タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(10日)

3月10日から18日までの9日間、タイ北部にワークしに行って来ました。

タイワークキャンプというICUの宗務部が企画する行事で、タイ北部のキリスト教が信仰されている地域(タイは仏教国だが)に行き、現地の大学生(チェンマイにあるパヤップ大学)と共に教会を建てるというものです。30回目を迎える今年は、ICU24人と先生2人で、タイもミャンマーとの国境近い、カレンという民族の村に行き、コンクリートをまぜまぜ、教会の床に流してきました。

このブログに書くためにも、現地で飛行機で日本で、大量のノートを取ったので、それに加筆修正しながら、とんでもなく楽しかったこのタイワークキャンプを、1日ずつ全9記事でまとめようと思います。
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空港は面白いところ

実はこれが初海外だった。

いろいろと分からないこともあり、前日の荷造りが深夜1時までかかってしまった。

成田に朝8:45集合という早さだったので、5時に起きた。そしてなるべくいつも通りに朝食をとり、6時に家を出て最寄り駅へ。東京は前日から大雨で、出鼻をくじかれた感じだ。しかも都心を走る頃には雪になっていたし。

成田に近づくにつれスーツケースを持った人が増えていくのが、何となくいい。これから日本を離れるのだと思うとわくわくする。

成田空港駅着が8:08。家より2時間強。駅についたら早速パスポートを見せるのか。どきどきだ。私はかなり早めの到着だったが、4階南ウィングの集合場所にはすでに67人いた。集合時間の45分を12分過ぎるも、26人という大所帯が無事全員集合という幸先の良さで、早速搭乗手続きに向かう。

変な感想かもしれないが、荷物の預けから始まって、空港という大きなシステムの中を人々が動いていく様子は見ものだ。出国手続きを終えると私は日本にいないものと見なされるそうだ。わくわくする。

離陸は10:45だったので、時間に相当の余裕があった。

初飛行機。私たちの席は大体かたまっていたが、私は通路側で、隣2人がタイ人だった。11時、離陸。飛ぶ! こんな重たいものが羽2枚くらいでどうして飛ぶのか、改めて疑問に思った。窓際の席じゃなかったのが残念だ。外の景色は、きっと飽きないだろうに。

それにしても不思議だ。空港や飛行機という、システムの中に組み入れられている感覚がどこか心地よい。初めての経験ばかりなので緊張も交じっているが、心地よくもある。この感覚を表す適切な言葉を、私は知らない。

機内では本を読むか、寝るか、ぼーっとしていた。映画などは見なかった。昨晩の睡眠不足によりあくびは何度となく出たが、いかんせんエコノミークラスは狭くて、なかなか寝られない。いつも使っている高速バスの方が、まだくつろげる気がした。機内では全部あわせて1時間くらいしか寝られなかった気がする。目も疲れて、本もたくさん読めなかった。

機内食は、魚の料理とタイのグリーンカレーが選べたが、私は安全パイで魚にしておいた。

フライトは6時間30分。日本時間の17:30(タイ時間の15:30)にバンコクに着陸。来た! タイ! 周りが全部タイ語だ! やった!


以下タイ時間でお送りします

暑いのは覚悟していたが、思ったよりは湿度が高かった。バンコクまで6時間半も座り続けた上、自由に足を伸ばせなかったため、足の疲労がひどかった。

バンコクからチェンマイへ乗り換え。チェンマイ行きの便は17:25発で1時間10分のフライト。出発まで暇。チェンマイ行きは空いていた。

チェンマイに着いた。チェンマイの空港は、手続きが皆無だった。国内便は、そんなものなのだろうか。

荷物を受けとって、出てみたら、なんとパヤップ(以下Payap Universityの頭文字をとってPYU)の学生と先生方10人ほどが、空港まで出迎えに来てくれていた! 私たちに、とてもいい香りの花の首飾りをかけてくれた。あとで聞いたら、ジャスミンだったそうだ。

出発前、私の限られた英語能力と、ゼロに近いタイ語能力で、タイの人とうまくコミュニケーションできるか、いくばくの不安はあったのだが、それは心配無用だった。向こうはどんどん話しかけてきて、出会って30秒で、一気にアイスブレイクだった。

空港の出口で、5000円分だけバーツに両替したら、みんなPYUのトラックに載せられた。そのトラックがすごい。日本だったら牛とかを載せるような屋根付きの古いトラックに、平均台みたいな細いベンチを3列置いただけの、運搬効率抜群なワイルドな乗り物だったのだ。出発前のミーティングで、タイではトラックに詰め込まれて移動するとは聞いていたが、いきなりお目見えだ。(屋根があった分、予想よりは親切だった。)沢木耕太郎の「深夜特急」を思い出す。


そこにICUPYU30人ほどがぎゅう詰め。興奮した私たちはわいわいがやがや、ワイルドなタイのドライブを楽しんだ。夜のタイを、風を感じながら20分ほど走って連れていかれたのは、池のようなところに浮かぶ、茅葺き屋根の簡素なレストラン。ここで夕食のようだ。

記念すべきタイでの最初の食事は、ごはん(タイ米)、セロリ風味の強いひき肉と豆腐のスープ、野菜たっぷりの炒めものか何か、そして池で釣った骨っぽい魚のフライ。どれもハーブで香りが強く、ソースが少々辛かった。私は飛行機で疲れていたのか、あまりたくさん食べられなかった。


夕食のあと、また同じトラックに乗って私たちの泊まるPYUの寮に向かったのだが、PYUの敷地がそりゃもう広大! しかもいくつもいくつもある巨大校舎は、すべて美しい赤レンガで統一されていて(完全に赤レンガ造りではないように思えたが)、ICUとは比べ物にならなかった。

10分ほどで、PYUの寮、Paradornparp International Houseに到着。そこももちろん赤レンガの外壁だが、近代的で巨大な寮だった。

チェックインを済ませると(1部屋3人だった)、9時くらいから自由時間になったので、蒸し暑いタイで流した汗をシャワーで洗い流した。(ちなみに、なんとPIHにセブン・イレブンが設置されていたので、タイ版セブン・イレブンに遊びに行った人もいた。)それからこのジャーナルを書いたが、疲れてもいたので、11時に就寝。

PIH C115及び翌日の朝食の席にて書いたものを修正

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