タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(16日)

10日 出発とパヤップのお出迎え
16日 ワークとCultural Night
19日 機内泊)

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ワークも終了

今日は、村の、相当長い大音量の公共放送に叩き起こされた(毎朝あったらしいが、この日しか気付かなかった)

今日の午前でワークは終わりだ。回廊が、全部で1×50mくらい残っていた。がんばれば終わる量だ。村人もいつもより多く働きに来ていて、私たちが仕事を始める前から働いていた。

コンクリートの山を次々と、効率アップで作っては運び、作っては運び、みるみる回廊がコンクリで埋まってきた。あと少しだが、時間が無い。あと数mというところで、そのときあったコンクリ山が終わり、同時にワーク終了の12時になってしまった。あとたった45mで、あと2山も作れば終わったのだが……。


だが時間は詰まっているので、私たちが関わったのはここまで。(午後に見てみたら、村人たちが残りを終わらせてくれていた。よって、これでコンクリ流しは全て終わった! やった!)

ちなみに、午前のワーク中にまたセムと話した。今度は随分立ち入った話だ。互いの名前の由来(セムはタイの俳優の名前からとったようだ)や、出身地(彼はホイクン出身ではないそうだ)、さらには奥さんとの馴れ初めについてまで話してくれた。(その晩、セムは彼の家のルームメイトに私のことを話したらしい。彼曰く、「We talked everything」。)

昼ごはんにはラーメンのようなものが出、久しぶりに日本食(らしき)ものを食べた。そして、私のチームはその皿を洗う当番。


村の学校に遊びに

午後の予定はというと、夕ごはんに続きカルチュラルナイトというイベントがある。つまりは文化交流で、ICUPYU、そしてホイクンのそれぞれが、出し物をする。

今晩の村での最後の夕食には、日本食を振る舞うことになっていて、おにぎりを作る予定だった。日本米をどこかで仕入れてきて、私たちが皿洗いしている脇で、ICU食事班は四苦八苦しながら米を洗っていた。

暑い! ほこりだらけで、靴や靴下を変えたかったのだが、それも面倒臭く皿洗い場あたりでたむろしていたら、いつの間にか2時だ(急遽、2時から村の学校に遊びに行くことになっていた)。家に戻りさっぱりしたかったが、諦めてみんなで学校に向かった。

学校は村の入り口にある。校門は初日の散歩で見てはいたのだが、そこから想像されるよりずっと広かった。わざわざ学校の女の子がみんなに水を差し入れてくれた。勉強中のところおじゃましてごめんなさい。学校の校長とか管理人とかいう、ラフな格好のおじさんが案内をしてくれた。驚いたのは、遠いところから通っている人のために、大きくて立派な寮があったことだ。ホイクンで見たいちばん立派な建物かもしれない。

敷地の奥の中学校(?)を見学した。2階建てコンクリート造りだ。坊主刈り&おかっぱの生徒たちが迎えてくれる。授業中だろうか、それとも私たちのために授業を中断してくれたのだろうか。


タイ版九九のポスターが張ってあったが、タイでは12×12まで覚えるらしい。2階ではパソコンの授業をしていた。IT化が意外と進んでいて驚いた。わいわいと、中学校を20分ほど見学した。

小さいながらも、(アムウェイから寄贈されたという)図書館もあった。敷地を回ると、男の子たちが校庭でサッカーをしていた。

学校を出、家でサンダル&半ズボンに替え、3時過ぎ、再び食堂へ。ごはんが炊けていたので、みんなでおにぎりをにぎり始める。日本から持ってきたふりかけを混ぜたおにぎりだ。30分くらいで、100個を優に超えるくらいはできた。

にぎり終えたところで、4時前後、床の出来上がった新教会でソーラン節を練習だ。カルチュラルナイトでのICUの出しものは、歌2曲とソーラン節だった。4時半まで、つまり30分もリハーサルしていないのだが、正直ワークの何倍も疲れた……。ワークでは筋肉痛にならなかったのに、この練習に私の筋肉が悲鳴を上げた! 即刻、太ももなどがひどい筋肉痛になった。

その後は家に戻って顔と髪を洗うが、シャワーは浴びず洗濯もしなかった。書道をするためだ。ホストファミリーやタイでの友達に書をプレゼントすべく、筆、墨、硯を持ってきていた。5時過ぎ、タイの人たちになるべくバレぬよう、現役教会で墨を磨り、ノートにしたためる。途中村の男の子らが教会に入ってきた。興味深そうにこちらを見ていた。

そうこうしているうちに6時になった。夕食が始まる。今夜は食堂でではなく、教会の下にシートをしいて村人と食事を共にする。私たちはホストファミリー&ルームメイトで集まっての晩ごはんだった。

おにぎりはタイ人の口に合っただろうか。私には、挽き肉の辛い料理や、タピオカらしきものを使ったカラフルな甘いデザートがとても美味しかった!


Cultural Night

晩ごはん後は、引き続き新教会で、お楽しみのカルチュラルナイトが始まる。私たちが作ったコンクリートの床を裸足で踏みしめるのは、感慨深いものがあった。

フィリップとエリックのMCのもと、風船膨らまし競争でカルチュラルナイトの幕開けだ。

カレンの人たちは、普段と違う赤や白の民族衣装をまとっていて、ダンスや歌を披露してくれた。ダンスは、子供たち、男の子だけ、女の子だけ、そしてホイクンのお母さんたちだけのものがあり、どれも動きがゆっくりしていて、とても穏やかでやさしかった。私は、村のお父さん、お母さんによる合唱が感動的、そして神秘的で、このイベントの中でいちばん心に残ったものかもしれない。どこか読経のリズムに似ており、親近感を覚えると同時に、(真偽のほどは知らないが)仏教文化の連続性を感じずにはいられなかった。男声の低音とハーモニーがとても心地よかった。

おっと、それに女の子の竹のダンスもすごかった。いやダンスというか、パフォーマンスといえそうだ。おとといの昼に聞いた音楽に合わせて、女の子8人が素早く竹を閉じたり開いたりする間を、4人の女の子が飛び跳ねるのだ。竹に足を挟まれるのではないかと、見ているこっちがハラハラしたが、当事者側は器用にやってのけて、私たちをあっと言わせた。うん、あれには目を奪われた。


PYUだが、男性はタイ北部の伝統衣装というシャツを着、女性は袴にも似たもので着飾り、カラフルな傘を持っていた。彼らのダンスも面白かった。全部で7人くらいの少人数で、シンプルでとてもゆっくりした踊りだ。何を表現した踊りかは忘れてしまった……。

そしてICUの出し物だが、歌2曲(そのうち一曲は「上を向いて歩こう」を全員で)と、先ほど練習したソーランだ。日本で買った(安物の)お揃いの赤と白の法被を着て踊った。ソーランは見せ物の最後あたりの演目でシメ的な役割だったのだが、練習の甲斐あり、拍手喝采を頂いた。翌朝エリックも、あれはreally reallyよかったと言ってくれた。インターネットで調べたいから綴りを教えてくれとまで言われた。

だいたい村人、PYUICUの順で、3周くらいした。見せ物が一通り終わると、ICUPYUの人たちは前に来るよう言われた。何かと思っていると、なんと村から私たちに贈り物があるそうだ! 手製のバッグだ! 肩から掛けるシンプルな布のバッグで、そういえば村人も同じのを持っていたっけ。学校で子供たちはみんな持っていた。この地域でポピュラーなタイプなんだろう。ホイクンのお母さんが、私たちひとりひとりの首にバッグを掛けてくれた。私のは白と藤色の縦縞模様だ。ありがとう!! 超うれしい! 日本でも使うよ!

カルチュラルナイトの最後は、キャンドルセレモニーだ。私たちにろうそくが渡され、灯をもらう。なかなか幻想的な空間だったのだが、正直このとき、疲れと余韻と脱力で、教会に響く聞き取りにくい英語に私の耳が追いついておらず、私はぼーっとろうそくの灯を見ていた。なのでここはよく覚えていない。

10時過ぎ、楽しい夜は終わった。筋肉痛の足に鞭を打ちながら、ルームメイト全員で家に戻る。

その夜、ホストファミリーが私たちの部屋に来てくれて、家の中では初めて彼らと長話をした。といっても、ホストブラザーのジョッガーとの会話がほとんどだったのだが。ジョッガーは(確か)中学校5年生の15歳で、妹は3年生。英語も勉強しているらしく、エリックが英語で「好きなスポーツは」と聞くと、「サッカー」と答えていた。先輩が日本について何か知っていることはと聞くと、富士山を知っているという。あ、そういえば、日本の漫画は、チェンマイはおろかホイクンにまで浸透していた。「ナルト」や「ドラえもん」がかなり有名だそうだ。

なかなかジョッガーとの話に花が咲いて、夜更かししてしまった。12時前、床に就く。

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