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タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(16日)

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10 日 出発とパヤップのお出迎え 11 日 象乗りとストリートマーケット 12 日 村への移動 13 日 ワーク 14 日 ワーク 15 日 ワーク 16 日 ワークと Cultural Night 17 日 献堂式とパヤップへの移動 18 日  Umbrella Village 、そして別れ ( 19 日 機内泊) ****** ワークも終了 今日は、村の、相当長い大音量の公共放送に叩き起こされた(毎朝あったらしいが、この日しか気付かなかった) 今日の午前でワークは終わりだ。回廊が、全部で 1 × 50m くらい残っていた。がんばれば終わる量だ。村人もいつもより多く働きに来ていて、私たちが仕事を始める前から働いていた。 コンクリートの山を次々と、効率アップで作っては運び、作っては運び、みるみる回廊がコンクリで埋まってきた。あと少しだが、時間が無い。あと数 m というところで、そのときあったコンクリ山が終わり、同時にワーク終了の 12 時になってしまった。あとたった 4 、 5m で、あと 2 山も作れば終わったのだが……。 だが時間は詰まっているので、私たちが関わったのはここまで。(午後に見てみたら、村人たちが残りを終わらせてくれていた。よって、これでコンクリ流しは全て終わった! やった!) ちなみに、午前のワーク中にまたセムと話した。今度は随分立ち入った話だ。互いの名前の由来(セムはタイの俳優の名前からとったようだ)や、出身地(彼はホイクン出身ではないそうだ)、さらには奥さんとの馴れ初めについてまで話してくれた。(その晩、セムは彼の家のルームメイトに私のことを話したらしい。彼曰く、「 We talked everything 」。) 昼ごはんにはラーメンのようなものが出、久しぶりに日本食(らしき)ものを食べた。そして、私のチームはその皿を洗う当番。 村の学校に遊びに 午後の予定はというと、夕ごはんに続きカルチュラルナイトというイベントがある。つまりは文化交流で、 ICU 、 PYU 、そしてホイクンのそれぞれが、出し物をする。 今晩の村での最後の夕食には、日本食を振る舞うことになっていて、おにぎりを作る予定だった。日本米をどこかで

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(15日)

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10 日 出発とパヤップのお出迎え 11 日 象乗りとストリートマーケット 12 日 村への移動 13 日 ワーク 14 日 ワーク 15 日 ワーク 16 日 ワークと Cultural Night 17 日 献堂式とパヤップへの移動 18 日  Umbrella Village 、そして別れ ( 19 日 機内泊) ****** ワークも大詰め 今日もおとといや昨日とだいたい同じスケジュールだ。 が、今日は朝ごはん係だったので、 5:10 に起きた! まだ真っ暗である。前にも書いたが、暗い間は、昼間はおどおどしていた犬が凶暴化する。私も夜に吠えられたことがある。明朝、犬に囲まれて身動きがとれなくなったという人もいた。なので、家から食堂に行くときは、チームでかたまって歩いた。 5:30 過ぎより調理。私はにんじんを細く切ったり、唐辛子を切ったりした(書き忘れたが、唐辛子はソースなどでほぼ毎食出た。タイの唐辛子は、とんでもなく辛い)。 朝食のスープに、豚肉の角煮みたいなものが出た。うまかった。 今日のワークだが、昨日までで内側はかなり出来てきたので、今日中に終わらせ、外の回廊に取りかかる。毎日コンクリートを作ったり運んだりしているので、もうみんなコンクリートの作り方はバッチリだ。 1 山を作るには、バケツ 40 杯前後の砂と 2 袋のセメントをよく混ぜ、 40 杯前後の砂利を足し、水を入れて、鍬やシャベルでこねる。こねるのには相当な筋力とテクニックが必要で、そこは村の人たちがうまかった。 ワーク中はこまめにブレイクタイムを取ってくれたのだが、そのときに色々とタイの甘味を楽しめた。果物はパイナップルや青マンゴー(黄色いのと違って固く、全く甘くない)、それに名前は分からない果実も食べた。飲み物は基本水だが、コーヒー(インスタントコーヒーとココアとクリームとたくさんの砂糖を混ぜて飲むのがタイ式らしい)や、 16 日にはココア(激甘コールド)が出た。お菓子も出た。 午前中のブレイクだったか、私が腰を下ろして休んでいると、隣に村の男性が座った(いつもは村人は村人でかたまって休んでいる)。すると、彼が英語で私に話しかけてきた。彼は片言ながら英語が話せた。その後数分の間、いろいろな話

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(14日)

10 日 出発とパヤップのお出迎え 11 日 象乗りとストリートマーケット 12 日 村への移動 13 日 ワーク 14 日 ワーク 15 日 ワーク 16 日 ワークと Cultural Night 17 日 献堂式とパヤップへの移動 18 日  Umbrella Village 、そして別れ ( 19 日 機内泊) ****** ワーク 基本のスケジュールは昨日と同じだ。チャボの鳴き声を聞きながら朝早く起き、礼拝をし、朝ごはん。 私たちはこの日の朝ごはん後の皿洗い担当だったので、大量の食器を洗った。タイの衛生環境には慣れたが、皿洗いはまだちょっと心配だった。屋外、地面、汚れた水。食器は 4 段階で汚れを落としていったが、皿洗いの間、水はあまり換えなかったので、とても汚れていた。よくこれで食中毒が出なかったものだ。 そういえば、皿洗い場あたりに捨てられた残飯は、犬が食べていた。いい循環だとは思うけど、お前たち、それ洗剤にまみれているぞ。 午前のワーク中、カレン出身の PYU 生のドイに、カレン語の 1 から 10 を教えてもらった。ター [tə:] 、キー [ki:] 、サ [sə] 、ルイー [lɯi:] 、ゼ [ze] 、クー [ku:] 、ヌイー [nɯi:] 、コー [ko:] 、クイー [kɯi:] 、ターシ [təʃi] !( IPA は私の解釈で付けてみた。)タイ語とも全然違った!  3 「サ」が日本語や中国語やタイ語と似ているかも。 私も、お返しにドイとエリックに日本語の 1 から 10 を教えてあげた。 2 人とも上手。でも「ろく」と「はち」が二人ともなかなか覚えられなかったようだ。 昼食後、村のおじさんたちの気まぐれで、カレンの音楽を披露してくれた。鉦と鼓と小さいシンバルで、シンプルなリズムを刻んだ。おめでたいときに演奏するそうだ。 教会の床は今日で 8 割ほど終わった。順調だ。 夕方以降 今日も晩ごはんはホストファミリーの家でだ。今日は生魚 6 匹、鶏肉、白菜、インゲンなどが配られた。私は、鶏肉を骨から切り離して細かく切ったり、ニンニクの皮を向いたりした。ヌックとクワンの鍋さばきのもと、出来上がったのは魚の素揚げ、鶏肉

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(13日)

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10 日 出発とパヤップのお出迎え 11 日 象乗りとストリートマーケット 12 日 村への移動 13 日 ワーク 14 日 ワーク 15 日 ワーク 16 日 ワークと Cultural Night 17 日 献堂式とパヤップへの移動 18 日  Umbrella Village 、そして別れ ( 19 日 機内泊) ****** ワーク開始! 6 : 15 、ルームメイトのアラームで起き、顔と髪だけ洗う。ホストファザーがインスタントコーヒーを持ってきて下さったので、一緒に飲んだ。 7 時半より教会で朝の礼拝。 8 時ころより朝食。 9 時ころ より教会でミーティングがあり、ワークに向けての諸連絡があった。(このあたりから記述が大雑把になってくるが、これはこれ以前のジャーナルを書きすぎて書くのが追いつかなくなったので、以降所々はしょって書いたため。) 9 時半ころより、とうとうタイワークキャンプの「ワーク」が始まる。教会は基礎、壁、屋根は立派なのが完全にできていて、あとは床と窓と内装だけだった。私たちがワークキャンプでするのは、床にコンクリートを流すことだ。 まずは奥の段の床を作るべく、バケツリレーで一杯ずつコンクリートを送る。ワークは、トラックでセメントと砂と砂利が村に運ばれてくる以外、すべて手作業だ。 午後2時半撮影 20 分ほどだったかで、 2 、 3 のコンクリートの山を捌き、奥の段の半分弱ができた。とここで 10 時より、ワークを始めて間もないが、私たちは昼ごはん準備の担当だ。教会を抜け、食堂で大量のハーブ(種類はわからなかった。)の葉を茎からとったりした。 12 時より昼ごはん。 午後は、休憩をこまめにとりながらコンクリート作り&運びに精を出す(差し入れで好物のパイナップルがたくさん出た。タイではとてもポピュラーだ)。列を作っての、コンクリート、砂、砂利のバケツリレーやコンクリートを混ぜるがほとんどなため、力仕事だし、埃や泥にまみれる。 カレンの伝統的なスタイル 3 時半ころ(?)、今日の労働は終了。床全体の 1/3 くらいができた。 スケジュールでは、休憩のあと 6 時より夕食だが、今日 13 日と 14 日は、ホス

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(12日)

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10 日 出発とパヤップのお出迎え 11 日 象乗りとストリートマーケット 12 日 村への移動 13 日 ワーク 14 日 ワーク 15 日 ワーク 16 日 ワークと Cultural Night 17 日 献堂式とパヤップへの移動 18 日  Umbrella Village 、そして別れ ( 19 日 機内泊) ****** 村への大移動 6:20 起床。朝食はチャーハン(タイでもポピュラーらしい)と目玉焼き、そして昨日と同じ激甘スイカジュース。 7:45 にごはんが終わり、 PYU からプレゼントされた、ワーク用のうす水色のおそろいの T シャツを着て、食堂の入り口で集合写真を撮影。 そして、 8:30 、昨日までのより大きい(けれど形は同じ)トラックに荷物と人を詰め込んで、予定を 30 分過ぎて、村へ出発。 スケジュールでは、村への移動時間は 3 時間 30 分。この移動には覚悟が必要だと、日本でのミーティングで脅されていた。トラックで舗装されていない道を通るから、下手に乗ってトラックから放り出されるなと言われていたのだ。沢木耕太郎の「深夜特急」を少し読んだことがあったから、なんとなくイメージはついていた。 予想通り、移動手段は、何度も登場している年季の入った 3 列平均台トラックだったから、車酔いを心配している人もいた。だけど私は、スリルも味わえるし、お隣との距離がゼロでわいわいできるこのトラックが好きだった。 3 時間以上のハードな移動に対する運転手の配慮は(これも予想通り)微塵も感じられず、トラックは喋り声を打ち消す騒音を立て、猛スピードで町々を駆け抜けた。横だけでなく、縦にもがたがた揺れる。こりゃ気持ち悪くなる人もいるわ。 道半ばのガソリンスタンドで、トイレ休憩と、ついでに、スタンドに面してあった売店で、いつの間にかタイのお菓子購入タイム。 その後は 11 時半、左右にどこまでも針葉樹が続く道の脇で、短い休憩。村は近いという。 村までの最後の約 40 分の山道で、想像と違ったのは、最後の最後まで舗装道路が続いたこと、そして最後の最後までビルマ文字を見なかったことだ(カレン族の言語はタイ語ではなくカレン語といい、ビルマ文字で書かれる。

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(11日)

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10 日 出発とパヤップのお出迎え 11 日 象乗りとストリートマーケット 12 日 村への移動 13 日 ワーク 14 日 ワーク 15 日 ワーク 16 日 ワークと Cultural Night 17 日 献堂式とパヤップへの移動 18 日  Umbrella Village 、そして別れ ( 19 日 機内泊) ****** 象に乗る 6:15 、起床。 7 時より PYU の食堂で朝食。タイは甘いものはとことん甘いと聞いていたが、朝食のスイカジュースはめちゃめちゃ甘かった。日本人には飲めたものじゃないだろう。私は一口飲んで大丈夫そうだったから、まあ飲めると友達先輩に抜かしていたが、やっぱり甘すぎた。強がってごめんなさい。だが PYU の先生は、「 Just sweet (ちょっと甘い、という意味だろうか)」と言っていた。 8 時半、 Mae Taman (メータマン)というところに出発。なんと、象に乗りに行く! エンジンが猛烈な音を立てる例の 3 列平均台のトラックに、 1 時間以上揺られての移動。 Mae Taman に着いたら、早速象がいた! たくさん! スケジュールでは象に乗るだけだったが、その前に象のショーを見られるそうだ! 私たちの他にも、多少の日本人とたくさんの欧米の観光客がいた。 ショーはとても面白かった。 10 頭ほどの象が大きい順に、前の象のしっぽを鼻でつかみながら登場して、座ったり、ボールを蹴ったり、鼻で人をマッサージしたりつかんだり、踏んでみたり、そして最後には絵を書いたり!  10 時から 40 分くらいショーを見たあと、象は観客のところまで来てくれて、象とスキンシップをとれた。象の鼻に乗った人もいたし、象と写真も撮れた。 ショーのあと、象乗り+水牛車乗りだった。乗り場から乗り場まで、往路は水牛車、復路は象という具合だ。水牛車は、周りに基本的に簡素な民家と荒れ野しかない土ぼこりの舞う道を、 15 分ほど行く。水牛は歩くスピードが遅い上に、舗装されていない道を木製の車輪で進むので、がたがたがたがた、乗り心地は最悪だった(それも観光のうちではあるのだが)。ろくに早く歩けないのに操り手のおばちゃんに棒でぱしぱし叩かれる水牛たちも、気の毒だなと思った。

タイの少数民族の村で教会の床を作るワークキャンプ(10日)

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3月 10 日から 18 日までの 9 日間、タイ北部にワークしに行って来ました。 タイワークキャンプという ICU の宗務部が企画する行事で、タイ北部のキリスト教が信仰されている地域(タイは仏教国だが)に行き、現地の大学生(チェンマイにある パヤップ大学 )と共に教会を建てるというものです。 30 回目を迎える今年は、 ICU 生 24 人と先生 2 人で、タイもミャンマーとの国境近い、カレンという民族の村に行き、コンクリートをまぜまぜ、教会の床に流してきました。 このブログに書くためにも、現地で飛行機で日本で、大量のノートを取ったので、それに加筆修正しながら、とんでもなく楽しかったこのタイワークキャンプを、 1 日ずつ全 9 記事でまとめようと思います。 10 日 出発とパヤップのお出迎え 11 日 象乗りとストリートマーケット 12 日 村への移動 13 日 ワーク 14 日 ワーク 15 日 ワーク 16 日 ワークと Cultural Night 17 日 献堂式とパヤップへの移動 18 日  Umbrella Village 、そして別れ ( 19 日 機内泊) ****** 空港は面白いところ 実はこれが初海外だった。 いろいろと分からないこともあり、前日の荷造りが深夜 1 時までかかってしまった。 成田に朝 8:45 集合という早さだったので、 5 時に起きた。そしてなるべくいつも通りに朝食をとり、 6 時に家を出て最寄り駅へ。東京は前日から大雨で、出鼻をくじかれた感じだ。しかも都心を走る頃には雪になっていたし。 成田に近づくにつれスーツケースを持った人が増えていくのが、何となくいい。これから日本を離れるのだと思うとわくわくする。 成田空港駅着が 8:08 。家より 2 時間強。駅についたら早速パスポートを見せるのか。どきどきだ。私はかなり早めの到着だったが、 4 階南ウィングの集合場所にはすでに 6 、 7 人いた。集合時間の 45 分を 1 、 2 分過ぎるも、 26 人という大所帯が無事全員集合という幸先の良さで、早速搭乗手続きに向かう。 変な感想かもしれないが、荷物の預けから始まって、空港という大きなシステムの

「僕カル」変革前夜(タイに行ってて更新できませんでした)

最近では珍しく、1か月近くも更新が無くてごめんなさい。 大学が2月末まであったり、友だちとコンパしたりカレーパーティーしたり、実家に帰ったり、サッカーの試合見に行ったり、読書がなかなか進まなかったり、ぼけーっとしてたり、そして おとといまで9日間タイ にいたりしたので、更新できませんでした。 最近10日間(つまりちょうど私がタイにいた期間)くらいは、更新の無さに、さすがにページビュー数は落ちているかなあと思っていたら、まさかのその逆。一日100PV(本ブログの最近の平均+α)どころか、200以上、300以上の日もありました。嬉しい限りです。同時に、更新へのやる気にもなります。 ついでに重大発表ですが、ブログ移転を計画しています。WordpressとBloggerで迷っています。3月末までには絶対します。それにあたっての記事が近々1、2個投稿されますので、ご承知おきを。 移転後、新ブログの第一号記事は、タイのジャーナル(紀行)の予定です。現地等で大量にノートを書いたので、相当な量です。タイプするのが面倒くさいのですが、乞うご期待。