だった気がします、と答える。すると相手は「へえ」とか「おー」とか感心してくれる。なのでここ1、2年は、私は必ずこう続けることにしている。

実際のところ段は実力をあまり反映してないです。半ば自動的に段が上がっていくので、少しうまく書ければ昇段はけっこう簡単なんです、と。

実際そうなのである。私は長野県内のまあまあ大きい某会に所属していたが、昇段のシステムは全くわからなかった。もちろん小中学生のころの私は、右も左もわからずにただ漫然と字を書いていただけなので、昇段の仕組みなんぞに興味を持つわけはなかった。私の記憶が正しければ、1年に2回くらい、昇段試験がありますからこれこれを書きましょうと先生が指示するので、お手本をそれなりに頑張って書いて提出した。何週間かして、気づけば昇級していた、という具合だったのである。

9年強の間習字を習って、学校の書写の授業で褒められるくらいの筆の動かし方は身についたかもしれない。しかし段に見合うだけの実力は、はっきり言ってなかった。上達したという感覚は、ほとんど持ったことはなかった。非常に浅い学びだったのである。高校の書道部に入り、塾をやめて、少し世間が見えるようになって、初めてそのことがわかってきた。

以後私は、かつて習字で何段を持っていました、と言うことは意味が無いと思ってきた。

去年臨書した孫過庭「書譜」

書道の昇段の基準は、そもそも全国で統一されたものがない。その上、字のうまさはどうしても主観だから、将棋のように、何勝すれば五段、みたいな規定が作りにくい。昇段はよく分からぬブラックボックスで、団体によって基準はバラバラ。小中でコツコツ続けていれば、八段は意外と簡単にとれてしまうのである。

一方、剣道、柔道、将棋などの段級位は、全国統一の基準があり、同じ八段でも、難易度は桁違いに高い。剣道八段の合格率は1%にも満たないし、柔道では初段で既に黒帯である。

習字の八段は、大した称号ではない。だから自慢するほどのものではないのである。有名人が「書道八段」とか「師範」とか言っているのも、私は評価していない。彼らのやっていた「書道」は、往々にして先生のお手本を真似することであって、決して芸術としての書道ではない。

柔道はヤワラちゃんみたいに四段でもオリンピックに出られるが、「書道八段」だけでは、毎日書道展や読売書法展、日展のような全国レベルの公募展はおろか、まじめに書道をやっている高校生にも及ばないと私は信じる。そういう実情なのである。

1 件のコメント :

  1. 書道は生涯かかる何の用もないことだ。何を達成することではない。

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