話題はすごいけど難しいです:「ある言語天才の頭脳」

なんか最近難しい本ばっかり…。

本書の主人公クリストファは、精神障害や運動障害があるにもかかわらず、20ほどの言語を読み、書き、話し、聞くことができる、とんでもない言語のサヴァンである。外国語学習に苦労している人には全くもってうらやましい話である。

私は、うらやましいと思う代わりに、彼にとにかく興味を持った。一体どのように外国語を修得するのだろう。

Neil Smith & Ianthi-Maria Tsimpli. The Mind of a Savant. 1995.
ニール・スミス、イアンシ‐マリア・ツィンプリ(毛塚恵美子、若林茂則、小菅京子訳)(1999)『ある言語天才の頭脳―言語学習と心のモジュール性』新曜社


などと、わくわくして読んでみたら、この本、すごく難しかった。これははっきり言って本の形をした論文だ。まえがきでは「本書の大半は、できるだけ広範囲の読者―単に言語学者、心理学者、哲学者だけでなく、いわゆる一般読者―にも読まれるように編まれている」(xxxiページ)というが、正反対だ。言語学を志す学生にさえ大半は分からなかったのだから。たぶん言語学者か心理学者くらいしか理解できないだろう。訳の分からない専門用語が多すぎて、読み飛ばしたに等しいところも少なくない。

もっと人間味あふれる著作を期待していた。クリストファの言語学習や種々のテストの最中には、きっといろいろな会話やドラマや驚きがあったはずである。それをドキュメントしてくれなかったのは残念だ。こういうところはオリバー・サックスに任せたいところだ。

もちろん、本書の学術文献としての価値を否定はしない。「言語のサヴァンに関しては、研究者の言語学的な研究のレベルが洗練されて」いなかったらしいし(xxvページ)、クリストファの言語運用の研究から、人間の言語能力や精神の構造の対する仮説を打ち出したことは評価されてしかるべきである。遅かれ早かれ、こうした研究は必要だった。(それが論文ではなく本として売られたのが適切だったかどうかは別として。)

さて、私が理解できた部分の中でも、研究のためクリストファに言語学的に不可能な人工言語を学習させたときの、彼の(一種の拒絶)反応や創造行為には、私は言葉では表しがたいわくわくを感じた。やはり、やはり(自然)言語や人間の言語能力には、根源的な何かがあるのだと確信した瞬間だ。

蛇足だが、クリストファの非凡な才能に興味を持った方に少し注意。彼は全ての言語を完璧に習得したわけではない。彼が最も問題なくできたのはギリシャ語、フランス語、スペイン語など数カ国語であった。さらに重要なことは、彼は語彙と形態(語形変化)において並外れた能力があったのに対し、統語(語順)に関しては全く不完全だった。期待しすぎずに。

訳者の1人、小菅京子はICU出身だった。

ついでに、この場を借りて、クリストファのような「言語天才」(らしい)と言われている人を書いておく。

ロマン・ヤコブソンRoman Osipovich Jakobson) 言語学者。50の言語を使ってロシア語を話したという。(どういう意味?)(「ある言語天才の頭脳」xxv-xxviより) 
モリス・ハレー(Morris Halle) 言語学者。これは先学期の音韻論のコースの先生から聞いた。本当かは知らない。
ロンブ・カトー(Kató Lomb) 1909-2003。16カ国語を覚え、そのうち10は翻訳もできたという。(トニー・ラズロ「英語にあきたら多言語を!」106ページより)
ジュゼッペ・メッツォ・ファンティ(Giuseppe Caspar Mezzofanti) 1774-1849。50以上の言語を話したと言われる。(同上)
エミル・クレブズ(Emil Krebs) 1867-1930。60カ国語以上。(同上108ページより)

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