2011年5月19日木曜日

内容じゃなく文体にも気を払ってみてね

私は書評などで見つけた読んでみたい本をリストしているのですが、小説はほとんど無くて、大半が自然科学分野の書物です。なので、あまりポピュラーになりにくいなどの理由から、手に入れにくいものもやはりあります。つまり、絶版になっている、値段が高い、書店を探してもどこにあるのかいまいち分からない(店員さんに聞けばいいのだが)、大きな図書館にも無い、などです。

もちろんAmazon.co.jpなど通信販売で買えるものは多いのですが、手に取って読んでもいないものを買いたくありません。私は本は図書館で借りるので十分だと思っていて、買うのは、それがよっぽど面白かったときだけという方針です。

さて、地元の書店や図書館で見つからなかった本を、ここ東京でどう探すか。

私は最寄りで最大の書店、紀伊国屋書店の吉祥寺東急店で探すつもりでした。別に全部読まなくても、パラパラ眺めてみれば買うべきか買わざるべきかは分かるので。しかし、紀伊国屋書店もやはりすべてを満足させるわけではありません。在庫切れの本がやはりありますし、そもそも電車に乗らなければならなかったり、もしくは自転車を何十分もこがなければならないのは面倒です。

そんなことを考えていた4月末、近所に素晴らしい図書館があることに気づきました。

ICUの図書館があるじゃないか

ICU図書館の蔵書は学術書が中心なので、灯台下暗しだなあと思いつつ検索してみると、出るわ出るわ、今まで全く見つからなかったあれもこれも。これでようやく何十か月、何年とお目にかからなかった本にご対面できるというわけです。さすが大学図書館、これだけいい環境にいれば、読書も進むってもんです。

前置きが長くなり過ぎました。

5月初め、その私のリストの中からまず借りてきたのは、手軽に読めそうだったこれ、文体練習 [単行本] / レーモン クノー (著); Raymond Queneau (原著); 朝比奈 弘治 (翻訳); 朝日出版社 (刊)。原文はフランス語で、原題は"exercices de style"。



ここ1、2年の書評で見つけたから新しい本だと思っていたので、本が意外に汚れていて一瞬それが本書なのか分かりませんでした。本書の出版は1996年でした。フランス語の初版は1947年と、実はめちゃめちゃ古い本でした。

本書は奇書だと思います。ある他愛のない短い物語が、99もの異なる文体で語られるのです。

一番最初はメモ調で中性的な文体に始まり、語尾を揃えてみたり消してみたり、視点が第三者になったり当事者になったり、関西弁になったり漢文になったり。考えうる限りの多様な文体で同じことを繰り返し記述します。一番記憶に残っているのは隠喩を使った章です。これが一番笑えたので。

本書を読んで知りましたが、本書はフランス国内やフランス語学習者の間でかなり有名なようです。フランス語の様々な文体を知ることができるからです。だからICUのも汚れていたのですね。

書評もネット上でたくさん見つけることができます。その書評のほとんどは、訳出不可能な章も多い中、それを見事に日本語に置き換えた訳者を称えるものです。フランス語にしかできない操作があるわけですが、それをしかるべく日本語の場合に当てはめた訳者の力量と知識量には感嘆するばかりです。

簡単な例を挙げると、原典ではイタリア語もどきだったりラテン語もどきだったりギリシャ語もどきだったりするものを、そのまま訳すことは不可能なので、関西弁にしたり漢文にしたりしています。

ですがそれと同時に、私は作者のレーモン・クノー自身にも少し興味を持ちました。

クノーはこうした言葉遊びにかなり熱心に取り組んでいるようで、ほかの作品でも実践しているそうです。

彼の目的が、1つのことを何通りででも表現してしまう言葉の空虚さを露呈することなのか、逆に、1つのことを何通りででも表現してしまう言葉の多様性を賛美することなのか、はたまた単に好奇心と子供心からなのか、それはわかりませんが、クノーのこの試みに興味があります。その興味の出所はおそらく、多少の言語学的な興味と、少々の数学的な興味と、文章も句読法も規範にのっとって書かれるというあまりに当然の前提の上に立つ文学界に、本書が新風を巻き起こすであろうという期待だと思います。本書のいくつかの章は、数学的規則で文章が操作されています。

それに、彼も関わったという文学グループ「ポテンシャル文学工房(Ouvroir de littérature potentielle)」、略して「ウリポ(Oulipo)」のことももっと調べられたらと思います。ウリポの目的もやはり、文章を機械的、数学的に改変する言葉遊びを通じ文学の新しい可能性を探究することです。

奇妙な本から意外なものを掘り出して、本を読むことの醍醐味を味わうことができました。この本に出会えたことが幸運だったと思います。

2011年5月9日月曜日

利き手のこと、知ってみたいでしょ?

今までのように、また本のことを書こうと思います。

大学入学でバタバタと忙しい時期にも、少しだけ本を読んでいました。埼玉に居候している間、ひまつぶしにと読書していました。居候していた時期というのは、5月2日の記事を読んでいただければ分かるように4月上旬ですから、1か月以上も前のことになります。何もかもが遅れていて申し訳ないです。

さて、その本は、左対右きき手大研究 (DOJIN選書 18) [単行本] / 八田 武志 (著); 化学同人 (刊)



実はこれは図書館で借りたので、全部読み終わらないまま、返してしまいました。2/3くらいしか読んでなかったと思います。

利き手に関する本です。ちなみに利き手研究も含め、左右脳の働きの違いに焦点を当てた研究分野をラテラリティー(laterality)と言うそうです。

私が読んだところまでの内容で申し訳ないのですが、本書は、利き手に関する良いも悪いも含めたいろいろな通説が、妥当なのかを統計的に検証したり、ちょっと立場を変えて、右利き、左利きはそれぞれどんな分野に長けているのかを検証したりします。

統計データを示して、そこから筆者が「左利き(あるいは右利き)は~~なようだ。」と推測を行ってのがたくさん続くわけで、単刀直入に言えば、内容に単調さを感じないではありません。私がこの分野にそれほど強い関心が無かったこともありますが、この単調さが、私をして読書に熱中せしめなかった1つの理由だと思います。

またもう一つ痛感したのは、利き手研究の弱点は、大部分が統計に依存していて、しかもそのデータの収集が非常に難しいということです。数学を始め、生物学、天文学、考古学など多くの自然科学分野は、ある確実な証拠を得ることができて、そこからある確実な結論を導くことができるという側面を、多かれ少なかれ持っています。しかし利き手研究の場合、定理や法則を見つけることがいまだ不可能なばかりか、予測さえ難しいのです。統計にすべてをゆだねる他に有効な手立てがないのですから、利き手研究にとって大きなボトルネックです。その上、左利きのデータは少なくて集めにくいですから、千人規模とか、統計的に有効なデータはかなり少ないと思われます。

つまり利き手研究は不確かなデータが多くて、不確かであいまいな結論が導かれざるを得ないのです。

ちなみに、意外に思ったことですが、利き手を決めるのは実は非常に難しい問題なんだそうです。実際、本書の筆者は「弱い」左利きだそうです。これもデータ収集の障害となっているばかりか、統計結果の信頼性にもかかわっているそうです。

利き手研究も含め、ラテラリティーのさらなる進展を期待します。