手話の深遠な世界に触れる:オリバー・サックス「手話の世界へ」

今日から今年度の授業が始まった。もう大学2年生である。

おととい、また本を借りてきた。

1冊目はまた写真集だ。日本遺産 神宿る巨樹 The marvelous trees in Japan [単行本(ソフトカバー)] / 蟹江 節子 (著); 吉田 繁 (写真); 講談社 (刊)といい、新刊の棚で偶然見つけた。

日本遺産 神宿る巨樹 The marvelous trees in Japan [単行本(ソフトカバー)] / 蟹江 節子 (著); 吉田 繁 (写真); 講談社 (刊)

日本の巨樹が多数収められている。タイトル通り、私も巨樹には威厳や神秘性を感じるので、けっこう惹かれる。写真でさえ見応えがあるのだから、この目で直接見たらそれは感動するに違いない。どれでもいいから、巨樹を見に行きたくなった。

さて、2冊目は、またまたオリバー・サックス博士だ。読了までに足掛け2日、私にしてみれば意外なほど速かった。 

手話の世界へ (サックス・コレクション) [単行本] / オリバー サックス (著); Oliver Sacks (原著); 佐野 正信 (翻訳); 晶文社 (刊)

手話の世界へ (サックス・コレクション) [単行本] / オリバー サックス (著); Oliver Sacks (原著); 佐野 正信 (翻訳); 晶文社 (刊)

本書を手にとったのは、これもまた幸運な偶然からだ。私は、この春学期「手話の世界」という授業をとる予定だった(手話の文化的、社会的、言語学的な側面を概観する授業だ)。そしておとといの9日、それとは全く独立に、何気なくICU図書館のサックスの著作を調べていたら、本書を見つけた。これはちょうどよかった。つまり本書は、「手話の世界」の予習として読んだのだ。

そもそも私が手話に関心を寄せ、その授業をとろうと思ったのは、全く言語学的な興味からだ。高校のとき(もしくは大学入学直後のとき?)に、手話は単なるジェスチャーではなく、文法を持った言語であるということを知ったときから、手話にほんの少しながら興味を持ったのである。だが私は、手話にまともに触れたこともなければ(母が手話の本を持っていたので、それを使って指文字を覚えてみたことがあるくらいで)、本も読んだことがなかった。

本書は、そのような初心者の私をして手話に関する驚くべき諸事実を知らしめ、それに伴い(もちろん良い意味での)様々な疑問を抱かせた。

話される言葉(口話)は、単語が次々と並べられていくという、線形的(1次元的)なものである(これは大学の授業でも学んだ)。しかし手話は、3次元の空間において、それも同時的、重層的な表現をしているのだという!(それが具体的にどういうことなのか詳しく説明は無かったが。)この事実ただ1つでさえ、私を手話の世界に引き込むに十分だった。

手話は私が思っていた以上にはるかに高度で、豊かだった。いやこれは少し語弊がある。つまり、手話は、入力、出力方式こそ違えど、口話と全く同じレベルの完璧な言語であるという確信を持った。

手話、聴覚障害というノータッチの分野だったが、本書はサックスファンとしての私と、言語学好きの私とをつなげる、意外にして重要な役目を果たした。別々と思われた2つの興味が、思いがけないところでリンクするものである(もっとも、私の関心の向くところはそもそも根本では共通している気もするが)。可能なら関連書籍も読んでみよう。

ついでに言えば、このマイナーであり、誤解や偏見も多い手話の世界を、もっと多くの人に知ってもらいたいと思った。本書は難しくないので、その導入の1つにもいいかもしれない。

とりあえず1冊読んで、授業に臨む心構えができた気がする。英語開講というのがやや不安要素ではあるが…。

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