2017年5月22日月曜日

西洋人のヒッチハイカーふたりを拾って

つい昨日のこと。午前10時半位だったろうか、山ノ内町の小さな交差点で、長身の西洋人の青年2人がヒッチハイクをしているのを見つけた。その交差点は、外国人どころか歩行者も多くない農道で、そのせいで2人の青年はたいへん目立った。田舎特有の、広大な駐車場のあるあのセブンイレブンのある交差点と言えば、地元の人はもう特定できるかもしれない。

とっさのことだったので迷いもあり、私は一度通り過ぎたが、すぐさま引き返して道路脇に車を止めた。あまり危なそうな青年たちには見えなかったのももちろんあるが、ヒッチハイカーを拾ってみたいという好奇心の方が大きかった。それに、英語を話すのは満更でもない。

私は彼らを車の中に案内しながら、ぶっ飛んだおかんが世界一周中のドイツ人を連れてきて昼めしをもてなしたという、むかし読んだブログ記事を思い出していた。その話ほどには、この話は内容はないのだが。

車に乗った青年たちに、そもそもどうやってここまでたどり着いたのか、と聞いたら、湯田中から歩いてきた、と言う。彼らを拾った場所から2キロほど離れたところには湯田中駅がある。湯田中は地獄谷のおサルの温泉が有名な一大観光地なので、外国人で賑わうのだ。徒歩以外の交通手段はまず考えられなかったので、どうせそうなのだろうとは思っていたが、全国的に猛暑となった昨日21日である。彼らの勇敢さには恐れ入った。

行き先は、竜王スキーパークだという。私の向かおうとしていたところと同方向であった。竜王といえば、私はスキーシーズンの始まる前の秋に、そこのロープウェイに乗ったことがある。標高1770メートルの展望台からの雲海は、圧倒される美しさであった。もちろんロープウェイまで、全行程を歩いて行くにはあまりにも遠い。問題は、折悪しくこの時期、竜王はスキーシーズンも終了し、グリーンシーズンも6月まで始まらないのを私は知っていたので、行っても何もすることがないよと私は正直に伝えた。しかし青年らは「乗りかかった船」と悟っているのか、気後れするでもなく、トレッキングに行くからいいんだ、と言う。トレッキングするようなところでもないのだが。

それに、田舎の、営業休止中のスキー場である。帰りの足がないのだ。どうやって帰るのだ、とこれまた老婆心から聞いたら、人里まで歩いてまたヒッチハイクするから、と不安がる様子もない。彼らのタフさを見習いたい。無計画、とも言えようが。

助手席に座ったのがアルゼンチン人のマディアス、私のうしろに座ったのがフランス人のジェレミーという。似た年頃、背格好なので、てっきり同郷の友人かと思ったが、湯田中駅近くの、私も名前を知っているホステルで出会ったのだという。ふたりのこれからの行き先も違うそうだ。

無事、竜王から帰れたことを祈る。

2017年5月12日金曜日

工藤員功・稲垣尚友 『手仕事を追う―竹』 あるくみるきく選書2

ISBNの無い古本、非売品、稀覯本がたくさん売りに出されるヤフオクでは、しばしば思いもよらない本に出会うことがある。


工藤員功・稲垣尚友(1980)『手仕事を追う―竹』株式会社アスク

もそうだ。宮本常一編「あるくみるきく選書」3巻の内、2巻目だ。小さい本である。

ただし、ヤフオクに出ていたのはこれを含むシリーズ全3冊セットで、しかも不相応に高かったので、結局ヤフオクではなく、他のサイトで1冊のみ、割安に買ったのだが。

本の表紙や奥付には「近畿日本ツーリスト株式会社・近畿日本ツーリスト協定旅館連盟 二十五周年記念出版」とあり、ISBNは無いため、アマゾンなどでは手に入れることができない。どういう形かは分からないが、無料で頒布されたのだろう、価格も書かれていない。入手は困難だが、然るべきサイトに行けば現時点ではネットでも入手可能だ。

工藤員功氏による、「竹細工の産地を訪ねる」と称する全国の竹細工産地の紹介が本文の3分の2くらい。稲垣尚友氏による、「カゴ屋職人修行日記」が残りの3分の1くらいだ。新書サイズで写真は多く、すぐに読み切れてしまう。竹細工の産地に関しては、竹細工が盛んなはずの長野県や山梨県の記述が無いなど、偏りを感じないではない。

後半の稲垣氏による修行日記は面白かった。著作が多いので、この方の名前は私は何度も目にしていたから、竹細工の世界では有名な方なのだろう。ネット上では氏の最近の動向や、制作についてほとんど分からないが、最近は自前のキャンピングカーで全国を飛び回っているようだ。70歳を過ぎているのに、本当にお若くて、笑顔は少年のようだ。(ちなみにリンク先の「松本みすず細工の会」の方とは昨年知り合いになったので、稲垣さんは私の友達の友達ということになる!)

本書には、35歳の稲垣氏が、1977年4月26日から3ヶ月という期限付きで、熊本県の竹細工職人のもとで修行する様子が、日記形式で綴られている。文章からまんべんなくにじみ出る、稲垣氏の「若さ」が特にいい。何が「いい」のか、よく言葉にできない。ただの「古き良き時代」に対する羨望も混じっているのかもしれないが、少なくとも同じ竹細工を学ぶ私に、響くのだ。

たった3か月という期間で、習得できるものは限られている。それでも竹細工で生計を立てる覚悟でやって来たのだ。妻子もいる手前、時間を1日たりとも無駄にできなかったのだろう。指の激痛でまともに寝られない日があっても、歯を食いしばって師匠のもとで竹細工を習った。師匠とその奥さんが優しい方なのだ。指を病院で診てもらった稲垣青年を、下宿先に見舞いに来てくれた。

3ヶ月の修行の末、若き稲垣氏は決心する。

このとき、すでに私はカゴ屋で生活の糧を得ようと心に決めていた。生まれて初めての”専業志望”であった。これまで何十もの仕事についてきたが、それは、あくまでも、金もうけのためであった。(中略)帰り際、私は師匠に約束してきた、関東のどこかで仕事場を捜すから、そのときは呼ぶからと。一銭の指導費も払ってこなかった私の、せめてもの気持ちであった。(195-6頁)

この言葉通り、氏はのちに関東に農家を借りてカゴ屋となる。この充実した修行を経て、今の稲垣氏があるのだ。作ったものを見ると、3か月という修行期間では考えられないほど、技術が高い。

本文を全て読み終わって、稲垣氏の著者紹介を見てびっくりした。

稲垣尚友(いながき・なおとも)
一九四二年東京生まれ。国際基督教大学在学半ばで書と教室を捨て、各地の居候的放浪の末、南東に通いつめる。(*後略 *強調は筆者)

卒業はしなかったものの、稲垣氏は私の大先輩だったのである! これからは親しみを込めて、「氏」ではなく、さん付けで呼んでもいいだろうか。

職を転々とし、南島(トカラ列島のこと)に引越し、挙句の果てに妻と幼子を置いて3ヶ月間の竹細工修行に出かけるなど、本書を読みながら稲垣さんの自由さとフットワークの軽さは人並み外れていると思っていたが、国際基督教大学(ICU)なら仕方がない。それは冗談にしても、ICUに入学した時点で彼のフロンティア精神の片鱗がすでに見いだせよう。お会いしてみたい方である。

2017年5月8日月曜日

綿貫宏介という巨人

ある日ネットで知った御所坊という有馬温泉の宿の、ロゴを始め、暖簾や避難経路図に至るまで館内のそこここにあると思われる、不思議な篆書じみた文字に釘付けになった。

この垢抜けた文字はそんじょそこらのデザイナーによる仕事ではないのは、ひと目見て明らかだった。しかしロゴデザインの主を調べようにも、御所坊のサイトには説明がない。御所坊の文字という以上に手がかりもないので調べようがなかった。

そのロゴは、篆書はもちろん書を熟知している人でないと出来ない仕事だった。安っぽい言い方はあまりしたくないが、端的に言って、上手いのである。あまりに完成しているので、朝日新聞の題字における欧陽詢「宗聖観記」のように何か古典から集字したのか、もしくはアレンジしたという可能性もほんの一瞬頭をよぎった。しかし、御所坊の文字は、私の知るかぎりどの古典にも似ておらず、独特で、何より、きわめてモダンであった。

ある匿名のデザイナーによる、モダンな篆書じみた文字。私は不思議な感覚に陥った。

そんな感覚も忘れかけていたつい昨日、Facebookで流れてきた写真が目に止まった。友達の友達のあげていた小鼓という酒で、小さくてよくわからないが、ラベルのロゴがどことなく垢抜けていた。

すぐさま検索してみて、心臓が高鳴った。ラベルの文字が、あの御所坊の文字と同じだったからである。小鼓は西山酒造場という兵庫の会社の酒で、そのデザインに関して、親切にも1ページを割いてくれていた。西山酒造場のロゴデザインを手掛けたのは、1925年生まれの綿貫宏介という芸術家であったのだ!

話は寄り道するが、白状すると、ある素晴らしいクリエイターやその作品に出会ったとき、恥知らずな私は「他の面では無理でも、頑張れば、この人のこの部分には勝ち目があるかな」と、しばしば思うことがある。

例えばの話、文字を扱うクリエイターに対して「墨書についての知識は僕のほうが持っているんじゃないかな」なんて思ったり。(超有名デザイナー佐藤さんのとあるロゴデザインとかを見たりなんかするとね・・・ボソッ)。またある人には「オレのほうが英語うまいんじゃね」とかね。言うまでもないことだけど、有名人に対する揚げ足取りである。

しかし、綿貫宏介はそんなちっぽけなやっかみの入る隙すらない、桁外れの芸術家ではないか。

戦後、ポルトガルとスペインに15年間留学したというから、ヨーロッパの美術も吸収してきたのであろう。氏の作品には、アルファベットの書き方から色使いまで、どこか洋の東西を越えた普遍性があるように思える。作品も文字だけでなく絵画や陶器などにも及ぶとのこと、綿貫氏の表現の幅の広さが伺える。さらに漢詩にも精通しているとあるから、向かう所敵なしである。

綿貫宏介のデザイナー、芸術家としての評価はもちろん高いので、私がここでこれ以上語るつもりはあるまい。私は、氏のあまり着目されない点、即ち書家としての尊敬の念をおくりたい。書家と言っても、ここで私が言うのは筆と墨で書くいわゆる書家ではなくて、字に深い造詣があり、字を美しくデザインする人としての広義の書家である。

綿貫氏のロゴ、つまりエンドプロダクトから判断する限り、字のベースは多くの場合、篆書というまったく歴史的な文字だけれども、墨と筆がデザインの最終段階であまり大きな役割を担っていない。もちろん氏の制作過程は不明なので、あるいはデザインの初期の段階で毛筆で大まかな文字の骨組みを作っているかもしれない。しかし最終的なデザインはおそらく硬筆か、毛筆だとしても絵を書くように文字を形作っていくのか、ないしは小刀で紙を切り抜いていくのかも分からない。とにかく、ロゴに、筆の穂先の動きや線の細太(さいたい)、線の潤滑(にじみかすれ)といった「筆致」がほとんど見いだせないのである。

何を言いたいのかというと、歴史的な文字を扱っているにも関わらず、手法や文字配列、そして書体が現代的であって、それが氏のデザインの「モダン」、「おしゃれ」と称される所以なのである。

2017年5月7日日曜日

あつめること には2種類ある

何かを熱心に「あつめる」人がいる。コレクターである。

その「あつめる」ことには2種類ある。網羅すること、と、精選することだ。

あるテーマ、団体、人物に関してすべてのものを集め尽くそうとするのが、網羅すること。コンプリートすることだ。

好きなアーティストの音楽を全部買う、好きなキャラクターのグッズをとことん集める、などがそうだ。網羅することには、それを楽しむということの他に、全てを集め尽くすこと自体が目的となる。個々のモノの好き、嫌いは何であれ、全てをコンプリートしたあかつきには、何とも言えない達成感が待っている。

一方で、あるテーマ、団体、人物に関して自分の気に入ったものだけを集めるのが、精選すること。セレクトすることだ。

コンプリートすることの達成感は得られないものの、自分のあまり気に入らないもの、必要ないものを集める必要がなくなる。つまり、自分の好きなものだけが手元に集まる。

私は柳宗悦が好きで、民藝運動に関して柳自身が著したものも、第三者が著したものも、書籍はたくさん持っている。しかしながら、正直なところ、数十万という高値で取り引きされることもある柳の書(墨書のことです)は、バーゲンセールで大安売りされていたとしても、あまり欲しいとは思わない。魯山人もどこかで評したそうだが、私は柳の字を美しいとは思わないからである。

マイリー・サイラスが好きだとしても、一部の曲ばかりを繰り返し聞いていて、他のは一度も通して聞いたことが無い、とか。「あつめる」とは少し違うが。

網羅することと、精選することは、目的が違うのであって、どちらが良いというのはない。しかし私は、精選することの方が好きである。私はそうやって、あつめてきた。

網羅することは、すなわちそれに没入すること、という可能性をはらんでいるのではないか。あることやものが好きでたまらないと、その悪い面が見えづらくなってしまうような気がするのだ。

・・・もちろん、セレクトしようにも全部好きなんだ、という場合も少なくないだろう。つまり「網羅」と「精選」がぴったり一致するとき。そのとき、それはその人にとっての「とっておき」だ。

私にもそういう、ほとんど「全部好き」な書家がいる。私の「とっておき」なので、この場では教えられない。

話を戻して、あることやものの一部は好きだけど一部は好きじゃないという「精選的」スタンスだと、そのことやものに対する批判を受け入れやすくなる感じがする。

柳の字に対する魯山人の批判には、私は全く賛成するが、柳を絶対視する人にとっては、その批判も受け入れがたいものなのかもしれない。実は柳の民藝理論や、現代の民藝運動そのものにも、しばしば矛盾や不備が指摘されるが、民藝運動を客観視できれば、それも認めることができよう。最初から、えり好みしているから。

2017年4月5日水曜日

故小野寺啓治氏を偲ぶ

小野寺啓治氏が亡くなった。2015年11月初旬[1]だという。

小野寺啓治とは誰ぞや、ときっとお思いのことだろう。

ネットでは、氏のまとまった情報を得ることは難しい。検索して出てくるのは、主に氏の著作と、上野精養軒で行われた関係者による「偲ぶ会」のページくらいなのだ。Wikipediaにも無いし、自身のホームページもない。いや、実は生前「書道ジャーナル研究所」という立派かつ有用なサイトがあったのだが、没後、きれいさっぱり閉鎖してしまった。(http://www.shodo-journal.com/)。

2015年10月現在の「書道ジャーナル研究所」トップ
WayBack Machine(https://archive.org/)より


調べる中で、氏のFacebookページを見つけたが(こちら)、2013年3月から5月までの写真4枚しか、閲覧することができない。もちろん、1936年生まれという氏の年代から考えれば、Facebookをやっていて、プライベートの写真が見られるというのは、貴重なことではあるのだが。

小野寺氏は、美術評論家および書家である。生前は、いくつかの大学で講師を務め、『書道ジャーナル』という月刊誌を発行し、また数多くの著作を残した。手元にある氏の本から、彼の略歴を以下に引用する。

小野寺啓治(おのでら・けいじ)
昭和11年東京八王子に生る。昭和38年学習院大学大学院人文科学研究科美学美術史コース修了。専門 日本美術史・書道史。
現在 学習院・工学院大学・相模女子大学・中央美術学園講師のかたわら、美術評論・書作・篆刻・民芸運動に従事。[2]

サイト「書道ジャーナル研究所」の事務所は東京の調布市にあったのだが、グーグルマップで調べると、長野県富士見町に、同名の、現在は閉鎖中の出版社がある。氏は同じく富士見町に、小野寺美術館という自身の設立した美術館まで持っていたのだが、こちらももう閉鎖しているかもしれない。(住所は長野県諏訪郡富士見町立沢1−223。執筆現在、グーグルマップではまだ見つけることができる。)

小野寺氏の著書は、どれも絶版と思われるが、大体のものは、ネットで容易に手に入れることができる。ほとんどが書道、特に日本の現代書道に関するものである。しかしその中で、民芸に関するものがいくつかあるのは注目に値する。『文字の意匠』(1975年 東京美術)と、『手仕事のデザイン―伝統工芸の再認識』(1985年 同朋舎)である。(他にもあるかもしれない。)

私は彼の本を3冊持っていて、赤い表紙の『現代書道のルーツ』、手元にないため何年版かは失念したが『書作品年鑑』、そして今挙げた『文字の意匠』である。上の略歴も『文字の意匠』から引用した。略歴を見れば分かるように、小野寺氏は書道だけでなく、民芸運動にも造詣が深かったのだ。

『文字の意匠』は、小野寺氏だからこそ書けた、他に類を見ない独特な切り口の良書である。というのも氏はこの本で、民芸運動の根幹概念の一つである「用と美」を、広く文字(漢字・ひらがな・カタカナ)に関して浮き上がらせようとしたのである。その扱う範囲は甲骨文字から古い看板、家紋の中の文字までと、ワープロや硬筆以外で書かれたおよそあらゆる文字の姿が、豊富な写真とともに解説されている。氏いわく、

少くとも、文字を美しく使用する操作は、つい近年までは、手仕事から出発した。本書は以上の観点に立って、文字全般の使われている姿、すなわち、用に立脚した美の工夫を見極めることによって、文字の造形と意匠に関する理念と実態を、浮きぼりにしてみようとする試論である。[3]

なるほど江戸時代など古い看板には、その店の商品の形をした板(例えばノコギリ)に、気取らない文字で「目たて」などと書いてある例がある。そんな乙な看板は、日本民藝館や、松本民芸館のコレクションの中にもいくつかある。機械で打ち出される文字列が浸透しきった現代にあっては実感しにくいかもしれないが、実用の文字のデザインというのは、実に味わい深いのである。

文字の「用と美」については、民芸運動の創始者、柳宗悦自身もほんの少し触れている。しかし書道と民藝の両方を知悉し、「手仕事」の文字の美を語って1冊の本をものすまで至ったのは、小野寺氏ほかはほとんどいまい[4]

謹んでお悔やみ申し上げます。

[1] 「故小野寺啓治先生を偲ぶ会」『三吉庵麗衛門―袖石ブログ』
[2] 小野寺啓治(1975)『文字の意匠』東京美術 奥付
[3] 同上 はじめに
[4] 蓜島庸二氏も似た趣旨の本を著している

2017年3月31日金曜日

「おんな城主 直虎」の題字寸評

大河ドラマ自体にはもともと興味が無かったため、元日の新聞で初めて、「おんな城主 直虎」の題字を見た。

それが、悪くない。「偉そうなことを言うな」というお叱りを覚悟で申し上げると、「直虎」の題字は、歴代の大河の題字の中でも、悪くない。

1月8日付の読売新聞朝刊32面

1月8日付の読売新聞朝刊32面(アップ)

大河ドラマは、必ずしも書家として名声を得ている人が書いているわけではない。むしろそういう例は少なく、NHKのこの記事によると、管見だが、有名なのは1987年の「独眼竜政宗」を手掛けた長揚石くらいだろうか。

「直虎」の題字は、Maaya Wakasugi氏という人物によるものだそうだ。2000年代なかばから、柿沼康二や武田双雲など、ネットやマスコミで活動する若手の書家が題字を書くことが多くなっているが、Wakasugi氏もその例に漏れず、メディアへの書の提供やパフォーマンスを主とする、「マスコミ若手書家」である。

しかし、氏は大学で書を修めているという点で、典型的な「マスコミ若手書家」と性格を異にする。作品にもその事実が部分部分に感じられる。

特に今回の題字には顕著で、1行目「おんな城主」の部分は、「張猛龍碑」、「高貞碑」といった北魏時代の楷書を彷彿とし、現代の書家でいえば、同じく「張猛龍碑」を好んだ上条信山(1907-1977)の筆致にそっくりである。氏も大学で上条信山系列の指導者に学んだ可能性が高い。ひらがな「おんな」の部分は、線質も字形も特に見事だ。

その分、「直虎」という字の優美さが、随分劣ってしまっているのが、残念この上ない。筆を力任せに紙面に押し付けて引っ張ったような荒っぽい書きぶりで、まことによろしくない。近年の書にまま見られる、筆の弾力を活用していない線である。「直」の1画目からかすれているのも、よろしくない。始筆も終筆も、汚らしい。

2017年3月20日月曜日

下手くそな筆文字ロゴが また1つ この世に生み出された

写真はイメージです

食品包装、タイトルロゴ、日本酒ラベル、居酒屋の壁面などなど・・・、身近な場面で、筆で書かれた文字を見ることは多い。

それらは「書家」に外注しているものと思われるが、中には、言っちゃ悪いが、目を覆いたくなるような醜悪な「書」もある[1]。否、もはや「書」とは呼びがたい、プロに書いてもらったとは到底思えぬ「文字列」が数多く存在するのだ。私の思えらく、外注のコスト削減のため、書の腕に覚えのある社内の誰か(つまり素人)が、創意工夫を凝らして、したためたものと思われる。そう思わせてしまう例が、後を絶たない。

礼を失するのは承知で具体例を挙げると、最たる例が、「電王戦」である。始筆の曖昧な、右に傾いた「王」、つくり(戈)の背が極端に低い、小粒の「戦」・・・。そして極めつけは言うまでもなく、その自由闊達に伸びた見事な「電」の最終画である。嗚呼、ここまでくると、下手を通り越して、滑稽ですらある。書はおろか、生まれてこのかた筆を握ったこともなければ漢字も書いたことのない外国人が書いたのではないかというくらいの字である。

電王戦の公式サイトではまた、「叡王戦」、「将棋電王トーナメント」という筆文字ロゴも見ることができる。こちらも、新入社員に書かせたのではないかという感じの出来栄えである。5流6流の書家でもこんな字は書かない。この書き手が万が一「書家」だとしたら、開いた口が塞がらなすぎて顎がはずれてしまう。


[1]私は、鍵盤の「ド」の位置もよく分からないくらい、音楽に関してど素人なのだが、例えば耳をふさぎたくなるような音楽というのも巷にあふれているのだろか。教えてエライ人。