2017年4月5日水曜日

故小野寺啓治氏を偲ぶ

小野寺啓治氏が亡くなった。2015年11月初旬[1]だという。

小野寺啓治とは誰ぞや、ときっとお思いのことだろう。

ネットでは、氏のまとまった情報を得ることは難しい。検索して出てくるのは、主に氏の著作と、上野精養軒で行われた関係者による「偲ぶ会」のページくらいなのだ。Wikipediaにも無いし、自身のホームページもない。いや、実は生前「書道ジャーナル研究所」という立派かつ有用なサイトがあったのだが、没後、きれいさっぱり閉鎖してしまった。(http://www.shodo-journal.com/)。

2015年10月現在の「書道ジャーナル研究所」トップ
WayBack Machine(https://archive.org/)より


調べる中で、氏のFacebookページを見つけたが(こちら)、2013年3月から5月までの写真4枚しか、閲覧することができない。もちろん、1936年生まれという氏の年代から考えれば、Facebookをやっていて、プライベートの写真が見られるというのは、貴重なことではあるのだが。

小野寺氏は、美術評論家および書家である。生前は、いくつかの大学で講師を務め、『書道ジャーナル』という月刊誌を発行し、また数多くの著作を残した。手元にある氏の本から、彼の略歴を以下に引用する。

小野寺啓治(おのでら・けいじ)
昭和11年東京八王子に生る。昭和38年学習院大学大学院人文科学研究科美学美術史コース修了。専門 日本美術史・書道史。
現在 学習院・工学院大学・相模女子大学・中央美術学園講師のかたわら、美術評論・書作・篆刻・民芸運動に従事。[2]

サイト「書道ジャーナル研究所」の事務所は東京の調布市にあったのだが、グーグルマップで調べると、長野県富士見町に、同名の、現在は閉鎖中の出版社がある。氏は同じく富士見町に、小野寺美術館という自身の設立した美術館まで持っていたのだが、こちらももう閉鎖しているかもしれない。(住所は長野県諏訪郡富士見町立沢1−223。執筆現在、グーグルマップではまだ見つけることができる。)

小野寺氏の著書は、どれも絶版と思われるが、大体のものは、ネットで容易に手に入れることができる。ほとんどが書道、特に日本の現代書道に関するものである。しかしその中で、民芸に関するものがいくつかあるのは注目に値する。『文字の意匠』(1975年 東京美術)と、『手仕事のデザイン―伝統工芸の再認識』(1985年 同朋舎)である。(他にもあるかもしれない。)

私は彼の本を3冊持っていて、赤い表紙の『現代書道のルーツ』、手元にないため何年版かは失念したが『書作品年鑑』、そして今挙げた『文字の意匠』である。上の略歴も『文字の意匠』から引用した。略歴を見れば分かるように、小野寺氏は書道だけでなく、民芸運動にも造詣が深かったのだ。

『文字の意匠』は、小野寺氏だからこそ書けた、他に類を見ない独特な切り口の良書である。というのも氏はこの本で、民芸運動の根幹概念の一つである「用と美」を、広く文字(漢字・ひらがな・カタカナ)に関して浮き上がらせようとしたのである。その扱う範囲は甲骨文字から古い看板、家紋の中の文字までと、ワープロや硬筆以外で書かれたおよそあらゆる文字の姿が、豊富な写真とともに解説されている。氏いわく、

少くとも、文字を美しく使用する操作は、つい近年までは、手仕事から出発した。本書は以上の観点に立って、文字全般の使われている姿、すなわち、用に立脚した美の工夫を見極めることによって、文字の造形と意匠に関する理念と実態を、浮きぼりにしてみようとする試論である。[3]

なるほど江戸時代など古い看板には、その店の商品の形をした板(例えばノコギリ)に、気取らない文字で「目たて」などと書いてある例がある。そんな乙な看板は、日本民藝館や、松本民芸館のコレクションの中にもいくつかある。機械で打ち出される文字列が浸透しきった現代にあっては実感しにくいかもしれないが、実用の文字のデザインというのは、実に味わい深いのである。

文字の「用と美」については、民芸運動の創始者、柳宗悦自身もほんの少し触れている。しかし書道と民藝の両方を知悉し、「手仕事」の文字の美を語って1冊の本をものすまで至ったのは、小野寺氏ほかはほとんどいまい[4]

謹んでお悔やみ申し上げます。

[1] 「故小野寺啓治先生を偲ぶ会」『三吉庵麗衛門―袖石ブログ』
[2] 小野寺啓治(1975)『文字の意匠』東京美術 奥付
[3] 同上 はじめに
[4] 蓜島庸二氏も似た趣旨の本を著している

2017年3月31日金曜日

「おんな城主 直虎」の題字寸評

大河ドラマ自体にはもともと興味が無かったため、元日の新聞で初めて、「おんな城主 直虎」の題字を見た。

それが、悪くない。「偉そうなことを言うな」というお叱りを覚悟で申し上げると、「直虎」の題字は、歴代の大河の題字の中でも、悪くない。

1月8日付の読売新聞朝刊32面

1月8日付の読売新聞朝刊32面(アップ)

大河ドラマは、必ずしも書家として名声を得ている人が書いているわけではない。むしろそういう例は少なく、NHKのこの記事によると、管見だが、有名なのは1987年の「独眼竜政宗」を手掛けた長揚石くらいだろうか。

「直虎」の題字は、Maaya Wakasugi氏という人物によるものだそうだ。2000年代なかばから、柿沼康二や武田双雲など、ネットやマスコミで活動する若手の書家が題字を書くことが多くなっているが、Wakasugi氏もその例に漏れず、メディアへの書の提供やパフォーマンスを主とする、「マスコミ若手書家」である。

しかし、氏は大学で書を修めているという点で、典型的な「マスコミ若手書家」と性格を異にする。作品にもその事実が部分部分に感じられる。

特に今回の題字には顕著で、1行目「おんな城主」の部分は、「張猛龍碑」、「高貞碑」といった北魏時代の楷書を彷彿とし、現代の書家でいえば、同じく「張猛龍碑」を好んだ上条信山(1907-1977)の筆致にそっくりである。氏も大学で上条信山系列の指導者に学んだ可能性が高い。ひらがな「おんな」の部分は、線質も字形も特に見事だ。

その分、「直虎」という字の優美さが、随分劣ってしまっているのが、残念この上ない。筆を力任せに紙面に押し付けて引っ張ったような荒っぽい書きぶりで、まことによろしくない。近年の書にまま見られる、筆の弾力を活用していない線である。「直」の1画目からかすれているのも、よろしくない。始筆も終筆も、汚らしい。

2017年3月20日月曜日

下手くそな筆文字ロゴが また1つ この世に生み出された

写真はイメージです

食品包装、タイトルロゴ、日本酒ラベル、居酒屋の壁面などなど・・・、身近な場面で、筆で書かれた文字を見ることは多い。

それらは「書家」に外注しているものと思われるが、中には、言っちゃ悪いが、目を覆いたくなるような醜悪な「書」もある[1]。否、もはや「書」とは呼びがたい、プロに書いてもらったとは到底思えぬ「文字列」が数多く存在するのだ。私の思えらく、外注のコスト削減のため、書の腕に覚えのある社内の誰か(つまり素人)が、創意工夫を凝らして、したためたものと思われる。そう思わせてしまう例が、後を絶たない。

礼を失するのは承知で具体例を挙げると、最たる例が、「電王戦」である。始筆の曖昧な、右に傾いた「王」、つくり(戈)の背が極端に低い、小粒の「戦」・・・。そして極めつけは言うまでもなく、その自由闊達に伸びた見事な「電」の最終画である。嗚呼、ここまでくると、下手を通り越して、滑稽ですらある。書はおろか、生まれてこのかた筆を握ったこともなければ漢字も書いたことのない外国人が書いたのではないかというくらいの字である。

電王戦の公式サイトではまた、「叡王戦」、「将棋電王トーナメント」という筆文字ロゴも見ることができる。こちらも、新入社員に書かせたのではないかという感じの出来栄えである。5流6流の書家でもこんな字は書かない。この書き手が万が一「書家」だとしたら、開いた口が塞がらなすぎて顎がはずれてしまう。


[1]私は、鍵盤の「ド」の位置もよく分からないくらい、音楽に関してど素人なのだが、例えば耳をふさぎたくなるような音楽というのも巷にあふれているのだろか。教えてエライ人。

2017年1月8日日曜日

「書き初めコンクール」の入賞作品は2つの点で「異常」である

昨日、1月6日付の読売新聞朝刊に、小中高校生の参加する「読売書き初めコンクール」の入賞作品が載っていた。このコンクールは毎年正月の風物詩だが、私の記憶の限りでは、特に小中学生の入賞作に、以前からある特殊な共通点がある。

それは1)文字が紙面いっぱいに書かれている、2)応募者は応募に至るまで、数百枚という数を書いている、という点だ。

これらは、伝統的な書作には見られない特徴である。これは何も読売のコンクールに限ったことではなく、およそ日本の小中学生の書き初めに普通に見られる。

1)書において、余白と文字のバランスは極めて重要である。余白がなければ、美しい書は生まれない、と言って差し支えない。字が紙の端まで書かれていると、窮屈で、さらに文字が四方に拡散するような印象を与えてしまう。つまり、字を上手に書くことだけでなく、適切な余白を取ることも、いい作品を作るのには必要である。

日本の書き初めコンクールでは、余白の重要性は往々にして無視される。子供は、縮こまっていないで元気いっぱいに書くべきだというオトナの意識が、どこかしらあるのかもしれない。そういう精神を責めるつもりは毛頭ないが、結果として、知らず知らずのうちに大人が子供の審美眼を改変してしまっているとも言えなくもない。

対象的に、中国の書法教育においては余白の重要性が強調される。手元にある大学生用の書法の教科書には、「布白则是翰墨尘点的反衬,构成整幅作品的有机组成部分」とある。「余白は書かれた部分と表裏一体をなす、整った作品をつくる有機的な部分である」というような意味である。

下の写真は、私が西安で撮ったものである。大人が書いたものなので、単純な比較はできないが、余白のとり方は典型的な中国式である。(ただし余白をとりすぎて、かえって間が抜けた作品も中国には少なくないが。)

参考例1 中国・西安の書院門街にて

参考例2 同じく書院門街での露店

2)何百枚も書くのはいいが、それは練習に留めるべきで、作品として公に発表するのには、やや抵抗がある。というのも、何百枚も書かないと良い作が書けないというのは、果たしてそれを実力と言っていいのか、疑問だからである。何百枚も書いて、「運良く」完璧な作品が書けたのではないか、と私は思ってしまうのである。

これは私の経験からも言える。「ここが上手く書けなかったから、次はそこを上手に書こう」と思って次の1枚を書くと、そこは良くなるのだが、今度は別の箇所が気に入らない・・・ということはしょっちゅうで、何十枚か書くと、「これはなかなかいいかな」というものが出来上がる。しかし、それは自分ではコントロールしがたいもので、違う機会に同じ枚数を書けば同じクオリティーのものが仕上がる、という保証は全くない。しかし上達するにつれて、50枚が20枚、10枚、5枚と、書き上げる枚数は、確実に減っていく。

何百枚目かに、偶然、どこも気に入らない箇所のない完璧な作品が書けたからといって、それは実力なのだろうか。どの入賞作も、一般的な小中学生に不釣り合いなほど著しく均整が取れているが。

公にすることのない、臨書などを何百枚とするのは良いことだ。それは自分のトレーニングだからである。しかし、自分のトレーニングの成果を見せる作品というのは、数回で書かなければ正直でないと思うのだ。例えて言えば、ルービックキューブである。キューバーと呼ばれるルービックキューブの達人は、ふだんから何百回と練習をしているが、そこで偶然、世界記録を叩き出してしまっても、公式記録にはならない。記録を取るときには、方式によるがたった1回、ないしは5回しか挑戦できないのである。

邵庆祥,潘军主編(2014)『大学书法教程』高等教育出版社 158頁

2017年1月4日水曜日

「書家」には方向性を全く異にする2つのタイプがいることをご存知だろうか

その2タイプ、勝手に名付けて「マスコミ若手書家」と「公募展大御所書家」という。

上海の街角で

一部は私の推測もあり、なおかつ、すこぶる紋切り型な分類であることは申し上げるまでもないが、「マスコミ若手書家」は、ネットが普及した2000年代に登場し、以下のような特徴を持つ。

活動形態として
・しゃれた公式サイトを持ち
・仕事はネット経由が多く
・パフォーマンスを行ったり
・マスコミに出たり大衆向けの本を書いたりするが、
・大手公募展には出品しないことが多い
・自身の教室は必ずしも持っておらず
・主に広告や商品ラベル等に書を提供することが仕事で
・しばしば欧米を意識している

作品形式として
・強烈な個性の書風を開拓し
・1文字ないしは数文字、あるいは平易な散文が主な作品である
・客観的評価(大手公募展の入選等)が皆無または乏しく、実力のバラつきが激しく
・媒体は紙に限らず、布、電子媒体、入れ墨など多岐にわたる

例:武田氏、中塚氏


対して「公募展大御所書家」は、公募展というものができた戦後以降に登場し、以下のような特徴を持つ。

活動形態として
・ネットを使わないので
・仕事はリアルで受けることが多い
・パフォーマンスを行わず
・マスコミに滅多に出ず、本を書いても玄人向けで
・公募展に出品するのが仕事である
・多くの弟子を抱えており
・主に弟子からの月謝で生計を立てている
・国際的意識はせいぜい中国

作品形式として
・古典に則った書風を確立しており
・漢詩、和歌、その他文学を基調とした作品が主である
・有名な公募展の審査員等の肩書を持ち、一定以上の技量があり
・媒体は紙、印材(=篆刻)、銘木(=刻字)がほとんどである

例:「現代書道二十人展」の各氏

この2タイプの中間として、例えば「大御所書家」的な作品を作りながら、ネットも精力的に使っている人もいる。そういう人の仕事は、ネット経由が半分、リアルが半分なのだろうと思われる。一つの尺度として、サイトにお金を使っていそうかどうかを見れば、その人がどれだけネットに頼っているかを推し量ることができる

まれに、どちらのタイプにも当てはめがたい方がいて、そういう方は、表舞台にほとんど出ずに、独自に創作活動をしている。(趣味でやっている人、という意味ではない。)ただし、私の知る限り、そういう方も、有名な書家を師に持っていることが多いので、作品としては「大御所書家」側である。そういう方々を発掘するのは大変難しいが、個人的に、そういう方々の作品には特別な魅力を感じる。

日展、読売書法展、毎日書道展レベル

2017年1月2日月曜日

「55個の母音を持つ言語」というギネス記録は間違いである

私の手元にある1980年度版の「ギネスブック」に、「最も多くの母音を持つ言語」として、ベトナムのセダン語が挙げられている。信じがたきかな、55個もの母音を持つという。

しかし、これは明らかな間違いである。セダン語を記述した論文にあたると、セダン語の母音は7つしかないからである。英語には、母音が10個くらいあるから、英語より少ないのである。

以上。

と言いたいところだが、学生時代の暇に任せて、もう少し詳しいことを書いたので、以下に続く。


その記録は以下のようである。「最も多くの母音を持つ言語」として、

最も多くの母音を持つ言語はベトナム中央部のセダン(Sedang)で、55のはっきり区別できる母音を持つ。(144頁)

とある。記述は以上で、出典はない。さて、この記録を信じていいのか。

日本語の母音は、「アイウエオ」の5つである。英語の母音はもっと多くて、アメリカの一般的な英語だと、10個くらいある。

世界の言語を見渡すと、アラビア語や沖縄の一部の方言のように3つの母音しか持たない言語や、ドイツ語、フランス語、ヒンドゥー語のように10以上の母音を持つ言語もある。しかし一般に、世界の言語を見渡したとき、日本語、中国語のように5~7個の母音を持つ言語が大半である。母音が20を超える言語を私は知らず、55個となると、凄まじい数である。

母音というものは、基本的に、舌の上下前後の位置や、唇のすぼめ具合を調整することによって発声される。つまり母音とは、いろいろなバリエーションのあり得る子音と違って、口の中で、舌の位置や唇の形を絶妙に変えることによって生み出される、デリケートな音である。であるから、本当に55個も母音を持つ言語があったとしたら、それを発声する口と、それを聞き分ける耳に、とてつもない精密さが要求されるということだ。果たしてそんな緻密すぎることができるのか。

そんな言語学の知識を抜きにしても、「母音が55個」なんていうのは、直感的に考えておかしい。

あの有名な「ギネス世界記録」に間違いが?と思うかもしれない。けれども、ギネス・ワールド・レコーズ社の担当者が十分な言語学の知識を持ち合わせていたとは限らないのである。担当者の見当違いということはありえない話ではない。

真偽を確かめるべく、調査をしてみたところ(2年ほど前のことです)、セダン語を記述した文献として、次の2冊が見つかった。

Smith, K. D. 1982. Phonology and Syntax of Sedang, A Vietnamese Mon-Khmer Language (Doctoral dissertation, University of Pennsylvania, 1975).

Smith, K. D. 1979. Sedang Grammar: Phonological and Syntactic Structure. Canberra: Australian National University.

スミス(1979)(左)とスミス(1982)の文献

セダン語の研究ではKenneth Smith(以下、スミス)という人が第一人者であるようだ。1979年の文献は、博士論文である1975年の文献の再版と思われ、2冊の内容は全く同じである。よって、以下は新しい方の文献に基づいている。

以下、厳密さを損ねないため、必要最小限の専門用語を使っているが、難しいと感じれば、読み飛ばしても構わない。結論から言うと、冒頭で申し上げたようにセダン語は平々凡々の7母音体系である。

スミス(1979:31-44頁)によると、セダン語の単純母音は、/i, e, ɛ, a, ɔ, o, u/ の7つである。下が母音表である。

iu
eo
ɛɔ
a
セダン語の母音

はい、終わり。

セダン語は、何の変哲もない母音体系である。母音が7つというのは、世界の言語の中でもごく標準的な数である。この母音体系は、イタリア語とさして変わらない。期待していただけに、拍子抜けする。

ならば、一体どうして、55母音という突拍子もない数字が出てきたのか、知りたくなってくる。

私の推測だが、1)「緊張音」、「複合母音」、「鼻母音」という、セダン語の複雑な副次的母音体系を間違って理解した、2)子音を間違えて母音の数に入れてしまった、という2つの可能性がある。

(2)は手のつけようのない凡ミスだが、(1)について、もう少し詳しく言う。セダン語を含む周辺のいくつかの東南アジア諸語の母音には、lax(弛緩)とtense(緊張)という区別があるそうだ。つまり、上に挙げた7つの単純母音のそれぞれに、弛緩音と緊張音の区別がある。弛緩音がいわゆる普通の発声の母音で、緊張音とは一般に「きしみ音(creaky voice)」と呼ばれる音である。日本語にはない音だが、「あ゛ー」や「う゛ー」と書かれる低いうなり声を想像すればいい。(きしみ音の音声(ページ下部)と英語の図解。)

加えて、セダン語には9つの複合母音があり、さらに一部の母音には鼻母音がある。仮に、単純母音、緊張音、それらの複合母音、それらの鼻母音を、全て1種類の母音と見なすならば、私の計算では、51個になるのだ。

しかし、これは言語学上の慣習を完全に無視している。言語学において、「母音の数」というのは、原則として単純母音の数を意味するのであり、鼻母音、複合母音、その他特殊な母音は、数のうちに含めない。日本語にも長母音(アーイーウーエーオー)という特殊な母音があるが、それを独立した母音とはみなさないのと同じである。

論文に依拠して、言語学的に真っ当な結論を申し上げると、セダン語は、繰り返すように、7母音しか持たないのである。

参考
ノリス・マクワーター編(1979)『ギネスブック』講談社

2016年12月14日水曜日

「趣味は書道です、でも見るだけで字は書きません」 「えっ?」

「鑑賞」と名のつく趣味は、映画鑑賞、音楽鑑賞、美術鑑賞あたりだろう。Googleで「趣味 鑑賞」と検索してみて、最初の1ページに出てくるのは、その3つだけだった。

「書の鑑賞」という趣味は聞いたことが無い。

単純に書道をする人口が少ないからだろう。半分正解。いやほぼ正解である。

だが、単に書道人口の少なさだけが理由ではないと思う。「書の鑑賞」が一般でない背景には、人々の意識の問題もあると思う。

西安・書院門街にて 野外での新古書売り

実は書道のコミュニティを見回してみても、鑑賞にそれなりの時間とお金を割いている人はほとんどいない。私の知人の範囲では、全然いない・・・と思う。かくいう私も趣味というほどには徹底していない。学生の頃こそ、一時期は書に関する図録・解説書・資料に毎月数万円を使っていたけれども、今はゼロ円~数千円だ。

ざっくり言って、書を単なる「字を上手に書くための訓練」と思っている人は、書の経験の有無に関わらず、たいへん多い印象を受ける。もしも書くだけでいいなら、多少の初期投資(硯、手本等)をすれば、後は紙、墨、筆といった限られた消耗材にお金をかけるだけでいい。(人によっては月謝、も。)けれどもそれはとても薄っぺらい、もったいない学びだと思う。

多くの人にとっては、小中学校の「書写」の授業が数少ない書道体験だろう。そこでは、現代生活に即した実用的な部分ばかりが強調され、芸術的、歴史的な部分に関しての座学はない。それがあってか、書道とは実践、すなわち「書くこと」だと広く思われている。

しかしながら、書における鑑賞の重要性は強調してもしきれない。なぜならば、(音楽等にも全く同じことが言えるのだが)優れた作品に触れることが自分の創作を刺激し、あるいは純粋に、自身の精神生活を豊かにするからである。

書の腕を鍛えたいならば、書くことに匹敵するくらい「見る」ことにお金と時間をつぎ込むべきだと思う。書くのは好きじゃないけど感動に飢えているのなら、もっぱら「見る」ことに投資したっていい(今のところ私がそうだ)。音楽や芸術と同じく、感情を震えさせてくれるものだから、書いていなくても、見るのが好きならば「書道が趣味だ」と言っていいと思うのだ。

およそ東洋の手書き文字であれば、何でも鑑賞の対象とすべきである。古代中国の青銅器に鋳込まれた文字、現代の書家による作品、浄瑠璃の床本、老舗に掲げられた看板、道端の石碑などなど、多岐にわたる。見るべきものの数はおびただしく、展覧会に足を運んだり、本を買ったり、写真を撮ったり、現物を集めたり・・・、できることはいろいろある。ここ東アジアには、数千年に渡る膨大な文字資料・書作品群があり、そして現在も素晴らしい作品が生み出されている。

余裕があれば、手書きでないもの、東洋以外のもの、文字以外のものにも積極的に触れることで、表現の幅はさらに広がるだろう。日本国内に留まらず、書の本場、中国にも目を配り、ときには自分で中国の地を旅してみれば、新たな世界が開けてくる。

書道において、学習者は必ず臨書というものをする。横に置いた古典作品の法帖を見ながら、半紙や半切にそっくりに書くのである。臨書の際に、古典の一文字一文字、ないしは全体構成を見るのも、もちろん鑑賞の一つだ。しかしながら臨書に使われる作品は、鑑賞の対象全体から見たら、ごく一部に過ぎないのだ。

いろいろなものを見て目が肥えてくると、次第に書の良し悪しが見えてくるようになり、「これはすばらしい」、もしくは「これは見るべきほどのものではない」という判断ができるようになってくる。時に感動的な作品に出会うと、何がこれほどの感動を与えるのだろう、と理解しようとする。そして、その優れた部分を自分の作品にも取り入れてみたくなる。そのインプット、アウトプットの連続によって、腕が磨かれ、表現の幅が広がってくのである。

書は実践半分、鑑賞半分である。