2013年3月31日日曜日

Blog Title Change / ブログタイトル変更のお知らせ

Important! I've changed the blog title. A farewell to Bokutachi no Karuma (僕たちのカルマ 'Our Karma'), the old title that I have used since the start of this blog more than 6 years ago. The new name is beborrock!

This is pronounced 'be-BOH-rock' (with the final syllable pronounced in some British way). If you're familiar with Japanese, I'll be happy if you call my blog bibouroku (/biboːɾokɯ/, technically speaking) because the new title was named after the Japanese word (備忘録) for 'memorandum' spelled based upon the English orthography. (Thank you my friend for your kind suggestion!)

I omitted the final vowel u in the original Japanese word with solid grounds, not only to make the new name look English-like; I approximated the phonetic realization of the Japanese word by English spelling. In Japanese (or at least in Tokyo dialect), /i/ and /u/ (that are called high vowels) are pronounced with no vibration of the Adam's apple (or "devoiced," linguists say) in certain contexts. These devoiced vowels are hardly perceivable by non-native speakers. In fact, I suppose the final vowel in this case is as good as deleted. That's why the new title is consonant-ending. After all, names like beborroku were awkward.

Not a lie on the April Fools day, you know. :D

* * *

重要! 突然ですが、ブログのタイトルを変更しました。新年度のスタートを期に、今日からこのブログは、開設以来6年来使ってきた「僕たちのカルマ」に別れを告げ、なんともいかす「beborrock」という名前になります。日本語で「備忘録」と読んでください。

今までのタイトル「僕たちのカルマ」の由来は一度も書いたことはないのですが、大した意味は無いのです。このブログは、もともと友達とのいろいろなイベントを記録するために作ったもので、「業(ごう)」を表す仏教用語の「カルマ」を、「行い・イベント」と解釈してタイトルにしました。(その友人の存在を意識したので、「僕たちの」と3人称なのです。)

嘘です。順番が逆です。何を隠そう、この「カルマ」、飼っていた家のかわゆきカメの名前なのです。(まだ、います。今年もそろそろ冬眠から冷めるはずです。)このカメにちなんで、タイトルを決めたのです。

中学2年の当時は、とにかくブログを作ってしまおうと深く考えずにいたので、この程度のネーミングになってしまいました。大して思い入れはないのです。タイトルが内容を反映しなくなってくると、浮いてきてしまいました。

というわけで、タイトル変えよう計画が、実は年末から始まっていました。2013年が明けると同時にタイトル変更!と行きたかったのですが新タイトルが定まらず、では2月中旬のブログ6周年を期に変更!としようと思ったのですが、それも間に合わず。延び延びになって、やっと新年度の幕開けとともに、タイトル変更が達成されました。

考えあぐねました、一応。このブログの性格や書き手の心構えから、「km's learning blog」がずっと第一候補でしたが、真面目くさって見えるのが玉に瑕。シンプルに「km's blog」もいいかなと思いましたが、ググッたところ、同名のブログが幾つもあることが分かり、ボツ。書道(calligraphy)も好きだから、「calli-blog-raphy」(calli-はギリシャ語由来で「美しい」)とかドヤとも思いましたが、キザなのでやめました。どれも決め手に欠けます。

そんなさなか、それは確か3日前(3月29日)の深夜、布団の中で新しい名前をぼんやり考えていると、何かの拍子に、「備忘録」という言葉がひらめきまた。そして、それを発音つづりに英語っぽく書いたらトレンディだと思いました。「備」は「be」かな「bee」かな、「忘」は「baw」かな「bau」かな、「録」は「rock」より「lock」だななどと色々考えて、とりあえず「bebohlock」という言葉が完成。その後アメリカの友達の助言をもらい、「beborrock」としました。シンプルだしユニークだし(検索してもヒット無し)、ブログの方針にも合っているし、いい( ・∀・)イイ!!。何週間も考えた案がふとしたひらめきで全て覆ってしまいましたが、これで決まりです。

さて、「beborrock」。改めて見ると格好つけすぎです。気恥ずかしい。すぐ慣れます。きっと。

綴りはなるべく英語っぽく、それでいて発音は日本語に近くなるように工夫しました。あと、なんか固有名詞を小文字で始めるのが流行りっぽいので、真似をしてみました。

またまたぁ、今日はエイプリルフールだからって、気の利いた冗談だね、ですって? ええ。そういう心配もあろうかと、嘘がつけないようにしました。上に戻って投稿日時をご確認あれ。

あと、勘のいい方なら、最後の「u」、「roku」の「u」はどこに行ったと思うでしょう。その疑問を解消しておくために、まずは喉仏に指を当てて、いつもの会話の調子で「備忘録」と言ってみてください。次に、「く」をすごく意識して、もう一回言ってみてください。多分、少なくとも関東あたりの方言を話す人なら、1回めの「く」では喉仏が振動せず、2回めの時は振動しているはずです。なりました? これ、何が起こっているのかというと、1回めの「ku」は音声的に「ku」で無いのです。専門用語になりますが、「u」が無声化しているんです。(この単語は音韻的には/biboːɾokɯ/と表されたりします。これ以上は突っ込まないことにするので、興味を持ちましたら、日本語の母音無声化をお調べください。)この無声化により、「備忘録」は音声的に子音で終わっているようなものなので、「beborrock」にも最後の母音は含めなかったというわけなのです。

2013年3月30日土曜日

脱ネットのすすめ:『つながらない生活』と『毒になるテクノロジー』

ネットに対する熱が、少し冷めてしまっていた。

ウィリアム・パワーズ(有賀裕子訳)(2012)『つながらない生活』プレジデント社
William Powers. (2010). Hamlet's Blackberry. Harper.
つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方 [単行本] / ウィリアム・パワーズ (著); 有賀 裕子 (翻訳); プレジデント社 (刊)

ラリー・D・ローゼン、(児島修訳)(2012)『毒になるテクノロジー』東洋経済新報社
Larry D. Rosen. (2012). iDisorder. Palgrave Macmillan.
毒になるテクノロジー iDisorder [単行本] / ラリー D.ローゼン, ナンシー チーバー, マーク キャリアー (著); 児島 修 (翻訳); 東洋経済新報社 (刊)

そう思っていたところへ、上の2冊が前記事の本と同じ書棚にあったものだから、つい手にとってしまった。

ここ1か月あまり、急にストンとインターネットの世界に興冷めしてしまった。多分2月後半からというもの、気づけば「脱インターネット」とか「反テクノロジー」とかのことばかり考え事をしている。いろいろ思うところはあるのだが、アンチ・インターネットなことをつらつらとインターネット上に書くのは皮肉以外の何物でもないので、簡潔に。

ネットの情報が途方もなく莫大で、どうしようもないほど浅薄なことに気付き、嫌気が差してしまった。

私はかなりのインターネット好きで(中毒かな?)、ついついクリックをしていろいろなところを見てしまう。だが2月のある日、Facebookをしていてリンクをたどるうちに、リンクがリンクを呼び、情報が私の処理能力を凌駕し、溢れかえっているのに気付いた。どす黒い津波のように、情報が氾濫し、押し寄せてくる気がした。量が多いだけならまだしも、ほとんどが実のない全く皮相なものばかりだと来た。これは暴力だとさえ思った。急にショックを受けた。

そして、それまでどれだけ貴重な時間を無駄にしてきたのか痛感し、悔しさが込み上げた。もちろん悪いのは自分なので、この虚脱感をやる瀬はない。

今ごろ何を言うかと思うだろうが、ネット上の世界がこの世を形作っているのではないと意識し始めてからは、ネットに対する態度が冷め始めた。もしくは少し冷静でいられた。

同じようなことを考える人は(当たり前だが)私以外にもいて、先日は、大学の友人で私と同じ反スマホ派の方と、いかにインターネットや携帯から離れるかについて話したばかりだった。(「脱ケータイ」および「反スマホ」も、ここ半年くらいちょくちょく考えていたが、どうやらスマートフォンは無くても大丈夫としても、全くのモバイル機器無しは難しいという結論に至った。)そして『つながらない生活』の著者パワーズも、似た考えを持つ1人だった。彼も、「世界とつながることはいいことだ」というパラダイムに、違和感を持っていた。

パワーズがカタブツの一昔前のアナログ派なわけではない。むしろその反対で、テクノロジーなどに関するライターである彼は、パソコンやスマホが仕事道具のバリバリのデジタル派だ。メールをあまりしない私なんかより何十倍も「つながった」生活をしている。彼がつながりすぎた生活をしていたからこそ、つながりの氾濫した現代に疑問を持ち始めたのだ。私はどちらかと言うとネットの情報爆発と時間の浪費に嫌気が差しているので、パワーズと少し方向性は違うが、同じ問題の違う側面に過ぎないと思う。

彼はつながった生活とつながらない生活の調和を、同じくテクノロジーの転換期(紀元前から20世紀まで)に生きた7人の先人の生き様に求める。温故知新というわけだが、正直、この部分はこじつけに感じられてつまらない。だが、彼のメッセージはよく伝わった。世界とつながって他人から「ちょっかいを出される」のはもう懲り懲りなのだ。

本書を読みながらインターネットに耽るのはとても悔しかったので、試しに、パソコンの電源をつけて世界と「つながる」のは最小限にしてみた。本書を読み始めた昼下がりから、読み終わる翌日の昼前まで、パソコンを開いたのは1時間は裕に切っているはずだ。いつもは朝食後にパソコンを立ち上げて「つながる」のが習慣になっていたが、それは我慢した。分かりきっていたことだが、数時間インターネットから離れたところで、何の損失もなかった。

2冊めの『毒になるテクノロジー』は、興味あるところだけをざっと流し読みしたが、なかなか深刻な問題だ。こちらは毛色が少し違って、心理学教授である著者が科学的な知見を基に、テクノロジーによって変わりつつある人間の行動、心理を分析している。著者はテクノロジーの過剰利用によって生まれた様々な精神疾患を、「iDisorder」と名づけ、実例とともに症状、原因、対策などを挙げる。

例えば私は依存症だろうかと思って、専門に開発された尺度を当てはめてみたが、少なくともそう診断されるおそれは無さそうだ。確かに私は、暇があればFacebookかもしれないが、例えば地元に帰って、野良仕事のために1日インターネットが使えなくても、全然平気だ。

ただ、一つ気になる症状があった。性格だと思っていたものが、どうやら立派な名前を与えられているらしい・・・・・・。まじかよ。

――
・以上、浅薄な愚痴に付き合わせてしまい、誠に申し訳ありません。
・あ、あとこれだけ言っておきながらインターネットにいる時間はほとんど変わっていないので、まったく不言実行の対極もいいところですね。

2013年3月29日金曜日

古井貞熙『人と対話するコンピュータを創っています』


人と対話するコンピュータを創っています  音声認識の最前線 [単行本] / 古井 貞熙 (著); 角川学芸出版 (刊)

というのを読んだ。

今まで言語学というおよそ就職と結びつきそうにない分野に興味を持って、いくつか本を読んできたわけだが、少しは将来のことも考えねばならぬ。実社会に役に立つ、応用分野の本を一つ読んでみた。人間の声をコンピュータが解読する、音声認識という分野だ。

音声認識といえば、最近取り沙汰されているのはSiriか。他にも、自動字幕付与やコールセンター、口頭によるデータ入力、ゲームからバウリンガル(犬の鳴き声認識)など、音声認識は実用化が進んでおり、また研究も盛んだ。

東工大の教授(現在は名誉教授)が易しく書いた本だが、一部は私には難解だった。ある程度の知識、特に確率論や統計学の知識がないときつい。音声分析ソフトとデジタル信号処理のごく初歩を知っていたことが、せめてもの救いだった。

音声学で食っていく道もあるかなと期待して読んだが、言語学というよりほぼ計算工学で、高度な数学が不可欠なことが判明しややがっかりしている。

木の板にアクリル絵の具塗って鍋敷き作った


こちらは1月下旬に作った
おどろおどろしくなってしまった
杉 アクリルガッシュ
直径21cm

こちらは3月下旬に作ったもの
けばけばしくなってしまった
杉 アクリルガッシュ
直径21cm

2013年3月16日土曜日

P・トラッドギル『言語と社会』

旅行中に7割方読んで、今日残りを読んだ。

P・トラッドギル(1975)『言語と社会』岩波書店
P. Trudgill. (1974). Sociolinguistics: An Introduction. Penguin Books.

言語と社会 (岩波新書 青版 C-99) [新書] / P.トラッドギル (著); 土田 滋 (翻訳); 岩波書店 (刊)

言語と社会の関わり合いに関する研究は、60年代あたりからようやく始まった新しい分野だ。本書は社会言語学の幕開けから間もない1974年の出版。著者のトラッドギルは、この分野のパイオニアの1人である。

私は社会言語学にはあまり興味はなかったが、先学期に関連する授業を受けて知識は増えたので、ここでひとつ有名どころを読んでみたというわけだ。

邦訳は新書なので、難しくないし、基本は全て抑えてあると思う。章立ては、1導入、2階級差、3民族差、4性差、5場面差、6言語政策、7地域差(ピジンとクリオール含む)。随分前の本だが、いくつかの調査はいまだに社会言語学の古典的な事例として取り上げられている。入門にいいと思う。

2013年3月15日金曜日

美濃の和紙とか一人旅

12、13、14日と、2泊3日の岐阜(+名古屋)旅行に1人行ってきた。今朝明朝に帰ってきた。この春休み、大学の友達が多く海外へ飛ぶ中、私は国内で留守番をしていたわけだ。

一番の目的は美濃市の手漉き和紙だった。美濃市は、1300年の歴史を誇る日本屈指の和紙の里であるそうで、体験施設もある。先日、文化庁が、ユネスコ無形文化遺産に美濃の和紙を含む「和紙:日本の手漉和紙技術」を提案したことがニュースにもなっている(文化庁の報道発表)。伝統工芸、特に書道をしている身に身近な和紙には、興味があった。

そっちに行くついでに、多治見と名古屋にも行ってしまえという詰め込み旅行であった。多治見は美濃焼、名古屋は「名古屋めし」(特にういろうと味噌カツ!)が目当てであった。

12日(火)は、移動に費やされた。美濃市の私の泊まったところは(こう言っては申し訳ないかもしれないが)山間部の片田舎で、交通の便が悪く(最後の乗り換えの電車が1時間に1本くらいで、さらに、最寄り駅から8kmくらいある)、かなりバタバタしてしまった。こういうところは車で来るべきなのだと痛感。

私が泊まったのは、「笑び」というゲストハウスで、周囲数kmで唯一の宿泊施設みたいだ(わらびという地域にあるのでこの名前)。そこに東京から学生が1人でノコノコとやってきたわけだ。その晩は、カヌーをしにいらした3人のグループとご一緒した。

「笑び」外観

夜は明けて13日(水)、この日のメインは「美濃和紙の里会館」での紙漉き体験と、美濃市街の散策だ。もちろん初めての紙漉きで、どきどきわくわくだった。本当はじっくり「1日コース」でいろいろ知りたかったのだが、団体客の予約がすでにあり叶わなかったので、一番シンプルな美濃判コースで我慢。意気込んで臨んだ。モミジを漉き込んだ厚手の美濃判が、あっという間にできてしまった。今大事に持って帰ってきたが、どう使おうか考え中。

美濃和紙の里会館の体験スペース

紙漉き体験の他に、会館にはいくつか展示があり、伝統的な紙漉きの様子のジオラマなど、勉強になったことも多々。売店では、美濃紙の半紙(機械漉き100枚)と、色付きの典具帖(手漉き1枚)を買った。値段は機械漉きと手漉きで、桁が2つ違う。

和紙工房が、点々とある。和紙の里に来たのだということを実感する。今はかなり減ったのだろうが、昔はもっと立ち並んでいたのだろうか。

午後はそこから長良川を下流に車で15分くらいの、美濃市街に行った。市街地は、和紙問屋街として栄えた頃の古い町並みが残されており、「うだつの上がる町並み」として有名だ(という知ったかぶり。ええ始めは「うだつ」が何かも分かりませんでしたよ)。目的は相変わらず和紙だが、一通りぶらぶらした。和紙製品の店はいくつかあり、物色させてもらった。

うだつの上がる町並み

夕食に、「笑び」のオーナーの池上さんがとてもいい機会を設けてくださった。池上さんのご友人で、和紙を漉く伝統工芸士になるべく最近弟子入りした方と、一緒にごはんを食べたのだ。いろいろなお話を伺うことができた。思わぬ幸運だった。

3日目、14日(木)は、和紙の里とお別れである。

本当はこの日はまず飛水峡に寄りたかったのだが、お金がなく、それに行く気力もなかったので諦めて、多治見駅周辺に直行し陶器探しをした。美濃焼で有名な多治見―土岐―瑞浪一帯は、日本最大の陶磁器生産地なのだという。小さなどんぶりが個人的に欲しくて、あと急須を親に頼まれていたが、目抜き通りから外れたところに安くていい店があって(お店のおばさんが、ここのはほぼ全て本物の美濃焼だとおっしゃったので、外国製のおそれはなかろう)、2つともそこで買えた。おばさんが積極的に接客してくださった。いい買い物ができたと思う。

この日は、美濃焼を除けば予定がスカスカだった。この日の予定を立てる余裕がなく、行き当たりばったりだったのだ。昼下がりには買い物が終わってしまって、あと名古屋の食べ物巡り以外、夜行バスの出発まで特になし。

とりあえず4時台に名古屋へ。祝、初めての名古屋。大都会名古屋。

名古屋に来た理由は単純、おいしい名物がいっぱいあるから。ういろう! ういろうは、多分まだ1回しか食べたことがないが、そのときに惚れた。あとは味噌カツの本場でもある。その2つを本命に、やって来た。

ところがそこでとても残念なことが起きた。多治見駅前の本屋でガイドブックを立ち読みして、名古屋駅周辺の味噌カツ屋でここに行こうと決めていたところが、いくら探しても見つからなかった。おかげで栄駅―伏見駅の間を1往復半もするはめになり、しぶしぶ諦めざるを得なかった。じゃあ、どこで食べればええねん。あてもなく地図もなく、足はすでに疲労でいっぱい。何としても名古屋で味噌カツを食べてやると、4時半から7時前まで2時間は裕に歩き通したが、いい味噌カツ屋はなし。

次第に気力も萎え、最終的に折れて名古屋駅地下のラーメン屋で妥協したチクショー。腹が減って、足も棒になっていたからこの際もうなんでもよかった。(この日は24000歩も歩いていた。)味噌カツ丼は一応おととい美濃市街で食べていたし。(だが、いま一度インターネットで見ると、よだれが出て全く悔しい。いつかまた行ってやる。)

さてまとめよう。まず「笑び」の池上さんには本当にお世話になった。ありがとうございます。送迎などなど、バタバタしてご迷惑をお掛けした。そこらを観光しようと思ったら、車は必須だ。

また和紙のことは、あれこれ勉強できた。和紙技術を守ろうと、美濃では様々な試みがされている。その一端に触れただけでも、今回来た甲斐があった。できなかったこともあるので、機会があればまた訪れたい。1人で行動したためか、たくさん刺激を受けた。

ついでなので、先日偶然見つけた動画を紹介しておく。

2013年3月10日日曜日

K・M・エリザベス・マレー『ことばへの情熱』

とうとう「読書」カテゴリ100記事目の投稿である。(まあブログに書いている本に特に基準は無いし、記事1つに2冊以上紹介しているときもあるので)100記事目、という以外に意味は無いのだが、それでも大きなの区切りではある。図ったつもりはないが、本書はその節目にふさわしい。

秋に英語史の授業で先生が紹介していて、読みたくなった。2段組で、本文のみで400ページ近い大作だが、頑張って4分の1ずつ読んで、4日で終わらせた。

K・M・エリザベス・マレー(加藤知巳訳)(1980)『ことばへの情熱―ジェイムズ・マレーとオクスフォード英語大辞典』三省堂
K. M. Elizabeth Murray. (1977). Caught in the Web of Words. Yale University Press.

この伝記の主人公を、この記事に簡潔に書き表わすにはどうすればいいだろう。比類なき教師として、威厳ある父親として、博学なる言語学者として、そして、偉大なる辞書編纂者として、後にも先にも、洋の東西を問わず、その主人公、ジェイムズ・マレー(James A. H. Murray)に優る者がいるだろうか。

彼は、その畢生の大事業、The Oxford English Dictionary(OEDの編纂によって、歴史に名を残した。

1837年にスコットランドで生まれたマレーは、幼い頃から好奇心の塊だった。地元の地質、植物、昆虫、方言、文字、博物、自然科学などなどに興味を持ち、学校ではラテン語、ギリシャ語の古典語や、仏語、独語など多くのヨーロッパの言語を学んだ。そのずば抜けた賢さに、彼の教師は驚いたという。学校を卒業し教師になるが、子供好きで、その知識量と生徒への思いやりへの評判は上々であった。仲間と設立した考古学会で考古学の知識も深め、古期英語の研究も始める。やはり彼の並外れた知識に、周囲は関心せずにはいられなかった。彼はまだ20代であった。

結婚してロンドンに移ってからも、言語学会でのスコットランド方言に関する研究などで徐々に名声をあげた。教師の仕事も見つけ、またまた生徒に大人気の先生になった。

一方、1850年代から、言語学会では新しい英語辞典を出版しようという企画が始まっていた。1828年にアメリカで初版が出版された、あのウェブスターの辞書をも凌ぐ、最上の英語辞書を編もうというのである。出版社は編纂者を探していた。この大辞典の編纂には、英文学のみならずヨーロッパ諸語の広い知識、言語学の知識、そして強靭な意志が不可欠である。そこで言語学会は、マレーというすごい研究者がいると、彼を推し、1876年、出版社は彼に話を持ちかけた。かくして、田舎出身で大学も出ていない一介の学校教師が、最高峰となる大辞書の編纂者に大抜擢された。

ここで話をやめれば、すばらしい出世をしたマレーの類まれなるサクセスストーリーである。しかしこの後の編纂作業によって、彼はそれまでの幸せな生活に別れを告げ、文字通り最期まで、編纂という重責に縛り上げられ、心労に耐えなければならなかった。

マレーも協力者も出版社側も、辞書編纂の時間、費用、規模すべてを楽観しすぎていた。

マレーが仕事を始めた直後の1880年には、AからZまですべては19世紀中には終わると見積もっていた。だが進捗は遅々として、1897年にマレーは、1910年までには終わるだろうと予告した。だが結局、最後の分冊が発行されたのは1928年。1857年の提案から71年、第一分冊の出版からは44年が経っていた。マレーは35年間編纂に関わったが、1915年に亡くなっており、完成を見ることはなかった。

出版社の理事会も、進みが遅い、金を払っても原稿が仕上がらない、などなどと散々編纂者を脅しつけ、介入したが、それでもマレーは妥協はしなかった。彼の強靭な意志なしには、今日のOEDはなかった。

7000ページという当初の予定は大幅にはずれ、1933年の補遺を含め12巻、約16000ページの大辞典がこうして完成した。

OEDはその歴史的アプローチが最大の特色である。あらゆる時代のあらゆる語形、あらゆる用法が網羅されている様に圧倒されたければ、百聞は一見にしかずである、このブログを読むより大学図書館などに行き、ぜひ自分の目で見るに越したことはない。ICUには、1989年の第2版、全20巻がある。英知の結晶を、ご覧あれ。

――
書きすぎた・・・。本書の出来? うーん、翻訳未経験の氏には、荷が重すぎたか。

2013年3月7日木曜日

風間喜代三『言語学の誕生―比較言語学小史―』

1か月以上ぶりに本のことを書く。いろいろと忙しかった2月が終わり、春休みに入って時間ができた。この間にも本は2冊くらい読んではいるが、ブログに書くほどでもなかった。授業や期末レポートのために目を通した本なら、もっとある。だがこの本は、特筆に値するだろう。頑張って2日で読んだ。

風間喜代三(1978)『言語学の誕生―比較言語学小史―』岩波書店
(名前はきよぞうと読む)

(現代言語学につながる)言語学は、比較言語学に始まった。比較言語学とは、共通の祖語をもつ言語、つまり同語族に属する言語を通時的に比較することにより、その祖語を再建する学問分野である。

いま、比較言語学に始まったと言ったが、正確には、言語学はインド・ヨーロッパ語族に属する言語の比較研究に端を発する。18世紀後半、多言語に通じたイギリス人のウィリアム・ジョーンズは、インドの古典語サンスクリット語とギリシア語、ラテン語が、語彙や文法に関して、偶然にしては多すぎるほどの一致を見せることに気づき、1786年にカルカッタでの講演で、それらの言語が今はなき共通の祖語から分かれ出たのではないかと述べた。この彼の一言がきっかけとなって、主にドイツで、自分たちの遠い祖先がかつて話していた言語、すなわちインド・ヨーロッパ祖語(Proto-Indo-European)の探求というロマンに向けた、新しい学問が生まれる。

ただ、ロマンに満ち満ちているのはいいが、この印欧祖語の再構築という難題に取り組むには、18世紀の言語学はあまりに未熟だった。ロマンティシズムを乗り越えて、立派に言語学と呼べる分野が成立するには、ジョーンズの講演から1世紀は待たなければならなかった。

本書は、主にジョーンズの発表から1900年前後のソシュールに至るまでの印欧語研究を追ったものである。印欧祖語の再建の方法論の上に、反省に反省が重ねられ、今日の広大な言語学があると言っても過言ではない。それを振り返るのが、本書であろうか。

個人的な感情を言わせてもらえば、印欧祖語の再構築はロマンだ。それは私の中で紛れも無い事実だ。系統的に全く関係のない日本語を話す私にとっても、北はアイスランドから南はインドに至る大語族の諸言語の源の源がどういう形をし、どういう音をし、そして、どこで話されていたのか、わくわくせずにはいられない。これほど知的好奇心をくすぐるものがあろうか。

本書は端々の文献に言及される。名著なのだろう。後半はかなり難しかった。

2013年3月5日火曜日

やっと春休みが来た

やっと春休みを迎えた。(ICUは春休みが始まるのが他の大学と比べても1か月は遅い。)

今学期の試験期間は、試験こそ無かったものの、期末レポートがボンボンボンと3つ。1週間パソコンの前に座りっぱなしだったと言っても過言ではない。座ってばかりであまり背を伸ばさなかったので、体が曲がったまま生涯を送ることになるのではないかと思った。

レポートは、1つ目は日本の方言に関するもの、2つ目は英語のつづりと発音の対応に関するもの、3つ目は英語のwhowhomの使用に関するもので、図らずもどれも言語学の関係だった。(時間に余裕が出た証拠に、それぞれの締め切りを図にしてしまった。)この1週間、あまりに言語のことを考えすぎて、昨日(3日)あたりから気持ち悪くなるかと思った。

黒字が締切日。今日すべて終了。

いやレポートに話を限らなくてもいいなら、日本語の付加疑問文に関するプレゼンテーションの準備があったし、別の授業では英語の大母音推移(GVS)についてのプレゼンもあったので、少なくとももう10日は言語にどっぷりと浸かっていた。(友達に先日指摘されて気付いたが、今学期は体育以外のすべての授業が何らかの形で言語学に関わっていた。)プレゼンが終わると、趣味からだが、中国語史の本も読んでいたっけ。

それにしても、この1週間のなんと長かったことか。1週間前に(最初のレポートのための)文献を読んでいたのがかなり過去のことに思える。懐かしくすらある。

特に最後のやつ、今日提出したレポートは、テーマ決めから悩んで、しかもやや見切り発車だったので、あまり楽しくなかった。これにはかなり参った。

2月以降は他の用事もかなり重なって、ここ数日で特に神経をすり減らしていたら、3月の予定を立てるのを忘れていた。この春休み、何しよう。