2012年3月31日土曜日

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(16日)

10日 出発とパヤップのお出迎え
16日 ワークとCultural Night
19日 機内泊)

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ワークも終了

今日は、村の、相当長い大音量の公共放送に叩き起こされた(毎朝あったらしいが、この日しか気付かなかった)

今日の午前でワークは終わりだ。回廊が、全部で1×50mくらい残っていた。がんばれば終わる量だ。村人もいつもより多く働きに来ていて、私たちが仕事を始める前から働いていた。

コンクリートの山を次々と、効率アップで作っては運び、作っては運び、みるみる回廊がコンクリで埋まってきた。あと少しだが、時間が無い。あと数mというところで、そのときあったコンクリ山が終わり、同時にワーク終了の12時になってしまった。あとたった45mで、あと2山も作れば終わったのだが……。


だが時間は詰まっているので、私たちが関わったのはここまで。(午後に見てみたら、村人たちが残りを終わらせてくれていた。よって、これでコンクリ流しは全て終わった! やった!)

ちなみに、午前のワーク中にまたセムと話した。今度は随分立ち入った話だ。互いの名前の由来(セムはタイの俳優の名前からとったようだ)や、出身地(彼はホイクン出身ではないそうだ)、さらには奥さんとの馴れ初めについてまで話してくれた。(その晩、セムは彼の家のルームメイトに私のことを話したらしい。彼曰く、「We talked everything」。)

昼ごはんにはラーメンのようなものが出、久しぶりに日本食(らしき)ものを食べた。そして、私のチームはその皿を洗う当番。


村の学校に遊びに

午後の予定はというと、夕ごはんに続きカルチュラルナイトというイベントがある。つまりは文化交流で、ICUPYU、そしてホイクンのそれぞれが、出し物をする。

今晩の村での最後の夕食には、日本食を振る舞うことになっていて、おにぎりを作る予定だった。日本米をどこかで仕入れてきて、私たちが皿洗いしている脇で、ICU食事班は四苦八苦しながら米を洗っていた。

暑い! ほこりだらけで、靴や靴下を変えたかったのだが、それも面倒臭く皿洗い場あたりでたむろしていたら、いつの間にか2時だ(急遽、2時から村の学校に遊びに行くことになっていた)。家に戻りさっぱりしたかったが、諦めてみんなで学校に向かった。

学校は村の入り口にある。校門は初日の散歩で見てはいたのだが、そこから想像されるよりずっと広かった。わざわざ学校の女の子がみんなに水を差し入れてくれた。勉強中のところおじゃましてごめんなさい。学校の校長とか管理人とかいう、ラフな格好のおじさんが案内をしてくれた。驚いたのは、遠いところから通っている人のために、大きくて立派な寮があったことだ。ホイクンで見たいちばん立派な建物かもしれない。

敷地の奥の中学校(?)を見学した。2階建てコンクリート造りだ。坊主刈り&おかっぱの生徒たちが迎えてくれる。授業中だろうか、それとも私たちのために授業を中断してくれたのだろうか。


タイ版九九のポスターが張ってあったが、タイでは12×12まで覚えるらしい。2階ではパソコンの授業をしていた。IT化が意外と進んでいて驚いた。わいわいと、中学校を20分ほど見学した。

小さいながらも、(アムウェイから寄贈されたという)図書館もあった。敷地を回ると、男の子たちが校庭でサッカーをしていた。

学校を出、家でサンダル&半ズボンに替え、3時過ぎ、再び食堂へ。ごはんが炊けていたので、みんなでおにぎりをにぎり始める。日本から持ってきたふりかけを混ぜたおにぎりだ。30分くらいで、100個を優に超えるくらいはできた。

にぎり終えたところで、4時前後、床の出来上がった新教会でソーラン節を練習だ。カルチュラルナイトでのICUの出しものは、歌2曲とソーラン節だった。4時半まで、つまり30分もリハーサルしていないのだが、正直ワークの何倍も疲れた……。ワークでは筋肉痛にならなかったのに、この練習に私の筋肉が悲鳴を上げた! 即刻、太ももなどがひどい筋肉痛になった。

その後は家に戻って顔と髪を洗うが、シャワーは浴びず洗濯もしなかった。書道をするためだ。ホストファミリーやタイでの友達に書をプレゼントすべく、筆、墨、硯を持ってきていた。5時過ぎ、タイの人たちになるべくバレぬよう、現役教会で墨を磨り、ノートにしたためる。途中村の男の子らが教会に入ってきた。興味深そうにこちらを見ていた。

そうこうしているうちに6時になった。夕食が始まる。今夜は食堂でではなく、教会の下にシートをしいて村人と食事を共にする。私たちはホストファミリー&ルームメイトで集まっての晩ごはんだった。

おにぎりはタイ人の口に合っただろうか。私には、挽き肉の辛い料理や、タピオカらしきものを使ったカラフルな甘いデザートがとても美味しかった!


Cultural Night

晩ごはん後は、引き続き新教会で、お楽しみのカルチュラルナイトが始まる。私たちが作ったコンクリートの床を裸足で踏みしめるのは、感慨深いものがあった。

フィリップとエリックのMCのもと、風船膨らまし競争でカルチュラルナイトの幕開けだ。

カレンの人たちは、普段と違う赤や白の民族衣装をまとっていて、ダンスや歌を披露してくれた。ダンスは、子供たち、男の子だけ、女の子だけ、そしてホイクンのお母さんたちだけのものがあり、どれも動きがゆっくりしていて、とても穏やかでやさしかった。私は、村のお父さん、お母さんによる合唱が感動的、そして神秘的で、このイベントの中でいちばん心に残ったものかもしれない。どこか読経のリズムに似ており、親近感を覚えると同時に、(真偽のほどは知らないが)仏教文化の連続性を感じずにはいられなかった。男声の低音とハーモニーがとても心地よかった。

おっと、それに女の子の竹のダンスもすごかった。いやダンスというか、パフォーマンスといえそうだ。おとといの昼に聞いた音楽に合わせて、女の子8人が素早く竹を閉じたり開いたりする間を、4人の女の子が飛び跳ねるのだ。竹に足を挟まれるのではないかと、見ているこっちがハラハラしたが、当事者側は器用にやってのけて、私たちをあっと言わせた。うん、あれには目を奪われた。


PYUだが、男性はタイ北部の伝統衣装というシャツを着、女性は袴にも似たもので着飾り、カラフルな傘を持っていた。彼らのダンスも面白かった。全部で7人くらいの少人数で、シンプルでとてもゆっくりした踊りだ。何を表現した踊りかは忘れてしまった……。

そしてICUの出し物だが、歌2曲(そのうち一曲は「上を向いて歩こう」を全員で)と、先ほど練習したソーランだ。日本で買った(安物の)お揃いの赤と白の法被を着て踊った。ソーランは見せ物の最後あたりの演目でシメ的な役割だったのだが、練習の甲斐あり、拍手喝采を頂いた。翌朝エリックも、あれはreally reallyよかったと言ってくれた。インターネットで調べたいから綴りを教えてくれとまで言われた。

だいたい村人、PYUICUの順で、3周くらいした。見せ物が一通り終わると、ICUPYUの人たちは前に来るよう言われた。何かと思っていると、なんと村から私たちに贈り物があるそうだ! 手製のバッグだ! 肩から掛けるシンプルな布のバッグで、そういえば村人も同じのを持っていたっけ。学校で子供たちはみんな持っていた。この地域でポピュラーなタイプなんだろう。ホイクンのお母さんが、私たちひとりひとりの首にバッグを掛けてくれた。私のは白と藤色の縦縞模様だ。ありがとう!! 超うれしい! 日本でも使うよ!

カルチュラルナイトの最後は、キャンドルセレモニーだ。私たちにろうそくが渡され、灯をもらう。なかなか幻想的な空間だったのだが、正直このとき、疲れと余韻と脱力で、教会に響く聞き取りにくい英語に私の耳が追いついておらず、私はぼーっとろうそくの灯を見ていた。なのでここはよく覚えていない。

10時過ぎ、楽しい夜は終わった。筋肉痛の足に鞭を打ちながら、ルームメイト全員で家に戻る。

その夜、ホストファミリーが私たちの部屋に来てくれて、家の中では初めて彼らと長話をした。といっても、ホストブラザーのジョッガーとの会話がほとんどだったのだが。ジョッガーは(確か)中学校5年生の15歳で、妹は3年生。英語も勉強しているらしく、エリックが英語で「好きなスポーツは」と聞くと、「サッカー」と答えていた。先輩が日本について何か知っていることはと聞くと、富士山を知っているという。あ、そういえば、日本の漫画は、チェンマイはおろかホイクンにまで浸透していた。「ナルト」や「ドラえもん」がかなり有名だそうだ。

なかなかジョッガーとの話に花が咲いて、夜更かししてしまった。12時前、床に就く。

2012年3月29日木曜日

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(15日)

10日 出発とパヤップのお出迎え
15日 ワーク
19日 機内泊)

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ワークも大詰め

今日もおとといや昨日とだいたい同じスケジュールだ。

が、今日は朝ごはん係だったので、5:10に起きた! まだ真っ暗である。前にも書いたが、暗い間は、昼間はおどおどしていた犬が凶暴化する。私も夜に吠えられたことがある。明朝、犬に囲まれて身動きがとれなくなったという人もいた。なので、家から食堂に行くときは、チームでかたまって歩いた。5:30過ぎより調理。私はにんじんを細く切ったり、唐辛子を切ったりした(書き忘れたが、唐辛子はソースなどでほぼ毎食出た。タイの唐辛子は、とんでもなく辛い)。

朝食のスープに、豚肉の角煮みたいなものが出た。うまかった。

今日のワークだが、昨日までで内側はかなり出来てきたので、今日中に終わらせ、外の回廊に取りかかる。毎日コンクリートを作ったり運んだりしているので、もうみんなコンクリートの作り方はバッチリだ。1山を作るには、バケツ40杯前後の砂と2袋のセメントをよく混ぜ、40杯前後の砂利を足し、水を入れて、鍬やシャベルでこねる。こねるのには相当な筋力とテクニックが必要で、そこは村の人たちがうまかった。

ワーク中はこまめにブレイクタイムを取ってくれたのだが、そのときに色々とタイの甘味を楽しめた。果物はパイナップルや青マンゴー(黄色いのと違って固く、全く甘くない)、それに名前は分からない果実も食べた。飲み物は基本水だが、コーヒー(インスタントコーヒーとココアとクリームとたくさんの砂糖を混ぜて飲むのがタイ式らしい)や、16日にはココア(激甘コールド)が出た。お菓子も出た。

午前中のブレイクだったか、私が腰を下ろして休んでいると、隣に村の男性が座った(いつもは村人は村人でかたまって休んでいる)。すると、彼が英語で私に話しかけてきた。彼は片言ながら英語が話せた。その後数分の間、いろいろな話をした。彼はセム(Sam)といい、2番の家のホストファザーだった。40歳くらいで(そのときは日よけのため顔の大半が隠れる帽子をしていたが)日焼けし、日々の労働で鍛えあげられた細身の、落ち着いた男性だった。

彼が枝で地面に、タイ語でセムと書いた(แซม)ので、私もこのキャンプでのニックネーム、「もーちゃん」を、โมจังとタイ語で書いた(タイ語の綴りは、このキャンプで偶然知っていた)。このときほど、タイ語を勉強していてよかったと思ったことはない。日本人がタイ文字を使ってコミュニケーションすれば、きっと受けるからだ。事実、セムも受けてくれたようだ。タイ語をどうやって勉強したかとか、私のホストファミリーは誰だとかの話をした。

午後のワークで、とうとう教会内部の床は終わった! 外側に取りかかったが、今日は数mしか出来なかった。コンクリート流しは、明日の午前で終わりだ。明日で外側が全て終わるだろうか。


カレンのごはん

今日もホストファミリー宅で夜ごはんだが、昨日までと違って、ファミリーが作ってくれた。とその前に、6時前、どういう気まぐれか、隣の6番のホストファミリーが夕食に招待してくれた。クワンが「テスト、テスト」と言っていたから、多分正確には、夕食の味見に招待してくれた。味見とはいっても、ごはんは1人前しっかり出たから、自分のところの夕食が食べられなくなりそうだった。パイナップルやバナナも出た。ここの家族は元気が良くて、にぎやかだった。

なんかもう腹八分な感じだが、私たちのホストファミリーでも引き続き夕食だ。文字通り本場のカレンの食事だ。鮮やかな赤や緑で、とても彩りが豊かという印象を受けた。魚の缶詰や卵やトマトを使っていた。毎晩のことだが、ファミリーは食べきれないほどのごはん(タイ米)を出してくれた。


夜、レクリエーションの後は、今日も10時ころシャワーを浴びたんだっけか。修行僧の気分だ。

ワークでみんな疲れている。10:40ころ、Good night

2012年3月28日水曜日

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(14日)

10日 出発とパヤップのお出迎え
14日 ワーク
19日 機内泊)

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ワーク

基本のスケジュールは昨日と同じだ。チャボの鳴き声を聞きながら朝早く起き、礼拝をし、朝ごはん。

私たちはこの日の朝ごはん後の皿洗い担当だったので、大量の食器を洗った。タイの衛生環境には慣れたが、皿洗いはまだちょっと心配だった。屋外、地面、汚れた水。食器は4段階で汚れを落としていったが、皿洗いの間、水はあまり換えなかったので、とても汚れていた。よくこれで食中毒が出なかったものだ。

そういえば、皿洗い場あたりに捨てられた残飯は、犬が食べていた。いい循環だとは思うけど、お前たち、それ洗剤にまみれているぞ。

午前のワーク中、カレン出身のPYU生のドイに、カレン語の1から10を教えてもらった。ター[tə:]、キー[ki:]、サ[sə]、ルイー[lɯi:]、ゼ[ze]、クー[ku:]、ヌイー[nɯi:]、コー[ko:]、クイー[kɯi:]、ターシ[təʃi]!(IPAは私の解釈で付けてみた。)タイ語とも全然違った! 3「サ」が日本語や中国語やタイ語と似ているかも。

私も、お返しにドイとエリックに日本語の1から10を教えてあげた。2人とも上手。でも「ろく」と「はち」が二人ともなかなか覚えられなかったようだ。

昼食後、村のおじさんたちの気まぐれで、カレンの音楽を披露してくれた。鉦と鼓と小さいシンバルで、シンプルなリズムを刻んだ。おめでたいときに演奏するそうだ。

教会の床は今日で8割ほど終わった。順調だ。


夕方以降

今日も晩ごはんはホストファミリーの家でだ。今日は生魚6匹、鶏肉、白菜、インゲンなどが配られた。私は、鶏肉を骨から切り離して細かく切ったり、ニンニクの皮を向いたりした。ヌックとクワンの鍋さばきのもと、出来上がったのは魚の素揚げ、鶏肉と野菜の炒めものなど。

7時半からのレク&夜礼拝は、ICU進行。「かえるの歌」をみんなで輪唱したり、ゲームをしたりした。賛美歌を歌ったり、お話を聞いたりした。

それも、9時過ぎに終わり、懐中電灯を点けながら暗い夜道を家まで歩いた。道すがら、もう5日経ってしまったと、ICUの先輩のルームメイトと話していた。

夜はTシャツでは結構寒いくらいに冷えたのだが、思い切って10時前にシャワーを浴びることにした。(5人もルームメイトがいると、全員が夕方に浴びるのはなんだかんだ難しかった。)だが夕方に入っても夜に入っても、あんまり変わらないと知った。いつ浴びても、苦行のような水の冷たさは変わらなかった。でも、なんとなく少し慣れた気がした。もう2週間くらい滞在したら、完全に慣れたかもしれない。

ワークキャンプの折り返し地点だ。ナラゲー(カレン語で「おやすみ」)。

2012年3月27日火曜日

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(13日)

10日 出発とパヤップのお出迎え
13日 ワーク
19日 機内泊)

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ワーク開始!

6:15、ルームメイトのアラームで起き、顔と髪だけ洗う。ホストファザーがインスタントコーヒーを持ってきて下さったので、一緒に飲んだ。7時半より教会で朝の礼拝。8時ころより朝食。9時ころより教会でミーティングがあり、ワークに向けての諸連絡があった。(このあたりから記述が大雑把になってくるが、これはこれ以前のジャーナルを書きすぎて書くのが追いつかなくなったので、以降所々はしょって書いたため。)

9時半ころより、とうとうタイワークキャンプの「ワーク」が始まる。教会は基礎、壁、屋根は立派なのが完全にできていて、あとは床と窓と内装だけだった。私たちがワークキャンプでするのは、床にコンクリートを流すことだ。

まずは奥の段の床を作るべく、バケツリレーで一杯ずつコンクリートを送る。ワークは、トラックでセメントと砂と砂利が村に運ばれてくる以外、すべて手作業だ。


午後2時半撮影


20分ほどだったかで、23のコンクリートの山を捌き、奥の段の半分弱ができた。とここで10時より、ワークを始めて間もないが、私たちは昼ごはん準備の担当だ。教会を抜け、食堂で大量のハーブ(種類はわからなかった。)の葉を茎からとったりした。

12時より昼ごはん。

午後は、休憩をこまめにとりながらコンクリート作り&運びに精を出す(差し入れで好物のパイナップルがたくさん出た。タイではとてもポピュラーだ)。列を作っての、コンクリート、砂、砂利のバケツリレーやコンクリートを混ぜるがほとんどなため、力仕事だし、埃や泥にまみれる。


カレンの伝統的なスタイル

3時半ころ(?)、今日の労働は終了。床全体の1/3くらいができた。

スケジュールでは、休憩のあと6時より夕食だが、今日13日と14日は、ホストファミリーと一緒に夕食をとるようだ。食材はPYUのスタッフ側で用意してくれて、卵10個、魚の缶詰、ニンニク、キャベツ、トマト、レモン(? 見た目はカボスだった)、玉ねぎ、水菜みたいな見た目の香草、蒜に似た野菜、ナンプラー、油などが配られた。

(たしか)5時前から、私たちルームメイト5人は調理場を借りて、料理開始。調理場はもちろんカレンの伝統的な様式だ。高床式で(床下にはチャボがコッココッコ歩き回っている)、床は見たところ竹を開いて敷いてあった。そして、部屋には囲炉裏があり、そこで中華鍋やらを使って料理をした。日本の伝統的な家屋と共通するところもあり、とてもとても勉強になった。まな板が板ではなく、丸太だったのも面白かった。

PYU生のヌックとクワンは要領が分かっていたようなので、私たちICU2人は、エリックの英語を通して、少しずつ手伝った。ニンニクの皮を向いたり、すりこぎで潰したり、野菜を切ったり、卵をといたりした。

お気付きだと思うが、このキャンプではタイ語、英語、日本語の3か国語が飛び交っている。特に私たちの部屋はすごかった。日本語+英語の私たちICU生、英語ネイティブ+タイ語ぺらぺらのエリック、そしてタイ語ネイティブ+英語+多少の日本語ができるクワンという、多分8つの家の中でいちばん多言語コミュニケーションな空間だった! 言語好きな私にはなんとも面白い空間だった。

さて、そうこうしてできあがったのが、野菜炒め的なもの、野菜の入ったスクランブルエッグのようなもの。あと魚の缶詰は調理せず野菜をまぶすのみ。食欲をそそる。

カレンでは、先に客人に食事を食べさせるのが礼儀なのか、家族は加わらなかった。ルームメイト5人だけで、家の1階で頂いた。このとき傍らでテレビを見ていたホストファザーに話を聞いたが、この家は4人家族で、13歳の娘さんと15歳の息子さんがいるそうだ。

7時前に、この村で初めて「シャワー」を浴びた。苦行かと思った。


夜のレクはそりゃもう楽しかった

7時半から、現役教会でレクリエーション&夜礼拝だ。今晩の進行はPYU。村人もたくさん来てくれて、教会は満杯になった。

歌を歌ったり、いろいろなゲームをしたりした。全部は覚えていないが、教会にいた人全員参加の伝言ゲームは特に面白かった。日本語、タイ語(それからカレン語?)をそれぞれ母語とする人がいたから(英語ネイティブのスタッフ2人は進行係で参加せず)、囁かれた音をどう解釈して、どう伝えるのか、興味深いところだ。難しいゲームになりそうだ。面白かったから、ちょっと詳しく書こう。

3チームに分かれて勝負をした。偶然私は1回戦の先頭だった。最初のお題は「Good evening」。そして私が伝えるべき人は、早速難関、カレンの10歳くらいの女の子だった。1チーム20人くらいの長い長い伝言だったので、最初の言葉はどうにでも変わってしまいそうだった。実際、私のチームは(忘れてしまったが)あさっての方向な言葉が伝わってしまい、点はもらえなかった。だが1チームだけ、ちゃんと最後に「Good evening」が伝わっていた。

2回戦、先頭の5人は後ろに回る。私の前のカレンの女の子が、「トーモダチ」と言ったように聞こえた。私は次のICUの人に「ともだち」と伝えた。私のチームのアンカーが受け取った言葉は「ともだち」。他の2チームも、なんと同じ言葉が届いたようだ。正解は、お見事「ともだち」。タイ語ネイティブの耳と口を通して、日本語が届いた瞬間だ。全チーム1点獲得。

もう1回か2回やったが、最後のはめちゃくちゃ難しかった。カレンの女の子の発する音声が意味不明で、3回か4回聞き直した。覚えていないが「**ファー**」やら、「**フォー**」だった気がする(「*」は忘れたところ)。とりあえず聞いたまま次の子に伝えた。もう知らん、あとは野となれ山となれだ。私のチームのアンカーに届いたのは(私の聞いたのとは全く違ったが)、やはり意味を成さない言葉だった。記憶が正しければ、1チームは一応何かしらの意味ある語を受け取ったようだ。

気になる正解だが、「花、Flower、**、ポー」という長いものだった。日、英、タイ、カレンの4か国語で「花」だ(タイ語のは忘れてしまった)。どうやら私のところでは、FlowerFは残っていたようだ。残念ながら、全チーム大外れだった。

レクから続いた礼拝の時間では、エリックがお話をしたのだが、エリックが英語で少ししゃべったあと、ICUの北中先生が日本語にし、PYUの先生がタイ語にし、PYU生でカレン出身のドイがカレン語に訳し、というプロセスを経たため、長さが4倍になった。いろいろとアクション付きで、これもとてもとても楽しかったのだが。

本当にあっという間に時間は過ぎ、9時を過ぎた。今日のスケジュールは終わりだ。

10時半ころだったろうか、Good night

ホストファミリーの家などにて書いたものに修正

2012年3月26日月曜日

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(12日)

10日 出発とパヤップのお出迎え
12日 村への移動
19日 機内泊)

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村への大移動

6:20起床。朝食はチャーハン(タイでもポピュラーらしい)と目玉焼き、そして昨日と同じ激甘スイカジュース。7:45にごはんが終わり、PYUからプレゼントされた、ワーク用のうす水色のおそろいのTシャツを着て、食堂の入り口で集合写真を撮影。

そして、8:30、昨日までのより大きい(けれど形は同じ)トラックに荷物と人を詰め込んで、予定を30分過ぎて、村へ出発。

スケジュールでは、村への移動時間は3時間30分。この移動には覚悟が必要だと、日本でのミーティングで脅されていた。トラックで舗装されていない道を通るから、下手に乗ってトラックから放り出されるなと言われていたのだ。沢木耕太郎の「深夜特急」を少し読んだことがあったから、なんとなくイメージはついていた。

予想通り、移動手段は、何度も登場している年季の入った3列平均台トラックだったから、車酔いを心配している人もいた。だけど私は、スリルも味わえるし、お隣との距離がゼロでわいわいできるこのトラックが好きだった。

3時間以上のハードな移動に対する運転手の配慮は(これも予想通り)微塵も感じられず、トラックは喋り声を打ち消す騒音を立て、猛スピードで町々を駆け抜けた。横だけでなく、縦にもがたがた揺れる。こりゃ気持ち悪くなる人もいるわ。

道半ばのガソリンスタンドで、トイレ休憩と、ついでに、スタンドに面してあった売店で、いつの間にかタイのお菓子購入タイム。

その後は11時半、左右にどこまでも針葉樹が続く道の脇で、短い休憩。村は近いという。

村までの最後の約40分の山道で、想像と違ったのは、最後の最後まで舗装道路が続いたこと、そして最後の最後までビルマ文字を見なかったことだ(カレン族の言語はタイ語ではなくカレン語といい、ビルマ文字で書かれる。なので私は1週間ほどビルマ文字を勉強した)。


ホイクン村に到着!

12:30前くらいだろうか、何の前触れもなく、目的地、Houykung(ホイクン)村に着いた。民家がぽつぽつ見えるが、道路からはつい見逃してしまうような小さい村だ。「Welcome PYU - ICU」と書かれた、白く大きい周りの風景と不釣り合いな旗が、この集落が私たちの目的地であると知らせる唯一の目印だった。

網の無いサッカーゴールの置いてある空き地にトラックが止まる。赤黒く焼けた、笑顔の素敵な村の教会の牧師が、握手で迎えてくれた。そこから150mほど、急な坂を降りると、建設途中の大きい新教会と、高床式の既存の教会がまず見えた。


私たちは現役の教会の1階部に大荷物を置くと、2階に入ってまずはPYUから持ってきた弁当で昼食。その後、牧師さんらの歓迎の挨拶を聞く。そして、ホストファミリーへのプレイスメントだ。ICUPYU合わせて40人ほどが、8つのファミリーに分かれた。私は7番の家、教会からはかなり遠いところにあった。これから数日間部屋を共にするのは、もう一人のICU生(2年生)と、PYUの生徒のヌックとクワン、PYUのスタッフでアメリカ出身のエリック、合わせて5人だ。教会に来てくれたホストマザーは、丸顔で小柄、これまた笑顔の素敵な女性だった。

ホストマザーに連れられて家に向かうが、村が山の斜面に立地しているため、坂がスキー場並みに急だ。コンクリートで舗装されているところが多いが、舗装されておらず、あまりに急で狭くて獣道のようなところもあった。それでも村のメインストリートらしい。

10分弱ほどで家についた。家は木造か何かの平屋かなと想像していたが、木は木でも、黒塗りのしっかりした2階建てで、玄関あたりは水色等でおしゃれに塗装されていた。私たちの寝室に、2階の広い1部屋を提供してくれた。12畳くらいだ。ホストマザーが早速、御座とたくさんの毛布類を出してくれた。

チャボが何匹も放し飼いされており、ヒヨコもたくさんいた。ついでだが、タイにはどこにでも犬がいた。種も大体決まっている。例えば、PIHにも、ホイクンにも、ドーベルマンを日本犬の大きさにしたようなやつがいた。どの犬も無愛想。ホイクンの犬は一層その傾向があり、白目が広く、ヤクザみたいな上目遣いでガンを飛ばしてくる(ように私には見えた)。近づいたり触ったりすると逃げた(これは日頃村人たちに棒で叩かれて、追い払われているからなのだが)。

30分ほど部屋で休んだら、村を散策。20分あれば、ゆっくりと村のメインストリートを一周できる小ささだ。時間はあったが、散歩も450分くらいで終わってしまった。暑い。


数十年前の日本の生活?

家におじゃまして、私は2世代くらい前の日本にタイムスリップした不思議な感じになった。外から幾度となく聞こえてくるコケコッコーという鳴き声や、舗装されていないでこぼこの地面や、その他様々な暮らしぶりが、私の経験したことのない昔の日本の暮らしを彷彿した。わくわくした。

家に戻って少し寝て、6時より村の食堂でディナー。そういえば夕食に向かう前、家の前で、隣の家のおばさんとエリックがタイ語で普通に話していた。ところどころ私にも分かる単語がある。多分、どこから来たの、とかそういう会話だ。おばさんがエリックの流暢なタイ語を褒めていたのは分かった。おばさんはときどき私にもタイ語で話してくれる。でも分からなかったからエリックの通訳が必要だった。しばらくして、おばさんが私の年齢を聞いてきた。タイ語で答えてみた。数字なら言える。「18(歳です)……、いや、19。」

ホイクンでは、予想に反してタイ語が普通に通じた。ほとんどの人が理解しているように思えた。だがカレン語も通じてはいたようだ。バイリンガルなのだろうか。それも含めこの村の言語事情を聞きたかったが、機会を失してしまった。

食堂に行くとテーブルにキャンドルがともされていて、素敵にセットされていた。

ホイクンは電気も通っていて、食堂もあって、トイレもあって、聞いていたより近代化が進んでいた。実際、ワークキャンプに数回参加しているICUの鈴木先生も、例年より立派だと言っていた。

食事の最中、大雨が降ってきた。スコールだろうか(3月は一応乾季なのだが)。食堂の外には、すぐに大きな水たまりができた。大雨で外に出られないので、エリックのリードのもと、十数人でゲームもした。その後6:50ころ、大雨のためか、停電した! ちょうどこの日はキャンドルが点いていたので、本格的にロマンチックになった。

停電は数分で回復し、7時ころから、食堂でそのままオープニング礼拝が始まった。お祈りしたり、PYUの先生のお話を聞いたり、エリックらの司会でレクをしたりした。

9時ころ(?)、今日の予定は終わって解散となったが、途中の「獣道」が雨でぬかるんで歩けなくなったため、逆方向で遠回りをして帰る。空を見上げると、星がたくさん見えとても綺麗だった。

家に戻ったら、このジャーナルを書く。シャワーは水なので寒い上、10時以降は危険だから外出するなと言われていたので(不審者どうこうということではなく、犬が凶暴化するそうなのだ!)、シャワーは浴びられなかった。

ここでトイレとシャワーのことについて書いておかなければ。私たちの家の設備は、屋外の3畳ほどの広さの小屋で、中に備え付けの水桶とトイレがあった。トイレを流すには、桶から水をすくって流す。つまり手動の水洗トイレだから、思っていたよりはしっかりしていた。


シャワーも同じ場所だ。だがあるのは水のみ。日本で言う風呂の設備はおろか、そもそもお湯が無い。水をすくって体にかけ、冷たさに見を縮め、そして少々の石鹸で体を洗う、これが私の「シャワー」だった。ちなみに、水も綺麗じゃない。桶の深さは50cmくらいあったが、底が見えないくらいにほんのり濁っていた。まあ私は気にせず、むしろこの生活を楽しんでいたくらいだったが。洗濯も、同じ水を使った。たらいを使って手洗いだ。

昼は真夏でも夜は肌寒く、かいた汗はすっかり乾いていた。10時半、Good Night

2012年3月25日日曜日

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(11日)

10日 出発とパヤップのお出迎え
11日 象乗りとストリートマーケット
19日 機内泊)

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象に乗る

6:15、起床。7時よりPYUの食堂で朝食。タイは甘いものはとことん甘いと聞いていたが、朝食のスイカジュースはめちゃめちゃ甘かった。日本人には飲めたものじゃないだろう。私は一口飲んで大丈夫そうだったから、まあ飲めると友達先輩に抜かしていたが、やっぱり甘すぎた。強がってごめんなさい。だがPYUの先生は、「Just sweet(ちょっと甘い、という意味だろうか)」と言っていた。

8時半、Mae Taman(メータマン)というところに出発。なんと、象に乗りに行く! エンジンが猛烈な音を立てる例の3列平均台のトラックに、1時間以上揺られての移動。Mae Tamanに着いたら、早速象がいた! たくさん! スケジュールでは象に乗るだけだったが、その前に象のショーを見られるそうだ! 私たちの他にも、多少の日本人とたくさんの欧米の観光客がいた。

ショーはとても面白かった。10頭ほどの象が大きい順に、前の象のしっぽを鼻でつかみながら登場して、座ったり、ボールを蹴ったり、鼻で人をマッサージしたりつかんだり、踏んでみたり、そして最後には絵を書いたり! 10時から40分くらいショーを見たあと、象は観客のところまで来てくれて、象とスキンシップをとれた。象の鼻に乗った人もいたし、象と写真も撮れた。



ショーのあと、象乗り+水牛車乗りだった。乗り場から乗り場まで、往路は水牛車、復路は象という具合だ。水牛車は、周りに基本的に簡素な民家と荒れ野しかない土ぼこりの舞う道を、15分ほど行く。水牛は歩くスピードが遅い上に、舗装されていない道を木製の車輪で進むので、がたがたがたがた、乗り心地は最悪だった(それも観光のうちではあるのだが)。ろくに早く歩けないのに操り手のおばちゃんに棒でぱしぱし叩かれる水牛たちも、気の毒だなと思った。

ゴール地点に店を構える少数民族の、民芸品買って、バナナ買ってコールを抜け、今度はおじさんの操る象に乗る。地上3mくらいの視線だったから、まず高い! かなり揺れはしたが、がたがたすることは無かったので、乗り心地はベターだった。象は2人乗りで、30人以上が一気に乗るので、何頭もの象が前後左右にいる光景は、圧巻。異国に来た感全開だった。




この水牛車&象乗りは、トラックみたいなところを1周というようなちっぽけなものではなく、公道や、民家の間の小路を何百mも進む、より野生に近い道のりだった。公道以外、ほぼ整備されていない道なため、日本では味わえないワイルドさだった。象に乗ったまま川にも入った!

ちなみに、私は残念にもデジカメにメモリーカードを入れてくるのを忘れるという馬鹿をしたため、この川での写真を撮っている最中に、早くも内蔵メモリがいっぱいになってしまった。仕方が無いので、いくつか写真を消去し、写真の大きさを大幅に小さくし、そしてあまり撮らないことにした。(写真の表現力には限界があるし、物より思い出という言葉もある。言い訳。)

さて、象乗りが終わると、ちょうど12時。Mae Tamanの食堂で昼食。ここの料理、特にカレーがとてもうまかった。チキンにかけた青唐辛子のソースは、ぶっちぎりの辛さだった。外には南国を感じさせる大きな葉が茂り、風が心地よかった。

その後、また1時間以上かけてPYUへ。行きにトラックが相当飛ばしていたので、このとき荷台の窓からスピードメーターを覗いてみたが、80キロは当たり前、90キロ出していた時もあった。高速道路じゃなかったはずだが。


震災から1

2時過ぎにPIHに着くと、トラックの振れと狭さに疲れた体には嬉しい、しばしの休憩が持てた。顔と髪だけ洗ってさっぱりし、20分ほど昼寝。

ご存知のように、この日311日の午後2:46は地震から1年だったのだが、それに気づいたのがタイ時間の2時半過ぎ(日本時間の4時半過ぎ)だった。地震からちょうど1年の瞬間(つまりタイ時間午後0:46)は、私たちはごはんを食べ終わり、トラックに乗ろうという頃だったかと思う。その時刻を何かしら日本のことを思って過ごしたかったが、残念だ。

4時、日曜日ということで教会に礼拝に行った。賛美歌集の歌詞がすべてタイ語だったため、最後の「アーメン」しか分からず、私はただ譜面を眺めながらハミングするしかなかった。


ストリートマーケット

5:30頃から教会で早めの夕食で、6:30頃、チェンマイで最大規模のストリートマーケットに向かう。このワークキャンプの最大の目的はもちろん村でのワークだが、ここで、数少ないお土産を買うチャンスだ。

タイの夜のマーケットはやはり治安はいいとは言えないし、迷子になったら大変なので、私たちは5人くらいのグループに別れ、1グループに1人、PYUの生徒が案内役で付いてくれた。7時、私たちのグループ5人と、PYUのフィリップの案内で、マーケットに出発。

ストリートマーケットの第一印象は、きらびやか。きんきんぎらぎらのアクセサリーやカラフルな洋服、絢爛豪華な仏具や彫刻にあふれていた。他にもTシャツ、絵、バッグ、アイスクリーム、軽食、そして鯛焼きまで、歩行者天国の広大な面積にあらゆるものが詰まっていた。私のバッグにはあまり空きが無かったので、小さいお土産をいくつか買えればいいかなと思っていたが、お土産を買うのがいまいち苦手な私は、あまりの人(欧米の観光客が目立つ)とものの多さに目移りしていた。



歩き始めてそう経たないころ、フィリップに勧められてアイスクリームをみんなで食べる。10バーツ(25円程度)。私はココナッツ味(ココナッツはタイ料理に欠かせない。)に挑戦したが、うまかった。

文字好きなので、タイ文字の書かれた何かを自分のために買いたいと思っていたところ、タイ文字に似てはいるけど違う、見慣れない文字の書かれたトートバッグを発見。あとで聞いたら、古いチェンマイ方言Lannaに使われた古い文字だという。80バーツ(200円くらい)と比較的安価。その晩PIHに帰ってじっくり見てみたが、タイ文字にも似ているが、面白いことにビルマ文字ともすごく似ている(実はこのワークキャンプのためビルマ文字も少し勉強した)。文字の進化を垣間見るいい買い物をした!

他に珍しかったのは、象のフンからできた紙製品(ハガキやフォトアルバム)だ。象のフンは午前中にたくさん見たが、深緑色の繊維質だ。だから紙が作れるのだろう。私は買わなかったが、先輩の一人が買っていた。

それにしても、ストリートマーケットに来ればタイ独特のエネルギーが感じられる。例えば店番は印象的だった。無愛想な店番、座り込んで食事をつまむ店番、MacBookでインターネットに勤しむ店番、YouTubeを見る店番、他にも、道の真ん中に座り込み楽器を演奏する子供。マイクを持ってこぶしの効いた歌を歌う何人もの盲人などなど。これだけ読むとタイの人は自堕落でだらしないと思うかもしれないが、どこか違う。タイは、これはこれで立派に成り立っているのだろう。あまり時間や体裁にこだわらない印象を受けた。熱気、人、匂い、色、音、全てが迫ってきた。

いろいろ面白いものがあって、目移りしていたら、気づいたら集合時間9時の5分前。かなり早く時間が過ぎて、結局自分の分しか買えなかった。17日にまたナイトマーケットがあるので、そこで買わなければ。

ICUの参加者は女の子が多かったし(男5、女19)、さぞかしみんな買っただろうと思ったが、集合場所やトラックの中で何人かに聞いてみても、お土産を買ったという人は結構少なかった。アイスとかジュースとかを買って食べた人が多かった。目移りしたという声もあったし、今日は下見という声もあった。

全員無事集合。マーケットからまたトラックでわいわいとPIHに戻り、簡単にシャワー。このジャーナルは途中のまま、11時半に消灯。

PIH C115、及び翌日の食堂入口の床、及び村のホストファミリーの部屋
にて書いたものに修正

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(10日)

3月10日から18日までの9日間、タイ北部にワークしに行って来ました。

タイワークキャンプというICUの宗務部が企画する行事で、タイ北部のキリスト教が信仰されている地域(タイは仏教国だが)に行き、現地の大学生(チェンマイにあるパヤップ大学)と共に教会を建てるというものです。30回目を迎える今年は、ICU24人と先生2人で、タイもミャンマーとの国境近い、カレンという民族の村に行き、コンクリートをまぜまぜ、教会の床に流してきました。

このブログに書くためにも、現地で飛行機で日本で、大量のノートを取ったので、それに加筆修正しながら、とんでもなく楽しかったこのタイワークキャンプを、1日ずつ全9記事でまとめようと思います。
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空港は面白いところ

実はこれが初海外だった。

いろいろと分からないこともあり、前日の荷造りが深夜1時までかかってしまった。

成田に朝8:45集合という早さだったので、5時に起きた。そしてなるべくいつも通りに朝食をとり、6時に家を出て最寄り駅へ。東京は前日から大雨で、出鼻をくじかれた感じだ。しかも都心を走る頃には雪になっていたし。

成田に近づくにつれスーツケースを持った人が増えていくのが、何となくいい。これから日本を離れるのだと思うとわくわくする。

成田空港駅着が8:08。家より2時間強。駅についたら早速パスポートを見せるのか。どきどきだ。私はかなり早めの到着だったが、4階南ウィングの集合場所にはすでに67人いた。集合時間の45分を12分過ぎるも、26人という大所帯が無事全員集合という幸先の良さで、早速搭乗手続きに向かう。

変な感想かもしれないが、荷物の預けから始まって、空港という大きなシステムの中を人々が動いていく様子は見ものだ。出国手続きを終えると私は日本にいないものと見なされるそうだ。わくわくする。

離陸は10:45だったので、時間に相当の余裕があった。

初飛行機。私たちの席は大体かたまっていたが、私は通路側で、隣2人がタイ人だった。11時、離陸。飛ぶ! こんな重たいものが羽2枚くらいでどうして飛ぶのか、改めて疑問に思った。窓際の席じゃなかったのが残念だ。外の景色は、きっと飽きないだろうに。

それにしても不思議だ。空港や飛行機という、システムの中に組み入れられている感覚がどこか心地よい。初めての経験ばかりなので緊張も交じっているが、心地よくもある。この感覚を表す適切な言葉を、私は知らない。

機内では本を読むか、寝るか、ぼーっとしていた。映画などは見なかった。昨晩の睡眠不足によりあくびは何度となく出たが、いかんせんエコノミークラスは狭くて、なかなか寝られない。いつも使っている高速バスの方が、まだくつろげる気がした。機内では全部あわせて1時間くらいしか寝られなかった気がする。目も疲れて、本もたくさん読めなかった。

機内食は、魚の料理とタイのグリーンカレーが選べたが、私は安全パイで魚にしておいた。

フライトは6時間30分。日本時間の17:30(タイ時間の15:30)にバンコクに着陸。来た! タイ! 周りが全部タイ語だ! やった!


以下タイ時間でお送りします

暑いのは覚悟していたが、思ったよりは湿度が高かった。バンコクまで6時間半も座り続けた上、自由に足を伸ばせなかったため、足の疲労がひどかった。

バンコクからチェンマイへ乗り換え。チェンマイ行きの便は17:25発で1時間10分のフライト。出発まで暇。チェンマイ行きは空いていた。

チェンマイに着いた。チェンマイの空港は、手続きが皆無だった。国内便は、そんなものなのだろうか。

荷物を受けとって、出てみたら、なんとパヤップ(以下Payap Universityの頭文字をとってPYU)の学生と先生方10人ほどが、空港まで出迎えに来てくれていた! 私たちに、とてもいい香りの花の首飾りをかけてくれた。あとで聞いたら、ジャスミンだったそうだ。

出発前、私の限られた英語能力と、ゼロに近いタイ語能力で、タイの人とうまくコミュニケーションできるか、いくばくの不安はあったのだが、それは心配無用だった。向こうはどんどん話しかけてきて、出会って30秒で、一気にアイスブレイクだった。

空港の出口で、5000円分だけバーツに両替したら、みんなPYUのトラックに載せられた。そのトラックがすごい。日本だったら牛とかを載せるような屋根付きの古いトラックに、平均台みたいな細いベンチを3列置いただけの、運搬効率抜群なワイルドな乗り物だったのだ。出発前のミーティングで、タイではトラックに詰め込まれて移動するとは聞いていたが、いきなりお目見えだ。(屋根があった分、予想よりは親切だった。)沢木耕太郎の「深夜特急」を思い出す。


そこにICUPYU30人ほどがぎゅう詰め。興奮した私たちはわいわいがやがや、ワイルドなタイのドライブを楽しんだ。夜のタイを、風を感じながら20分ほど走って連れていかれたのは、池のようなところに浮かぶ、茅葺き屋根の簡素なレストラン。ここで夕食のようだ。

記念すべきタイでの最初の食事は、ごはん(タイ米)、セロリ風味の強いひき肉と豆腐のスープ、野菜たっぷりの炒めものか何か、そして池で釣った骨っぽい魚のフライ。どれもハーブで香りが強く、ソースが少々辛かった。私は飛行機で疲れていたのか、あまりたくさん食べられなかった。


夕食のあと、また同じトラックに乗って私たちの泊まるPYUの寮に向かったのだが、PYUの敷地がそりゃもう広大! しかもいくつもいくつもある巨大校舎は、すべて美しい赤レンガで統一されていて(完全に赤レンガ造りではないように思えたが)、ICUとは比べ物にならなかった。

10分ほどで、PYUの寮、Paradornparp International Houseに到着。そこももちろん赤レンガの外壁だが、近代的で巨大な寮だった。

チェックインを済ませると(1部屋3人だった)、9時くらいから自由時間になったので、蒸し暑いタイで流した汗をシャワーで洗い流した。(ちなみに、なんとPIHにセブン・イレブンが設置されていたので、タイ版セブン・イレブンに遊びに行った人もいた。)それからこのジャーナルを書いたが、疲れてもいたので、11時に就寝。

PIH C115及び翌日の朝食の席にて書いたものを修正

2012年3月21日水曜日

「僕カル」変革前夜(タイに行ってて更新できませんでした)

最近では珍しく、1か月近くも更新が無くてごめんなさい。

大学が2月末まであったり、友だちとコンパしたりカレーパーティーしたり、実家に帰ったり、サッカーの試合見に行ったり、読書がなかなか進まなかったり、ぼけーっとしてたり、そしておとといまで9日間タイにいたりしたので、更新できませんでした。

最近10日間(つまりちょうど私がタイにいた期間)くらいは、更新の無さに、さすがにページビュー数は落ちているかなあと思っていたら、まさかのその逆。一日100PV(本ブログの最近の平均+α)どころか、200以上、300以上の日もありました。嬉しい限りです。同時に、更新へのやる気にもなります。

ついでに重大発表ですが、ブログ移転を計画しています。WordpressとBloggerで迷っています。3月末までには絶対します。それにあたっての記事が近々1、2個投稿されますので、ご承知おきを。

移転後、新ブログの第一号記事は、タイのジャーナル(紀行)の予定です。現地等で大量にノートを書いたので、相当な量です。タイプするのが面倒くさいのですが、乞うご期待。