タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(11日)

10日 出発とパヤップのお出迎え
11日 象乗りとストリートマーケット
19日 機内泊)

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象に乗る

6:15、起床。7時よりPYUの食堂で朝食。タイは甘いものはとことん甘いと聞いていたが、朝食のスイカジュースはめちゃめちゃ甘かった。日本人には飲めたものじゃないだろう。私は一口飲んで大丈夫そうだったから、まあ飲めると友達先輩に抜かしていたが、やっぱり甘すぎた。強がってごめんなさい。だがPYUの先生は、「Just sweet(ちょっと甘い、という意味だろうか)」と言っていた。

8時半、Mae Taman(メータマン)というところに出発。なんと、象に乗りに行く! エンジンが猛烈な音を立てる例の3列平均台のトラックに、1時間以上揺られての移動。Mae Tamanに着いたら、早速象がいた! たくさん! スケジュールでは象に乗るだけだったが、その前に象のショーを見られるそうだ! 私たちの他にも、多少の日本人とたくさんの欧米の観光客がいた。

ショーはとても面白かった。10頭ほどの象が大きい順に、前の象のしっぽを鼻でつかみながら登場して、座ったり、ボールを蹴ったり、鼻で人をマッサージしたりつかんだり、踏んでみたり、そして最後には絵を書いたり! 10時から40分くらいショーを見たあと、象は観客のところまで来てくれて、象とスキンシップをとれた。象の鼻に乗った人もいたし、象と写真も撮れた。



ショーのあと、象乗り+水牛車乗りだった。乗り場から乗り場まで、往路は水牛車、復路は象という具合だ。水牛車は、周りに基本的に簡素な民家と荒れ野しかない土ぼこりの舞う道を、15分ほど行く。水牛は歩くスピードが遅い上に、舗装されていない道を木製の車輪で進むので、がたがたがたがた、乗り心地は最悪だった(それも観光のうちではあるのだが)。ろくに早く歩けないのに操り手のおばちゃんに棒でぱしぱし叩かれる水牛たちも、気の毒だなと思った。

ゴール地点に店を構える少数民族の、民芸品買って、バナナ買ってコールを抜け、今度はおじさんの操る象に乗る。地上3mくらいの視線だったから、まず高い! かなり揺れはしたが、がたがたすることは無かったので、乗り心地はベターだった。象は2人乗りで、30人以上が一気に乗るので、何頭もの象が前後左右にいる光景は、圧巻。異国に来た感全開だった。




この水牛車&象乗りは、トラックみたいなところを1周というようなちっぽけなものではなく、公道や、民家の間の小路を何百mも進む、より野生に近い道のりだった。公道以外、ほぼ整備されていない道なため、日本では味わえないワイルドさだった。象に乗ったまま川にも入った!

ちなみに、私は残念にもデジカメにメモリーカードを入れてくるのを忘れるという馬鹿をしたため、この川での写真を撮っている最中に、早くも内蔵メモリがいっぱいになってしまった。仕方が無いので、いくつか写真を消去し、写真の大きさを大幅に小さくし、そしてあまり撮らないことにした。(写真の表現力には限界があるし、物より思い出という言葉もある。言い訳。)

さて、象乗りが終わると、ちょうど12時。Mae Tamanの食堂で昼食。ここの料理、特にカレーがとてもうまかった。チキンにかけた青唐辛子のソースは、ぶっちぎりの辛さだった。外には南国を感じさせる大きな葉が茂り、風が心地よかった。

その後、また1時間以上かけてPYUへ。行きにトラックが相当飛ばしていたので、このとき荷台の窓からスピードメーターを覗いてみたが、80キロは当たり前、90キロ出していた時もあった。高速道路じゃなかったはずだが。


震災から1

2時過ぎにPIHに着くと、トラックの振れと狭さに疲れた体には嬉しい、しばしの休憩が持てた。顔と髪だけ洗ってさっぱりし、20分ほど昼寝。

ご存知のように、この日311日の午後2:46は地震から1年だったのだが、それに気づいたのがタイ時間の2時半過ぎ(日本時間の4時半過ぎ)だった。地震からちょうど1年の瞬間(つまりタイ時間午後0:46)は、私たちはごはんを食べ終わり、トラックに乗ろうという頃だったかと思う。その時刻を何かしら日本のことを思って過ごしたかったが、残念だ。

4時、日曜日ということで教会に礼拝に行った。賛美歌集の歌詞がすべてタイ語だったため、最後の「アーメン」しか分からず、私はただ譜面を眺めながらハミングするしかなかった。


ストリートマーケット

5:30頃から教会で早めの夕食で、6:30頃、チェンマイで最大規模のストリートマーケットに向かう。このワークキャンプの最大の目的はもちろん村でのワークだが、ここで、数少ないお土産を買うチャンスだ。

タイの夜のマーケットはやはり治安はいいとは言えないし、迷子になったら大変なので、私たちは5人くらいのグループに別れ、1グループに1人、PYUの生徒が案内役で付いてくれた。7時、私たちのグループ5人と、PYUのフィリップの案内で、マーケットに出発。

ストリートマーケットの第一印象は、きらびやか。きんきんぎらぎらのアクセサリーやカラフルな洋服、絢爛豪華な仏具や彫刻にあふれていた。他にもTシャツ、絵、バッグ、アイスクリーム、軽食、そして鯛焼きまで、歩行者天国の広大な面積にあらゆるものが詰まっていた。私のバッグにはあまり空きが無かったので、小さいお土産をいくつか買えればいいかなと思っていたが、お土産を買うのがいまいち苦手な私は、あまりの人(欧米の観光客が目立つ)とものの多さに目移りしていた。



歩き始めてそう経たないころ、フィリップに勧められてアイスクリームをみんなで食べる。10バーツ(25円程度)。私はココナッツ味(ココナッツはタイ料理に欠かせない。)に挑戦したが、うまかった。

文字好きなので、タイ文字の書かれた何かを自分のために買いたいと思っていたところ、タイ文字に似てはいるけど違う、見慣れない文字の書かれたトートバッグを発見。あとで聞いたら、古いチェンマイ方言Lannaに使われた古い文字だという。80バーツ(200円くらい)と比較的安価。その晩PIHに帰ってじっくり見てみたが、タイ文字にも似ているが、面白いことにビルマ文字ともすごく似ている(実はこのワークキャンプのためビルマ文字も少し勉強した)。文字の進化を垣間見るいい買い物をした!

他に珍しかったのは、象のフンからできた紙製品(ハガキやフォトアルバム)だ。象のフンは午前中にたくさん見たが、深緑色の繊維質だ。だから紙が作れるのだろう。私は買わなかったが、先輩の一人が買っていた。

それにしても、ストリートマーケットに来ればタイ独特のエネルギーが感じられる。例えば店番は印象的だった。無愛想な店番、座り込んで食事をつまむ店番、MacBookでインターネットに勤しむ店番、YouTubeを見る店番、他にも、道の真ん中に座り込み楽器を演奏する子供。マイクを持ってこぶしの効いた歌を歌う何人もの盲人などなど。これだけ読むとタイの人は自堕落でだらしないと思うかもしれないが、どこか違う。タイは、これはこれで立派に成り立っているのだろう。あまり時間や体裁にこだわらない印象を受けた。熱気、人、匂い、色、音、全てが迫ってきた。

いろいろ面白いものがあって、目移りしていたら、気づいたら集合時間9時の5分前。かなり早く時間が過ぎて、結局自分の分しか買えなかった。17日にまたナイトマーケットがあるので、そこで買わなければ。

ICUの参加者は女の子が多かったし(男5、女19)、さぞかしみんな買っただろうと思ったが、集合場所やトラックの中で何人かに聞いてみても、お土産を買ったという人は結構少なかった。アイスとかジュースとかを買って食べた人が多かった。目移りしたという声もあったし、今日は下見という声もあった。

全員無事集合。マーケットからまたトラックでわいわいとPIHに戻り、簡単にシャワー。このジャーナルは途中のまま、11時半に消灯。

PIH C115、及び翌日の食堂入口の床、及び村のホストファミリーの部屋
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