2011年12月31日土曜日

日本の美、金魚をここまで極めたか。深堀隆介「金魚養画場」

昨日長野県に帰省しました。寒い。

(私のアクセス可能な図書館の中では)唯一地元の図書館にしかなかった本を、2冊借りてきてもらっていました。そのうち1冊を、年内の読書リストに滑り込みで加えます。文章ではなく、写真集ですが。

金魚養画場 [大型本] / 深堀 隆介 (著); 文芸社 (刊)



これは……予想を超えた。凄かった。

深堀氏の描くのは日本の美、金魚、ひたすら金魚です。中でも、樹脂を流し込んでは絵の具を塗り、樹脂を流し込んでは絵の具を塗りという作業を何回も繰り返して立体的な作品を生み出すという、氏独自の技法によって描かれた金魚は、本当にそれが水の中を泳いでいるという錯覚を起こさせるほど美しいものでした。平面作品も、それに劣らず美しかったです。樹脂の作品には夏の縁日で感じるような涼しさ、平面作品には金魚の優雅さ、荘厳さを感じとりました。

意識していませんでしたが、金魚がこんなにも日本に根付いた文化だったのかと強く思い起こさせる作品の数々でした。40歳にもなっていない深堀氏ですが、作品に年齢以上の深さを感じました。

美しい。どれもこれも。

これら純和風の作品を見て、私も俄然、書道の創作意欲が湧きました。以前から書道でやりたいことはたくさんあったのですが、時間とお金の問題上(前者はどうとでもなるけど後者はなかなか難しい。)、実行できずに頭の中でぐるぐるしています。書道がしたい。

実は私も、他に選択肢が無かったら美大とか芸大に行きたいなあという夢がありました。本気で考えてはいませんが。書道ではなく、日本画とかデザインとか陶芸とかを学びたかった(そして正直今も学びたい)です。

ともあれ、年の瀬に、いいものを見ました。これは買いだ。

深堀隆介のオフィシャルサイトはこちら

2011年12月26日月曜日

「東日本」で激動の今、「阪神・淡路」の報道写真集を買ってきた

数百年に一度の規模と言われる東北地方太平洋沖地震。地震から9か月半が経った今も、新聞のあちこちに震災関連の記事が見られます。

そんな状況で折しもあれ、クリスマスイヴの24日、BOOKOFFで阪神・淡路大震災の報道写真集を見つけ、買ってきました。(800円でした。)

報道写真全記録―阪神大震災 [ペーパーバック] / 朝日新聞社 (著); 朝日新聞社 (刊)

「阪神・淡路」は「東日本」以前は戦後最大だった震災ですから、今年の地震と比較してみるのもいいかもしれないと思いましたし、私はその震災をぎりぎり知らない世代の人間なので(その頃まだ2歳)、今ここで出会ったのも運命、これを機にもっと知っておきたいと思ったのも買った理由です。

地震を取り巻く環境は、「阪神・淡路」以降、もしくは「阪神・淡路」がきっかけとなって大きく変わりました。携帯電話の普及でダイヤル式の電話を臨時で設置する必要は無くなりましたし、(詳しくは知りませんが)甘い耐震強度は見直されたはずですし、そして緊急地震速報によって地震情報をただちに知ることができるようになりました。

ただ、「想定外」と油断が招いた震災であったことは、「東日本」も「阪神・淡路」も同じでした。

2011年12月25日日曜日

オリバー・サックス医師の「妻を帽子と間違えた男」

Merry Christmas!

先日読んだ「ぼくには数字が風景に見える」に出てきた、妻を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション) [単行本] / オリバー サックス (著); 高見 幸郎, 金沢 泰子 (翻訳); 晶文社 (刊)が面白そうだったので、世間がクリスマスムード一色の中、読みふけっていました。



30年近く前にアメリカで発売された本書はベストセラーで、著者のオリバー・サックスは、「20世紀のもっともすぐれたクリニカル・ライター」と言われています。

本書には、脳神経的な異常により、不思議な症状が現れた人々の話が24編も収められています。すべて著者が診た人ばかりで、タイトルにある、妻を帽子と間違えた男の話や、記憶を無くし、際限なく作話をする男、子供時代のアイルランドの歌が突如として頭の中にリピートし始めた老婆の話など、脳の奥深さを感じずにはいられない奇妙なケースばかりです。

しかし、これらを面白半分に、珍しいものを見るような目で読むのは、著者の意図の全く異なるということを、書き漏らすわけにはいきますまい。サックスにとって、そして医学にとって、最も関心を寄すべき対象は、病気ではなく、それと闘う人間なのです。例えば記憶が無くなって自分のアイデンティティが無くなっても、それを取り戻そうと苦悩する人間こそが、中心に置かれるべきだと彼は考えるのです。事実、本書の24編は、事実の記録というよりは、多少哲学的で、彼の患者への深い愛情が伝わって来ます。(哲学的なことが苦手な私には、本書の「はじめに」の時点で拒絶反応が出たことは隠すべくもない事実ですが、最後まで読んで今は満足しています。)

本書は例に漏れずICU図書館で借りましたが、手に取ってみると表紙はぼろぼろ。ハードカバーが破れてしまいそうだったのか、背表紙はテープで補強してあり、これが数多くのICU生に読まれてきたことを何よりも物語っていました。裏表紙の中、ICU図書館がアナログだった時代の遺物、貸出期間票を見ると、配架日時は1992年の私の誕生日とほぼ同じ。(これ貸出期間票っていうのか。調べるのに苦労したぜ。まだ売られてるのも驚き。)92年の配架時から00年の2月まで、実に46回も借りられていました。年に約6回です。00年もそのスピードは全く落ちていませんでした。

ちなみに、5年とかそのくらい前のこと、途方も無く大きな素数を楽しそうに言い合うとんでもない双子の話を聞いたことがあって、それが本当なのか半信半疑でした。ですがその話が、何と本書に載っていました。今になって、その話が噂でもなんでもないのだと確かめられたのです。

滅多に起こらない、読書を通した良き偶然の出会いでした。

2011年12月19日月曜日

共感覚者ダニエル・タメットの半生「ぼくには数字が風景に見える」

共感覚や、サヴァン症候群に惹かれます。

共感覚とは、1つの感覚の刺激に対して、他の感覚が連動する知覚現象のことです。最も典型的なのは文字や数字を見てそれに色を感じるタイプですが、他にも、味に形を感じるという共感覚者などもいます。(この味はとがっている、というふうに。)共感覚はごく限られた人が持つ、原因不明の能力です。

サヴァン症候群とは、自閉症など脳に発達障害のある人が持つ、計算、記憶、芸術における超人的な能力のことです。例えば、過去から未来にわたって何千年、何万年の日付の曜日を一瞬で当ててしまう人、1度見た風景を瞬時に記憶し、それを何も見ずに正確に描く人、途方もなく大きい数が素数か否かが、考えなくともわかる人、天才的な暗算能力を持つ人などがいます。

私は、そんな共感覚とサヴァン症候群の不思議にとりつかれていました。

昨日まで読んでいた本は、共感覚、サヴァン症候群、アスペルガー症候群を併せ持った青年ダニエル・タメットが自身の半生を綴った、ぼくには数字が風景に見える [単行本] / ダニエル・タメット (著); 古屋 美登里 (翻訳); 講談社 (刊)です。



アカデミックで小難しい話は全く無い、純粋にタメットの驚くべき経験の数々が淡々と綴られており、私にとっては面白いことこの上なく、1ページ1ページが彼の不思議な世界に満ち満ちていました。とても難しいと言われる言語をわずか1週間でマスターしたり、円周率の暗唱でヨーロッパ記録を樹立したりと、冗談ではなく、本書には「普通の」人には経験できない世界が広がっています。あとは、本書をお読みください。もちろん、アスペルガー症候群であったために、彼の子供時代は孤独と苦痛との闘いだったことも付け加えておかなければなりますまい。(タメットの公式ウェブサイトはこちら

そう言えば、2005年に、イギリスで制作された彼のドキュメンタリーがNHKで放送されて、面白そうだったのに私は見逃してしまって、最後の1分くらいしか見られなかったのですが、それがタメットだったとは本書を読んでわかりました。

ちなみに、サヴァン症候群を持つ人は大抵コミュニケーションの障害を持っていて、自分のことをうまく表現することができません。タメットが本書を執筆し、多くの人にアスペルガー症候群やサヴァン症候群のことを知ってもらえたのは、彼の障害が軽度だったために他なりません。

タメットが本書を書いてくれたこと、私が本書に出会えたことを、幸運に思います。

2011年12月17日土曜日

眺めるだけでも楽しいJ.ニールセン著「ウェブ・ユーザビリティ」

師走の訪れとともに冬学期(=3学期)が始まって、新しいことにも挑戦して、そして急に寒くなったせいで風邪をひいて、本を読む時間がこま切れになってしまいました。3日前まで鼻を垂らしながら読んでいた本は、先月13日の記事で紹介した本に言及されていた、ウェブサイトの使いやすさに関するものです。

ウェブ・ユーザビリティ―顧客を逃がさないサイトづくりの秘訣 [単行本(ソフトカバー)] / ヤコブ ニールセン, 篠原 稔和 (著); グエル (翻訳); エムディエヌコーポレーション (刊)



そのときの記事でも書いたように、私はウェブデザイン「鑑賞」が好きで、クールなデザインのサイトに出会うと、それだけで嬉しくなっちゃって、逆に、簡素なHTMLで書かれたような一昔前のデザインのサイトを見ていると、ストレスが溜まります。例えば、「ブクレコ」というソーシャルブックコミュニティーや、Harvard Universityや、Appleのサイトは、は洗練されていて、最先端のデザインなので好きですが、私も何度か行っている新宿の書道用具店「キョー和」のサイトは、お言葉ですが洗練されているとはお世辞にも言えません。

本書は、ユーザーに使いやすいウェブサイトを作るテクニックを、300ページ以上にわたって網羅的に書いた、教科書的な本です。実際のサイトのスクリーンショットもたくさん載せ、その良い点や悪い点の指摘もしており、当時のデザインをビジュアルで知ることもできます。

著者と出版年にも注目です。著者のヤコブ・ニールセンは、インターネットの普及以前からユーザビリティの研究をしており、ウェブ・ユーザビリティの最初期の、最も有名な専門家の一人です。出版年は、原本、邦訳ともに2000年で、ICU図書館でもざっと見てみましたが、この類の本はそれ以前にはほぼ皆無でしょう。(当時のインターネットの普及度から見てもそう言えそうです。)類書は山ほどありましたが、本書が最も基本的でバイブル的な存在でしょう。本書で指摘されていることのほとんどが、今は達成されていることを考えれば、ニールセンの先見の明、または影響が窺い知れます。90年代後半というと、Googleがβ版の時代、800x600以下のPC画面サイズが7割近い時代でした。(このサイズは00年代後半に携帯電話に抜かれてしまいます。)

私はニールセンの意見にほぼことごとく賛成です。まあですから刺激的な読書だったかと言えばそうでもないですし、単なる私の好みの再確認に過ぎないかもしれませんが、それでもとても内容が濃く、楽しい本です。

以上が本書の概説でした。以下もう少し細かく、興味深かったことと気になったことを箇条書きします。

・十数年前は接続速度が桁違いに遅かったので、ページを開くのに数十秒も待つというのはざらだったようです。そのためページサイズをなるべく小さくする方法が詳しく書かれていたり、英語版の著者のプロフィールに、「彼のサイトはテキストのみで、とっても速く動きます。(CR訳)」というジョークまで書かれていたりするほどでしたが、今や時代は全く変わりましたね。(実は彼のサイトはいまだにテキストのみです。その理由は、彼自身デザイナーではないのでデザインにお金を掛けたくないし、わざと時代遅れのデザインにして過度な装飾のサイトを非難している、ということだそうです。(参考:本人による説明ガーディアン紙の記事))

このちょっと面白い例があります。東大の非公式情報サイト「UTnavi.info」に、1998年から今年2011年までの駒場祭の歴代ウェブサイトへのリンクがあります。一番古い98年のと、今年のを比べると、情報量の増加とデザインの進歩に感嘆せずにはいられません。

・英語の原本も借りて比較してみましたが、元はオールカラーなのに、邦訳はオール白黒。画像も何枚か削られていて、原本の最後の数ページの章、「Recommended Readings」は丸ごと無くなっています。(まあこれは翻訳の性質上しょうがないか。)あまり歓迎されたことではありませんね。

・著者が「Macが消える」と予測したのは面白い。実際は正反対で、今Macは(日本ではまだそうでもないけど)世界のスタンダードみたくなっていますね。

・最後にもう1つ。全体を通して気になったことですが、文章が下手。著者のせいか訳者のせいか、断定はできませんが、訳者のせいだろこりゃ、というところが多かったですね。しかも、誤訳をとりあえず1つ見つけました。日本語が変だったので、元に当たってみたら、やっぱり(そこじゃなかったけど)その周辺で訳し間違えてました。著作権の問題があると思うので、本文は載せませんが、原本385ページの最初の2文(邦訳331ページの最初の2文)は、私なら、「ウェブは印刷物ではないし、ホームページは雑誌の表紙ではない。」と訳します。自信ありです。

2011年12月2日金曜日

英語や日本語やモホーク語を作る「レシピ」とは

ボリュームたっぷりでした。もうおなかいっぱい。

やっと読み終わった、言語のレシピ―多様性にひそむ普遍性をもとめて [単行本] / マーク・C. ベイカー (著); 郡司 隆男 (翻訳); 岩波書店 (刊)は、学術書の中でもかなり中身が詰まっていて、決して易しくなかったので、時間はたっぷりあったのに読了に10日近くかかりました。



本書は、パラメータという、現代の言語学の非常に有力な理論についての一般向けの入門書です。その理論は、簡潔に言うと、多様な化合物が100余りの元素から成り立っているように、多様な言語は有限個のパラメータという「スイッチ」の設定によって成り立っているというものです。

パラメータ理論で、言語に関するいろいろな説明が簡潔になります。例えば子供は、白紙の状態から言語を学ぶという非効率的なやり方をしているのではなくて、生来備わっているパラメータの値を設定していくことにより効率よく学んでいるのだと考えることができます。また、英語には常に主語がなければなりませんが、イタリア語やスペイン語は場合により主語が省略可です。このとき、空主語パラメータというものが想定され、英語ではそれがオフに、イタリア語やスペイン語ではオンになっていると考えるのです。

著者は、このパラメータ理論を押し進め、英語と日本語、英語とモホーク語(北米の先住民族の言語)という、あまりにかけ離れた言語も、パラメータのレベルではそれぞれたった1つの値しか違わないと結論付けます。見た目が全く違っているのに、たった1個のパラメータでその違いが説明できるというのです。

著者は、パラメータが全てを説明するという考え一筋なので、彼を信じるかどうかは読者次第ですが、私は、パラメータというものはどうやらありそうだと思いますし、彼の理論も一応筋は通っていそうだと感じています。

後半に行くにつれて難しくなっていったので、読むのが大変で、理解せずに読み進めてしまったところもありましたが、なかなか興味深かったです。