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日本のろうの現状を知る:大学のテキスト"Deaf in Japan"読了

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I've just finished reading the textbook used in “The world of Sign Language” course at ICU. It describes the history and politics of deaf in Japan. It is a valued work among the few sources on deafness in Japan. Check out: Nakamura, Karen . 2006. Deaf in Japan . New York: Cornell University Press. 大学で「手話の世界」という授業をとっている(とこのブログに書くの は実は3回目だ)が、先ほどそのテキスト Deaf in Japan を読み終えた。恥ずかしながら、大学の教科書を全て読み通したのはこれが初めてだ。(偶然だが、私が今までに買った教科書は全て英語だった。本書はその中で一番小さい。)200余ページのペーパーバックのくせに、2610円も払ったのだ、読まなければ買い損だ(というのは建前だが、でもきっとみんなろくに読んでいない。確かめてはいないが、賭けてもいい)。 Deaf in Japan: Signing And the Politics of Identity [ペーパーバック] / Karen Nakamura (著); Cornell Univ Pr (刊) この授業の先生によると、日本のろうに関するよい著作が、本書以前は無かったそうだ(教科書にするには、という意味でだろう)。その点で本書は貴重だ。 本書は日本のろうに関する歴史と政治を扱う。もっとも 、戦後から現代が中心である。政治についてはあまり頭に入らなかったが、大事な点は押さえたつもりだ。私が特に強調したいのは、私をはじめ耳の聞こえる者は、ろうや手話についてほとんど分かっていないのが実際だということ。ろう者や手話に対する誤解は絶えない。ここでいろいろ書いてもいいのだが、書いたところで何人の人が興味を持ってくれるだろう。とりあえず、手話の定義をめぐる論争や、ろう者としてのアイデンティティの問題などなど、問題は山積みなのだ 。 著者の中村かれんは、バイリンガルで文化人類学者、イェール大学

英語の語彙の豊富さについて:preantepenultimateという単語

昨日の音韻論の授業で、この分野でしか使われないであろう難しい英単語に出会った。 preantepenultimate という単語だ。「最後から4番目以前の音節」という意味だ。 まず、この単語が出てきた文脈を説明しよう。チムウィーニ語(バンツー諸語。ソマリア南部のある町で話される。Wikipedia英語版で 解説 あり。)の面白い音韻規則の話だ。チムウィーニ語では、長母音と短母音の区別がある。日本語で[ato](跡)と[aːto](アート)が区別されるように、チムウィーニ語でも例えば[xkuːla](引き抜く)と[xkula](育つ)が区別される。 しかし、このような長母音(仮にV+)を含む単語にいくつか接尾辞が付いて、V+を含む音節が 後ろから数えて4個目以前になると、そのV+が短母音化する 。これを Preantepenultimate Shortening (名付けて「最後から数えて4番目以前の音節の長母音を短くしろルール」)という(Hays)。 例えば、[dʒoːhari](宝石)に接尾辞/-je/が付くと、[dʒoharije]という発音になる。後ろから数えて4つ目の音節[dʒoː]が[dʒo]になった。ネイティブスピーカーなら決して[dʒoːharije]と言わない。 preantepenultimateは、語幹ultimateにたくさん接頭辞が付いてできた語だ。形態素で分けて書くと、pre-ante-pen-ultimateだ。 ultimate=最後の音節 penultimate=最後から2番目の音節 antepenultimate=最後から3番目の音節 preantepenultimate=最後から4番目以前の音節 というわけだ。 これは辞書に載っているのだろうかと思い、見出し英単語数414万を誇る Weblioで調べてみた ら、しっかり載っていた。しかも、preantepenultimateのさらに一段上、propreantepenultimate(最後から5番目以前の音節)という語まで見つけた。21文字の長大な単語である。 英語は語彙が非常に豊富だとよく言われるが、preantepenultimateは日本語では長ったらしい説明を要する概念を、一語で表しているよい例だ。そもそも日本語に相当する概念が無いた

数十ものサヴァン症例:『なぜかれらは天才的能力を示すのか』

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なぜかれらは天才的能力を示すのか―サヴァン症候群の驚異 [単行本] / ダロルド・A. トレッファート (著); 高橋 健次 (翻訳); 草思社 (刊)  I read the Japanese version of  Extraordinary People: Understanding Idiot Savants  by Darold A. Treffert (Originally published in 1989. New York). 長らく読みたかった本をようやく読んだ。 精神発達に遅滞が見られるにも関わらず、ある特定の分野で驚異的な能力を見せる人々、 サヴァン 。本書は彼らに焦点を当てる。著者のD・トレッファートはサヴァン症候群研究の第一人者であり、本書はこの分野では有名だ。 前半では、19世紀後半から20世紀後半までの、論文に記録されたサヴァンがことごとく紹介されているという。確かに、音楽、四則計算、カレンダー計算、美術、記憶など、数十(100近い?)の具体的症例が記述されている。この章は、読んでいて非常に面白い。 後半は、サヴァンの原因等、科学的記述に充てられている。サヴァン研究の根幹の一つは脳科学だが、予想通り、そのメカニズムは全くといっていいほど分かっていない。数々の説の紹介に留まっており、正直つまらなかった。ただし、サヴァンをテレビで放映されるような「見せ物」という次元ではなく、私たち人間の脳のはたらきを解明する糸口として捉えてほしい。その点でトレッファート氏と同感だ。 以下は内容には関係ないメモだ。 第一に、訳に問題はなかったが、原文自体が下手に思えた(この段落とこの段落を入れ替えた方がいいとか、この文とこの文の話題の整合性が無い、とか)。第二に、小見出しを過剰に付けたせいで、かえって論理の流れが切れてしまっていた。小見出しは本来理解を助けるためのものだが、小見出しの付け過ぎで逆に失敗した稀有な例だ。最後に、一番残念だったのは、原本にはあった参考文献リストが、訳書でまるごと削除されていたことだ。これでは「このソース面白そう!」と思ってもそれにアクセスできない。知の深みへの探求が出来ない。日本では参考文献を載せることが海外ほど強制されていないと感じるのは私だけだろうか。

19歳を迎える皆さんへ:メトン周期のロマンス

もし19歳の誕生日をまだ迎えていないなら、あなたはこの記事を読んで少し幸せになれるかもしれない(19歳を過ぎていても、読んで全く損は無い)。ちょっとロマンチックな、天体ショーのお話。 何も難しいことじゃない。ただ、19歳の誕生日の夜に、ちょっと夜空を眺めてみよう。驚くなかれ、 19歳の誕生日に出ていた月は、自分が生まれた日に出ていた月と同じ形(満ち欠け)をしている 。 この事実は、あまり知られていない。これはメトン周期といい、天文学では有名な周期だ。(19太陽年)≒(235朔望月)なのだ。太陽年とは太陽が黄道上の春分点、秋分点、夏至点、冬至点から出て再び各点に戻ってくるまでの周期の平均で、約365.2422日、朔望月とは月の満ち欠けの周期で、約29.5306日である(太陽年と朔望月の値は WolframAlpha より)。計算してみると、365.2422×19=6939.6018≒6939.6910=29.5306×235と、約0.1日しか違わない。言い換えれば、19年は1太陽年と1朔望月の最小公倍数として、とてもいい値だということだ。(ソースは こちらのブログ ) ただし 、正確さを期して言っておくと、私たちは日常生活で太陽年を使っていない。ご存知のように、私たちの1年は365.2422日ではなく、グレゴリオ暦の365日(そしてうるう年が366日)である。だから私たちの「19年」は、235朔望月とちょっとずれる。(「メトン周期」で検索するとたくさんヒットするのに、月の形の一致について書かれていないのは、この理由からかもしれない。) だが 、それも大したズレではない。19歳になるまでに、必ず4回か5回のうるう年がある(私の計算が正しければ、4歳になったあと初めてうるう年を迎えた人だけが、19歳までに4回うるう年を迎える)。「5回うるう年」の人の19年は365×19+5=6940日、「4回うるう年」の人は、6939日である。ズレはどちらも半日ほど。これくらいでは月の形は大して変わらないから、そんなに心配はいらない。 さらに 、文句が出る前に行っておくと、「私が生まれた時刻は月が地球の反対側にあったわよ、どうすればいいのよ」というマニアには、19歳の誕生日のプレゼントにアメリカ旅行というのはどうだろう。でなければ、数時間前か後の月を愛でて満足する

国際基督教大学(ICU)「華道部・書道部合同作品展」が終了

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先週4月25日から28日までの4日間、ICUの本館2階ラウンジにて「華道部・書道部合同作品展 春の息吹」を行いました。書道部は 去年のICU祭 以来2回目の作品展でした。 小規模ながら、華道部の生け花と私たち書道部の作品が、とてもよく調和していました。2階ラウンジは誰もが通るところなので、多くの方に楽しんでいただけたことでしょう。 私は3点+α書きました。私のだけで申し訳ないんですけど、以下に紹介します。現時点での、私の成果です。まだまだ勉強が必要です。 「 陽 」 キャンバス  53×45.5 cm 紀元前8、9世紀に作られた「 虢季子白盤 (かくきしはくばん)」から。金属器に彫られたことから、篆書(てんしょ)のうちでも金文という書体です。この作品は額に入れてもなければ、(掛け)軸にもしていません。35cm四方くらいの作品を、キャンバスに貼り付けています。シンプルで普通の書作品とは全く違った雰囲気になる上、安くて簡単なため、一石二鳥。キャンバス作品は部長が始めて以来、我が部で流行の予感。 「 凝暄 」 約42×145cm   暄(けん)を凝らす。唐の太宗、李世民の詩より。春の暖かさを集める、つまり春の盛りの暖かさを言うそうです。秦の始皇帝が小篆を制定した以後の、一般的な篆書で書きました。これは簡単な手作りながら、正統な軸装です。 五言絶句  キャンバス 80.3×65.2cm 私が作った漢詩です。新入生へ向けた趣深いメッセージです。ちゃっかり韻も踏んでいるんですよ(「人」と「員」)。ICU生は何人気づいたかな。本作品は唐代の正統な楷書で。これまた、布の貼られていないタイプの、F25号の大きいキャンバスに貼りました。 コラボレーション 合同作品展であるからには、なにかコラボレーションがなければ。先輩方は生け花の背景として何メートルもある大作を書いたり、水に作品を浮かべたりしました。私は花器の下に敷けるようにと、青墨(つまりは淡墨)で模様を書きました。全部で4枚書いたんですけど、長くなるので一番気に入ったものを載せした。