レジ袋でできた縄を色々に使う

前回の記事で作ったレジ縄を、実際に使ってみた。

まずはしめ縄にしたい

この縄、材料こそ違え、手で綯った縄である。形は、どこをどう見ても、しめ縄に使われる荒縄のそれである。まずはしめ縄として使ってみるのが穏当だろう。紙垂(しで)を用意しよう。

紙垂を切る

僕の地元はこの形

ちなみにこの紙垂、私の地元(長野県)の切り方でやっているが、ネットでちょっと調べても、こうはっきりとした非対称形のものは出ない。紙垂の形にも地域差があるみたいだ。

紙垂を、縄に噛ませる

それはさておき、やってきたのは都内某所。紙垂を縄にセットした。

*しめ縄を色々なところに付けるというのは、デイリーポータルZの西村まさゆきさんの着想です。「ポータブルしめ縄でお前を神社っぽくしてやろうか」を参照。西村さんには許可をとって行いました。

しめ縄と言ったら、僕は正月の飾りを思い浮かべるのだが、神聖なものの前には張り巡らされていることが多い。神社にも掛かっているし、横綱も付ける。神道のアニミズムでもって、巨石や巨木にも巡らせる。

大きい木ならたくさん生えているので、そこら辺の大木を勝手にご神木にしてみたい。

ご神木が生まれた
神が宿った

縄の色が不自然なので、偽物だというのはかろうじてわかる。しかし、そこら辺の平々凡々の木が、一気に神秘性を帯びた。しめ縄の効果は絶大であった。

ちなみに2枚目は、後日私が個人的に撮影したものだ。背景の建物は、泰山荘の待合という建物だ。加工するとさらに神々しさが増す。

白黒にし、ノイズを入れ、背景を適当にぼかしたら、まるで戦前の写真。

しめ縄と適当なレタッチによって、由緒正しい神社の一角みたいになった。

洗濯ロープにしたい

聖の領域から、一気に俗の領域に転落する。縄なのだから、洗濯ロープにだって使える。

両端は木とアンチェコで支えています

わらの縄と違って、レジ袋の縄は腐らない。

縄跳びがしたい

手頃な縄があったら、縄跳びがしたくなる人もいるだろう。縄跳びでは飽き足らず、ダブルダッチをしたくなる人もいるであろう。

もちろん問題ない。飛ぶ人はいないけど。(猫でお送りしています)

本を運びたい


どんどん行かせてもらう。私はこの目で見たことはないが、昔の人は教科書やら本やらを、ひもで束ねて持ち運んでいた。「ブックバンド」という名前で今も売られているらしいが、僕らの縄でだって代用できるはずだ。

これだけの本も

こうして

こうすれば

運ぶことができる!

両手で抱えるほどの本も、縄の使えば片手が空く。学生は必携かもしれない。

ベルトにしたい

荒縄と聞くと、私は荒縄のベルトを思い浮かべる。番長とかバンカラと呼ばれる人の荒々しい服装のアイテムとしての、荒縄のベルトだ。普通のベルトの代わりに、荒縄。

小さいときに何かの漫画で見たのだろう。私には荒縄のベルトのイメージはかなり強いのだが、インターネットで調べてもあまりヒットしない。これはあまり他人の共感を得られないかもしれない。

そもそも、荒縄のベルト、という以外に、荒縄という言葉を使ったことがあるのだろうか。

まあ要するにこういうことです

わら製のものと違って、ほどけやすい(摩擦力が小さいから)というのが欠点の一つである。

レジ袋を断りたい

僕たちはレジ袋をリサイクルして、縄を作った。最後に、原点回帰してみてもいいだろう。

すなわち、買い物した荷物を、レジ袋に入れるのではなく、レジ袋の縄で縛って持ち帰りたい。

発案者のアンチェコいわく、「レジ袋を断ってレジ袋製の縄で包装する喜劇感」を味わい、さらに「昨今のエコバッグ運動に対する風刺」をしたいのだ。

レジ袋でもなく、エコバッグでもなく、大量のレジ袋でできた縄を用いるという本末転倒。復古的な手段にも見えて、革新的とも言える主張である。よくわからぬアバンギャルドである。

おなかがすいたので食べ物と飲み物を買う

だが、私たちは計画を見誤ってしまった。私たちの行ったスーパーが、よりによって品物をレジで詰めてくれるタイプのスーパーだったのだ。断ろうにも、自分で袋詰めするようなカウンターがなく、断れずじまい。結局、袋をもらってしまった。

(本当は)レジ袋はきっぱりと断るべし

だが、そんなトラブルは無かったことにして、あと少し、寛大な心で読んでいただきたい。

縛っても差し支えないような品を選んだが、重くて固いペットボトル飲料と、軽くて柔らかいクッキーをひとまとめにするのは、簡単ではなかった。

がんじがらめにして、やっとのことで固定された

四苦八苦の末、無事縛ることができた

成功した。形だけでも、成功には違いない。だがその後、重さと持ち運びにくさとあまりの不安定さに、結んだまま、すごすごとレジ袋に入れて持ち帰ったことは言をまたない。

こぼれ話

企画は以上である。

実を言うと、この日、しめ縄をポストにめぐらそうとしていたところを、近くにいた警備員に叱られた。その時点で、いろんな所で縄を使ってやろうという士気は一気に萎え、始終ビクビク、コソコソしながらの撮影になってしまった。その上、撮影が夕方だったため、よけいにもの寂しさが醸しだされた。

ともあれ、手綯いの縄の可能性は未知数だ。他にもいろいろな素材でできる気がするし、他の画期的な用途もあるだろう。

後日、余りもので細いのを作ったら、でき過ぎた。測っていないが絶対に十数メートルある。

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