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パロ・アルト研究所の歴史:「未来をつくった人々」

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Michael Hiltzik. Dealers of Lightning . 1999. マイケル ヒルツィック(鴨澤眞夫訳、エ・ビスコム・テック・ラボ監訳)(2001)『未来をつくった人々―ゼロックス・パロアルト研究所とコンピュータエイジの黎明』毎日コミュニケーションズ ゼロックスのパロ・アルト研究所(PARC)の名前を聞いたことがある方は少なくないだろう。 マウスをクリックしてポップアップメニューを表示できるのも、ウィンドウを重ねて表示できるのも、ワープロソフトで自在にテキストを編集できるのも、PARCのおかげだ。それどころか、スクリーンのあり方や、パーソナル・コンピュータの概念すら、PARCがなければ、今のコンピュータは全く違っていた。PARCのこれらの成果をゼロックスではなく、Appleなどが開花させたというのも有名な話である。 本書はその創設からの十数年、70年代から80年代前半の歴史である。 本文だけで500ページを超え、手強そうだったが、なかなか興奮させられた。

チベット初の盲学校を建てる!:「わが道はチベットに通ず」

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ICUの私の先輩に石田由香理さんという方がいる。今年4月から1年間大学を休学し、フィリピンでボランティアをした後、今はフィリピン大学の聴講生として視覚障害者に関する様々な活動をしている。フィリピンでは、視覚障害者はよっぽどお金がない限りまともな教育が受けられず、差別も根強い。こうした不平等になんとか突破口を開くべく、石田さんは現地の障害者団体の会議に出席したり、現地や日本の厚いバックアップに後押しされて点字やブラインドテニスの普及を計画したりと、まさに「1留学生が国を動かすことも可能なんじゃないか?」( 6月22日の記事 より)という勢いなのである。(石田さんのブログ: 「フィリピン留学記」 ) しかし、今でこそ事は(石田さんの手に負えなくなる勢いで)進んでいるが、この数か月は歓びばかりではなかった。 口ばかりでちっとも約束を守らない気質がちなフィリピン人に、石田さんは様々な場面で業を煮やしたり、電機屋では、マウスの機能をオフにしているだけだといくら説明しても、マウスが故障しているからこのコンピュータには対応できないと店員に突っぱねられたり(自らも全盲の石田さんはマウスを使う必要がない)、せっかくの日本人友達との旅行では、ホテルの従業員らにまんまと騙されたりと、歯を食いしばるような思いもしている。 先日読んだ「心の視力」で触れられていた、このドイツ人女性による記録が、石田さんの活動と多かれ少なかれ重なったのは、私がフィリピンでの不平等と彼女の体験を日頃読んでいたからなのだ。 Sabriye Tenberken. (2000).  Mein Weg führt nach Tibet. Die blinden Kinder von Lhasa . Sabriye Tenberken.  My Path Leads to Tibet . サブリエ テンバーケン(平井吉夫訳)(2001)『わが道はチベットに通ず―盲目のドイツ人女子学生とラサの子供たち』 風雲舎 当時26歳の学生だったその女性、サブリエ・テンバーケンは、チベット語の点字を開発し、チベット初の盲学校を設立しようと決心する。 チベットでは盲人はたいてい人間以下の扱いを受け、知能も劣っていると信じられてきた。しかし彼女は1996年のスタートから数年かけ、この状況を変えた。 ここま

オリヴァー・サックス著「心の視力」

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Oliver Sacks. The Mind's Eye . 2010. オリヴァー・サックス(大田直子訳)(2011)『心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界』早川書房 またまたオリヴァー・サックス。 本書のテーマは、「見る」ことだ。楽譜や文字が読めなくなり、音楽を聴いて覚えるようになった女性、顔が見分けられなくなった人、失明しながらも様々な適応を見せる人々など、人間味に満ち満ちた7つのエッセイ。 サックス博士の本は読むたびに多くの発見がある。

瑪瑙やジャスパーを中心とした図録:「不思議で美しい石の図鑑」

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美しい。美しい。理屈抜きに美しい。 躍動、極彩色、巧緻、驚異を湛えた小宇宙。 山田英春(2012)『不思議で美しい石の図鑑』創元社 石の内部に渦巻く神秘の世界。億、万という時をかけて、変質、蓄積、破壊、固化などを経、目を見張るような縞模様、直線、曲線、螺鈿のような模様、CGと見まがう世界、風景画のような文様を作りだす。見ていると、石だという感覚が無くなる。絵画か生体組織か星雲を見ている気にもなってくる。「自然が造り出した究極の工芸品」(10ページ)とは言い得て妙だ。 言葉にするのも野暮である。百聞は一見に如かず。 コレクターである著者( http://www.lithos-graphics.com/ )はなんとICU卒。私の先輩である。

安野光雅のコンピュータ絵本「わが友 石頭計算機」

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なんとこの年になって絵本である。しかしコンピュータの絵本だ。たぶん子供対象の絵本とは考えていないだろう。 安野光雅著、犬伏茂之監修(1973)『わが友石頭計算機』ダイヤモンド社 先日 の「コンピュータの名著・古典100冊」に紹介されていた本で、「本書は出版から30年経った今でも、コンピュータの原理を視覚的に説明する唯一の本である」(129ページ)と、大絶賛であった。本書が扱うのは2進法、四則演算、プログラミングなどと、思ったほど目新しいことはなかった。「100冊」を読んで私が期待しすぎたか。 しかし、本書が名著である理由は、その内容だけでなはい。文と絵も第一級であった。 絵本作家 安野光雅 による文は、コンピュータを扱う内容にもかかわらず、読むものをおとぎ話の世界に引き込むようで、ちゃっかりユーモアも入れてくるところも抜け目ない。 そして絵も、並の挿絵とは一線も二線も画していた。西洋風の絵は細やかで装飾的で美しく、中世ヨーロッパの文献を読んでいる気分になった。出てくる人物もすべて数世紀前の西洋の庶民、王様、聖職者などだったので、挿絵は原著のものだとずっと思っていたのだが、これも安野氏の手によるものとあるではないか。 本書は、ストーン・ブレイン氏(すごい名前…)による My good friend -- THE STONE BRAIN COMPUTER の翻訳という形をとっているが、安野氏個人の昔話なども入っており、どこまでが原著の内容で、どこからが安野氏の創作なのかが分からない。それに、ブレイン氏による「序」の日付が1691年だったり(誤植ではないと思われる)、一部ページが破れていたためにほぼ2ページにわたり翻訳なし、などと、いろいろ不可解なところが多い。 しかしそのおかげで、大昔のヨーロッパの本を読んだようなと言ったらいいのか、不思議な気持ちになりながら読むことができた。贅沢な53ページであった。 追記:以上を書きながらブレイン氏の原著を探したら、どういうわけか見つからない。翻訳というのもフィクションだったのか。これは一本とられた。Stone Brainなんて変な名前だと思った。

デザイナー廣村正彰の科学する文字、「字本」

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デザインに惹かれた。 廣村正彰(2009)『字本―A Book of Letters and Characters』ADP 本書は文字の本である。ただし難しいことは一切書かれていないし、文字数もかなり少ない。文字とは何か? 文字と脳、眼、手、耳との関係は? 文字の美とは? 本書は、文字のいかなるものか、いかにして認知されるかを、自然科学の知見に基づいて、しかし科学の堅苦しさを感じさせないような平易な言葉を使って書かれた本である。 本書は、白を基調にしたシンプルでクールなデザインで、見開きにテーマひとつと、テーマに沿った美しいビジュアル1枚という思わず目を引くデザインだ。それもそのはず、著者は心理学者でも文字学者でも言語学者でもなく、デザイナーなのだ。文字を学問としてではなく、タイポグラフィーの対象として見てきた人物である。著者廣村氏の文字に対する探究心が、本書へと結晶したのだ。 そう、だから廣村氏は、本書を書くにあたって必要な諸学問には、おそらく明るくなかったはずだ。だが、彼はその道の門外漢の地位に甘んじて、なまじっかな内容に終わらせるようなことはしなかった。感服すべきは、参考文献の多さである。なんと、たった1ページ、数百文字のために、平均十数個、最多で80程度もの参考文献があるのである。それも、私でも知っているような、錚々たる面々である。下手な科学書よりよっぽど多い。廣村氏の本書に対する執念を見た。 本書の最後の、古今東西あらゆる文字を網羅した系統樹も美しかった。 と、ここまでべた褒めだが、必ずしも楽しく読めたわけではない。専門用語が全く使われていないため、あまり厳密な記述だったわけではないし、言語学などに明るくない人には誤解さえ与えてしまう恐れもある。これが言語学のすべてではないと、ここにコメントしておきたい。そもそも、いわゆる言語学は文字を扱う学問ではない。その理由は少々長くなるので、 過去の記事 に譲る。 本書は、日本語と英語の対訳に近い形をとっているのだが、英語がいかにも日本人が書いた感じがして、いくぶん残念だった。ほぼすべて読み飛ばせて頂いたが、すでに1か所、関係代名詞の誤用を見つけてしまった。奥付を見ると、翻訳は著者とは別の方だが、ネイティブのチェックがあったかどうか疑わしい。

SeesaaブログなどからBloggerへ引っ越しするには

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今年(2012年)3月にこのブログはSeesaaブログからBloggerに乗り換えたのだが、騎馬が馬から馬へ乗り移る如くの「乗り換え」であり、これまでブログはSeesaaとBlogger、2つ存在していた。家のものをすべて引っさげて他の家へ運ぶ如くの「引っ越し」は、この2つのサービスの間ではできなかったのである。というのも、SeesaaはMovableType(MT)という形式、Bloggerはxmlという形式でインポート、エクスポートをするのだそうで、互換性が無いのだ。それを承知での乗り換えであったが、やはり1つに統合されないのは気持ち悪かった。デザインが今ひとつのSeesaaとは早くおさらばしたかった。 というわけでここ数日、久しぶりに「とにかくググりまくる戦法」を使い、やり方を調べ、今日、Seesaaのほぼ5年分、全181記事を、何とかBloggerにインポートし終えた。これまで諦めていたものが意外にもできて、今とてもハッピーだ。 これから数日かけてそれらに多少の書式変更を加え、公開していく。一気に記事が増えるが、一切無視してもらって構わない。Seesaaの方は最終的に削除しようと思う。 以上、個人的な話。以下は、SeesaaなどからBlogger引っ越したいという方のために、私がしたやり方を書いておく。 まず、SeesaaとBloggerでは、MTとxmlの違いの他に、(投稿の)時刻の表し方も違う。前者では24時間表示で、後者は(グリニッジ標準時での)12時間表示なのだ。このあたりは、このページにたどり着いた方ならもうご存知かもしれない。よって、SeesaaからBloggerへの引っ越しには、次の2回の変換が必要である。 調べると、どこのサイトにも(1)の変換に「Slmame MT形式にちゃんとこんばーと」なるものを使えとあったが、2011年のどこかを境に、そのサイトが閉鎖されている。そこで苦肉の策で自分でスクリプトを書いたり、 MicrosoftWordの置換機能を使ったりした人 もいたが、私もここでどうにもこうにもいかなくなった。 だが、とうとう見つけた! 幸いにも、「クリボウのプログラミングひとりごと」というブログで、変換プログラムを作ってくださっていた。こちら( Blogger ブログ移行用、Mova

記憶、サヴァン、神経心理学研究の金字塔:「偉大な記憶力の物語」

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大変長らく積ん読本であった。3分の1弱を3月にタイへ行く飛行機の中で読んだが、残りをこの10日くらいで読んだ。(遅すぎ…。)ルリヤの「偉大な記憶力の物語」である。 記憶、サヴァン、神経心理学などを語る上で、本書は金字塔だ。(ただ、本書にサヴァンという言葉は使われていない。)なぜならば、著者ルリヤは神経心理学の祖。そして本書の主人公は並外れた記憶力の持ち主、忘却を知らない男なのであるから。 A. R. Luria. The Mind of a Mnemonist: A Little Book about a Vast Memory . 1968. A・R・ルリヤ(天野清訳)(2010)『偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活』岩波書店 ルリヤにより約30年にわたる研究が行われたその男、シィー(本名、 ソロモン・シェレシェフスキー )は、その強烈な共感覚を使って、生まれてから見たもの聞いたものの一切、文字通りありとあらゆるもの、すべてを記憶した。そして、それを決して忘れることはなかった。(正確には、強く意識しなければ忘れられかった。)彼の内なる世界は、彼の知力、意志、人格をして、私たちのそれとは根本的に異ならしめていた。 本書は科学論文とは少し趣を異にし、シィーの記憶力と記憶の過程の記録に留まらず、彼の人となりの記述も試みられているのである。このスタイルは、オリバー・サックスを彷彿させる。事実、サックスの著作には何回もルリヤの名前が出てきており。影響を受けていることが伺える。 ロシア語原著は1968年刊行。文体も、論文とは程遠く、何とも修辞的である。格調高い文学作品を読むようでもある。 邦訳は、1983年に文一総合出版から刊行されたが、私が本書を知った当時、絶版、品切れ、図書館にも無し。しかし、2010年、改訳と訳注の追加を経て、この岩波現代文庫として復刊し、今こうして読むことができる。